シルクロード西域南道 カシュガル〜敦煌 2008年7月〜8月の記録
灼熱の砂嵐と標高3千5百の四つの峠超え 苦難の旅
マルコ・ポーロの足跡をみた
古の旅人やスタイン、ヘディン、大谷探検隊などの先達者の偉大さを痛感
ヤルカンド旧市街のモスク 当地はヘディン、スタインはじめ多くの探検者の記録に登場する古くからの町である。期待して到達するも、新市街の西に,やっと、古の古い町並みが現れた。スケッチブックを取り出した。マルコが向こうから歩き出てきてもおかしくない古き町並みであった。

七月一九日 名古屋―北京―ウルムチーカシュガル
七月二〇日 カシュガル(10:30)− タシュクルガン(18:30)
七月二一日 タシュクルガン(11:00)― カシュガル(18:00)
七月二二日 カシュガル(10:00)− ヤンギサール(17:30)
七月二三日 ヤンギサール(10:00)− ヤルカンド(21:00)
七月二四日 ヤルカンド滞在
七月二五日 ヤルカンド(8:30)− カルガリク(15:30)
七月二六日 カルガリク(9:00)− 皮山(16:30)
七月二七日 皮山(8:30)− クリ(17:30)
七月二八日 クリ(9:00)− 和田(19:00)
七月二九日 和田・休養日
七月三〇日 和田(10:00)― 策勤(21:00)
七月三一日 策勤((チラ(11:00))− 干田(ケリヤ(19:00)
八月 一日 干田(ケリヤ(11:00))− 民豊(ニヤ(24:00))
八月 二日 民豊(ニヤ)・休養日
八月 三日 民豊(ニヤ)・休養日
八月 四日 民豊(6:15)−アンデルランガー(8/5 8:30)
八月 五日 アンデルランガー休養
八月 六日 アンデルランガー(17:00)― シュドウ(20:00)
八月 七日 チャルチャン(8/7 14:00)
八月 八日 チャルチャン・休養日 北京五輪開催日
八月 九日 チャルチャン(19:00)− 瓦石峡(8/10
八月一〇日 瓦石峡(ラッシャーリ)(14:00)
月十一日 ワシャリ(瓦石峡)(5:00)− チャルクリック(若美)(12:00)
月十二日 チャルクリック(若美)休養日
月十三日 チャルクリック(若美)休養日
月十四日 チャルクリック(4:00)− ミーラン(11:30)
月十五日 ミーラン(6:00) − 紅柳(16:00)
月十六日 紅柳(ホンウェイ)(5:00) − パシクルガン(17:00)

月十七日 パシクルガン(17:00) − イーテンブラク(23:00)
月十八日 イーテンブラク・休養日
月十九日 イーテンブラク(7:00) − 砂漠のキャンプ(19:00)
      (新疆ウイグル自治区)−(青海省)
月二〇日 砂漠のキャンプ(19:00) − 大風山(22:00)
月二一日 大風山(22:00) − 冷湖(20:30)
月二二日 冷湖(12:00) − スーガン湖(20:30)
月二三日 スーガン湖・休養日
月二四日 スーガン湖(6:15) − アクサイ(20:00)
月二五日 アクサイ(11:30) − 敦煌(17:30)
月二六日 敦煌月二七日 敦煌
月二八日 敦煌月二九日 敦煌―北京
月三十日 北京―名古屋

43日間、2461kmの長く過酷な旅を終えようとする2日前。明日は終着の敦煌だと、胸ふくらませルンルン気分で進む。無風快晴。この日は恐ろしい砂嵐の心配もなかった。中国・甘粛省
海抜3648m 今回は砂漠のみならづ、こうした高度を4回超えた。しかし、高度順応した体はさしてえらくない。気温が下がるので快適ではある。急坂で、下るトラックはノロノロ運転。自転車のほうが早い。
2008年の記録(北京五輪の年)
中国人サイクリスト 初めて中国人のサイクリストに会った。
和田市街 玉の産地として名高い
ホータン市の東を流れる ? 川
水量が多いのにビックリ。朝は半減するが、夏はどうして渡る。マルコの時代は橋はない。激流である。
ヤルカンド
ヤルカンドはトルコ語「広大な国」
毛沢東とウイグルの老人が握手。
仲良くやらまいか?とささやいている。
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