2006年 アフガンを延期して、中国へ足を踏み入れた。
どうせ行くんなら、カラコルム・ハイウェイでクンジュラブ峠(4733m)を越え
ワハーンへのイルシャッド峠(4960m)にも達する。
2006 MARCO・POLO
- July 15 Japan - Pakistan/Islamabad
- July 16 Islamabad
- July 17 Islamabad - Haripur
- July 18 Haripur - Shinkiari
- july 19 Shinkiari
- July 20 Shinkiari - Batgram
- July 21 Batgram - Pattan
- July 22 Pattan - Dasu
- July 23 Dasu - Chilas
- July 24 Chilas
- July 25 Chilas - Jaglot
- July 26 Jaglot - Gilgit
- July 27 Gilgit
- July 28 Gilgit
- July 29 Gilgit
- July 30 Gilgit
- July 31 Gilgit - Ghulmet
- Aug 01 Ghulmet - Karimabad
- Aug 02 Karimabad - Gulmit
- Aug 03 Gulmit - Sost
- Aug 04 Sost - Spinje
- Aug 05 Spinje - Yarzyarz
- Aug 06 Yarzyarz - Irshad pass(4960)
- Aug 07 Irshad - Spinje
- Aug 08 Spinje - Sost
- Aug 09 Sost - Khunjerab Pass - Taxkurgan
- Aug 10 Taxkurgan
- Aug 11 Taxkurgan
- Aug 12 Taxkurgan - Lake KaraKol
- Aug 13 Lake KaraKol - Bulungkol
- Aug 14 Bulungkol - Ojatal
- Aug 15 Ojatal - Kaxgar
- Aug 16 Kaxgar
- Aug 17 Kaxgar
- Aug 18 Kaxgar
- Aug 19 Kaxgar - Islamabad
- Aug 20 Islamabad - Bangkok
- Aug 21 Bangkok - Nagoya
パキスタン北部 パスー
当計画の最高の景観が現われた
丁度、通り掛った3人の少年にカメラを渡して撮ってもらった。
この撮影場所から、見た目以上にきつい上り坂となり、3人の少年にキャンディーをあげて、私は歩いて一緒に家路についた。
少年は、「俺のうちにはアプリコットがたくさんあるから寄って来な」、お腹すいてない」、とやさしく声を掛けてくれた。
私にとっては孫の少年である。
三人は、一人、また一人と麦畑に囲まれた土でできた家へと入っていった。
最後の少年が遥か遠く、坂の下の家の土塀をくぐり、最後の別れの手を背伸びして振っていた。
私も大きく手を振った。
さようならはペルシャ語の「フォダファフェース」であった。
憧れのワハーンを望むイルシャッド峠に達した。
背後はワハーンの反対側のカラコルムの山々である。K2が見えないかとしばし見入ったが、遥か彼方である。
とても見える距離ではないことが分かった。
日本の来たアルプスから富士を見るとわ訳が違う。
ワハーンに入る峠は数多くあるが、聞くところによると、当イルシャッド峠は雪のない唯一の峠のようだ。雪のある年もあるようだが、今年は、みての通り。
パキスタンの首都イスラマバードを7月17日に出発しチラス7月23日。ギルギッド26日。
この頃から下痢の始まり。過去三年間で一度も下痢にならず、かなりの自信を持っていたが、自信喪失。どうにも直らない日が続いた。
ギルギッドに4日間足止めを食らった。
パキスタンの衛生状態がそれだけ悪いと云うことだ。その後も、欧州勢も猛者達に出会うが、殆んどの人間が下痢にやられていた。
スストには8月3日に着いた。想像していた国境の町のイメージとは格段にわびしい集落であった。大勢の人間が寄り集まりにわか仕立てにできた河原の集落と言ったところである。
イルシャッド峠には8月6日。クンジュラブ峠は8月9日。ゴールのカシュガルには8月15日に到着した。予定より一日早く着いた。
帰路は空路カシュガルからイスラマバードに戻り、バンコック経由で8月21日の帰国。
今年も同僚の小川正育と女房の尚美が送ってくれた。中部国際空港ができ便利になった。掛川から直行バスが出るようになった。
灼熱の中を馬糞と排気ガスにまみれて走り、町一番の安宿に投宿する。冷気の出ない、壊れたクラーなのにクーラー代をとられてしまった。
蒸し暑くて熟睡せずに一夜が明けた。
このインチキ・ホテルのレストランはこの街道筋では一番高級であった
偶然隣りの席に来たのが、NG0「国境なき子どもたち」の瀬野洋平氏で
ある。左の写真。
彼はシカゴに七年居たと言う。東京に本部があるNGOで、昨年の10月8日のパキスタン北部地震のボランチィアである。
すすめられて、彼の職場に二泊させていただいた。
シンキライで。
突然、インダス河が現われた。
意外なことに、濁流で灰色の濁った色をしている。
ネパールの渓谷を流れる多くの川を見てきたが、こんなに濁った河はなかった。
夏の純粋の氷河の融水の比率が多いことが原因であろう。
しかし、この濁りが大変厄介なことである。
飲料水とならない。田畑の灌漑として使っているが、水路が沈殿した砂で直ぐに浅くなってしまう。囲浚いを頻繁に必要。
中州に溜まった砂が余りにも細く、風が強いと舞い上がりあたり一面を真っ白くしてしまう。と云う厄介な水である。
しかし、インダス河は流域住民に多くの恵みを与えてきたことは事実である。
そのインダスに万歳。
1947年のインド独立から始まる、パキスタンーインドのカシミールの領有権争いは、根本的にはこのインダス河の水利権にまつわるものと思う。
また、不思議なことで、インダス河、ガンジス河、ブラマプトラ河の三大河川は、カイラス山(6714m)別名カンリンポチェを源としている。
インダス河の流れは正に激流。どこに行ってもこの急な流れであるy。それだけ急勾配であるとの証である。
ペダルを漕ぐ力も大変なものである。
灰色の流れに、右手から青く澄んだ清流が流れ込んでいた。
イラン同様パキスタンの警察には大変お世話になりました。
断崖絶壁をパトロールするポリスは5日間に亘り私をアスコートしてくれた。左写真。
上写真:一晩中横のベッドで警護してくれたヒゲのお巡りさん
夜間の盗賊に備えて。青空ホテルだが、夜露は降りない。
空気中の水分が少ない影響である。Jaglot
精も根も尽き果てて、急坂をトボトボと歩いていたら、軍の高級将校の車が止まってくれた。今だ過って、自ら車に乗り込んだことはなかったが、この時ばかりは、気力なく言葉に甘えて乗り込んだ。
Jaglot 手前。
若い頃に、胸躍らせて読んだ「魔の山・ナンガパルバート」が夕日を浴びて輝いていた。
狭い谷間をづーっと走り続けてきた。そして、谷が開け、ナンガパルバット(8126m)には感動した。
あのヘルマンブールを読み直したい。
あの、ラインホルト・メスナーも1970年にこのナンガで弟のギュンターを失い、自身も両足を凍傷で失っている。
いつの時代でも、「魔の山」である。
左上下写真。
インダス河はここで左右に別れる。右が本流、左ギルギッド川
ギルギッド川
ラカポシ7788m
フンザ バルチット城
自身のスケッチより
HUNZA Baltit Fort
Passu BaturGlacier
グルミットからパスーにかけての景観はこの世の絶景と云ったところ。
息を呑む程の景観とはこのことであろう。
苦労してインダスを遡って来た疲れが癒された。
何処からともなく現われた美女三人。前後数十キロ民家はない。
当地はイスマイリー派の地域である。
一般的に、イスラムはスンニーとシーアに二分されるが、更にイスマイリー派と三派にも分けられる。九世紀にシーア派からの分派であり、戒律が緩やかであり、一日の礼拝も二回だけである。シーア、スンニー共に五回の礼拝が強要されている。
従って、カメラを向けてもさほど抵抗がない。
この辺一帯は、ワハーン族で占められていて、私の計画のプロデューサーのグラフ氏はワハーン族の中では、大変信頼されていることが解った。
行く先々で、この様に住民から握手攻めである。こんなに若い娘さんとである。
写真左 ガイドのカユム(32)
最奥の集落 ジアラット
ワハーンから来た2家族が住んでいた。国境警備員が一人居て、チャイをご馳走になった。
二人が着いて来い、と云うので行くと、何と羊の大群である。500頭を二家族で見ているようだ。
母親は、大きな金のバケツを持って、山羊の乳を搾っていた。
これが、この若い娘と少年の日課であろう。
生涯をこうした生活で過ごすのであろう。
ヤルゼヤクの放牧地には、ガイドのカユムの一族が居た。山羊、羊を500頭も放牧していた。小屋で、チャパチィと塩茶、ヨーグルトをご馳走になった。
Pakistan-China border KHUNJERAB Pass 4934(4703)m
Irshad Pass The rear KARAKORAM
Aug 6th 2006
Irshad Pass(4960m) The rear WAKHAN
当初の予定では、左写真の石小屋にBCを置き、翌日イルシャッド峠(4960m・4925m)を往復する予定であったが、体調もよく、テントを張り終えて、そのまま身軽になり峠に達した。
広島の平位剛氏より事前に各種お聞きしていたので助かった。
自身の高度計では4960mと出た。
Taxkurgan China
タシュクルガンの女性は美しい。
キルギス族。帽子が良く似合う。
湿地帯には湧き水がこんこんと出て、家畜が数多く放たれていた。
石頭城
Andreas & Lina Killat Germany and Bruce Wood(58)
Karl Kvein(63) CANADIAN
SAYONARA party Aug 18th 2006 in Kaxgar
2006 goal Kaxgar Aug 15th 2006
Dr Yarukun
Kaxgar in China
Andreas & Lina Killat
Germany