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My sketch book 2003-2016
タジキスタン・コログのホテル・セレナ 2009年8月
一泊ドル180ととんでもない高価なホテル。しかし、界隈随一の内容で納得。
アフガンから無事に生還し、ガイドのシェラリーの働きへの感謝を込め泊まった。
ギルギッドのセレナホテルには4泊した。(2006年)$80であった。背後の丘陵はアフガニスタン領である。ホテル裏側には大きな河が流れている。

私が世界で一番好きなHotelがこのマウントラベーニア・ホテルである。
スリランカのコロンボから30分南に、マウント・ラベーニアと言う町がある。その名を採った100年以上の英国の植民地から続くホテルである。欧米人は泊まると、来年も予約して帰る客が殆どである。しかし、料金は三つ星クラスでそんなに高くない。

KKH(Karakoram higth wey) startpoint THAKOT in Pakistan frome here to KASHI(CHINA) 1300km. ]Heavy stream INDUS River 2006August

Turkey Rize 仕事で度々訪れているRizeから、東の山間に出掛けた。

Tajikistan Iskeshim ワハーン回廊の入口

Tajikistan Doshanbe  タジキスタン・ドシャンベのレストラン。

Russia Sochi
鉄道駅。鉄道が来ている。モスクワまで続いているという。博物館の様な歴史ある建物である。

Russia Sochi。  世界最北の茶園のあるのがSochiである。冬季五輪で有名になったがこのスケッチはその数年前である。

中国で一番良い季節は春である。菜の花の絨毯である。湖南省脱甲村

China Funan 中国湖南省長沙の茶園。2007
中国担当で初めて中国を訪問して、1週間で受注した工場の裏山に広がる茶園。

Kiso in Japan 2013
木曽の馬篭宿。中学の同級会で訪れた。日本のシルクロードである。

タジキスタン首都、ドシャンベ 2009.8
アフガンから出てきたものの、イスタンへの空路が週2便。1週間待たされた。毎夕、公園で夕食を採った。歴史ある建物は博物館であった。

China Xian 中国 西安 西門
シルクロードの東端。旅人は苦難の道を数年かけてここに辿り着いた時の感情はいかほどか?

私は仕事の合間に2度この門に酔いしれた。

アフガニスタン・ワハーン回廊最奥の集落 サルハド。ここまでは車で入れる。想像していた谷とは違い、開放的なすばらしい景観であった。この谷にも4ヶ所に飛行場が作られていた。サルハドにも秋には24人乗りの飛行機が来る。私は、最も良い時期にサルハドを訪れる事が出来た。sukecchibukku 2009年8月3日
アフガニスタン・ワハーン回廊最深部 ボザイ・グンバース(ボザイの墓) 画面左に進むとチャクマクティン胡へ。正面の谷を南下すると3日でワクジル峠に達する。ワクジル峠は玄奘三蔵が超えたといわれる。2009年8月1日。

China Xian 中国西安の小雁塔、大雁塔もあるがこれは町中にある。

Wakhan回廊には、小さな集落がLangarまで数多く続く。
集落には、スケッチのスチューパと云われる神社がある。
ゾロアスターと仏教とイスラムの混合した、日本の神社と云ったところ。
Zor Kul(ゾルクル)湖。 パミール語のズー(良い)が訛って付いた。クルは湖の意。19世紀半ばのジョインウッド大佐が発見し彼はビクトリア湖と命名した。日本の地図の多くには、ビクトリア湖である。2泊したガイドのシェラリの兄貴の実家のクチーナから描いたスケッチである。1週間位のんびりしたい場所である。対岸の山は、アフガン領内のSelsela山脈。

Russia Sochi

Russia Sochi

Russia Sochi

Murghabの町には、木がない、と聞いていたが、正にその通り。
理由を聞くと、塩分が多く、植えても枯れてしまうとのことである。
私は、それもあるが、寒さが厳しいのが主原因だと思う。

Murghabに2泊した、町一番のホテルは、名ばかりホテルであった。
汲み取りの共同便所、粗末な食堂で質素な自家焼きのパン。
しかし、庶民からすれば贅沢なホテルであろう。
パミールに暮らす人々は極貧の暮らしであった。
タジキスタンの首都ドシャンベから延々630kmを3日間かけて、アフガニスタンとの国境イシュカシムに達した。しかし、アフガンへの入国は出来なかった。ヒンズークシュ山脈と町並みは明るく開放的な渓谷である。ここから、世界の秘境ワハーン回廊が始まる。
Murghab の町は、パミール高原で最も大きな町である。しかし、大きいと云っても、5〜6千程の人口であろう。荒涼とした3千メートルの標高では、大きな町である。町の南には、豊富な水量のAksu川が流れているにもかかわらず、町民は手動のポンプで水汲みをしている。ソ連邦からの離脱で、貧困の極みである。

China Uruuqi 中国、ウルムチの町。彼方にポベーダ峰が夕日に照らされていた。

中国・ウルムチ  2007年7月 第5次
ウルムチは古くからシルクロードの要衝として栄えた町である。
私にとって、憧れの地を2007年に始めて訪れた。
タジキスタンへの中継地として二日間滞在した。週1便しかない便を待った。
街中を散策したが、期待はずれ、上海上海並みのビル群である。

ガッカリしてホテルに帰還し、裏山の公園に登ると、やっと町の彼方に天山山脈が遠望された。
急いでスケッチ・ブックを取り出した。夕日に染まりだした空。
2006年はアフガンへの潜入を試みるべく、パキスタンのイスラマバードまで行くも、外務省の退避勧告が発令されている最中で、入国を断念。しからばと、インダス河を遡る,KKHに挑む。
ルートは右図の如く。7/17に出発、カシュガルには8/15着。
インダス河を遡り、クンジュラブ峠(4900m)を超える世界のサイクリストの証である「君はクンジュラブを超えたか?」の勲章を得た。
途中スストからアフガンへの道イルシャッド峠を徒歩で往復した。すばらしい景観であった。
RAKAPOSHI (7788m)
frome view KARIMABAD HUNZA
ヤズド
Baltit Fort HUNZA Pakistan Aug 1st 2006
イランのカビール砂漠の西端のオアシス都市ヤズドはゾロアスター教の栄えた地。市内のゾロアスター寺院の入口には当絵のアフラマズダの神が描かれている。2004年8月
Turkey KOPRUSU 
Turkey Laias 2003

China 福建省

China Shanghai 上海 2009

Istanbul 2009

Istanbul 2009

Istanbul 2009

Istanbul 2009

長い間ワハーン回廊への入域を夢見てきた。やっとのことで今年(2009)実現した。ワハーンは世界の秘境といわれている。実際に入ってみると、まさにその通り。トヨタ・ランクルの中古車が全盛であるが、程度の良い車でないと、ワハーン中域のサルハドに達することは困難である。悪路、水中車などなど、道なき道を進み、やっと、当スケッチのサルハドに達する。これ以上は車は進めない。ここから騎馬、徒歩での行進となった。

Istanbul 2009

KOPRUSU Bridge1297-1298

Turkey ERUZURUM E -60km
Aug 2003

Istanbul 2009