イラン/タブリツ〜ケルマン 1,560kmの旅
July 2004 (距離kmは前年トルコから継続)
15 成田発ーテヘラン(空路IR801便)
16 テヘランータブリツ(空路)
午前中 サデレアン墓参。ハクビッツ、ノルジー
17 タブリツ滞在
18 タブリツ出発 − カレク泊
19 ミヤネ泊
20 ザンジャン泊
21 ザンジャン泊 休養日
22 アブハル泊
23 アヴァジャ泊
24 ハマダン泊
25 ハマダン泊 休養日
26 コム泊
27 カシャン泊
28 ナタンズ泊
29 ナタンズ泊 休養日
30 アルデルスタン泊
31 ナイン泊
August
1 ヤズド泊
2 ヤズド泊
3 ヤズド泊
4 バフク泊
5 クシュク泊
6 クシュク泊
7 クボナン泊
8 ザランド泊
9 ケルマン泊 ゴール
10 ケルマン泊
11 ケルマンーシーラーズ 夜間バス移動
12 シ−ラーズーテヘラン 空路
13 テヘラン パルビン宅泊
14 テヘラン パルビン宅泊
15 テヘランー東京 (空路IR800)
昨年2003年に引き続き、本年2004年も下記の日程にてイラン、タブリツから、ケルマンまでの1560kmを走ってきました。
テヘランのパルビン、メヘリー両家族のご支援、出発地のタブリツでのベヒザデ家族には大変お世話になりました。いずれも、ホームステイと言う、心温かい歓迎に感謝の極みです。
更に、マルコポーロの道からそれて、遠路ハマダンに向かいました。ハマダンには
1976年日本ーイラン合同ヒマラヤ遠征隊の隊員で、私とマナスル(8156m)の登頂に成功したジャファール・アサディーが居るからです。彼は既に退役しましたが
将軍まで上りつめた軍人です。豪邸で2泊の歓待を受けました。
ゾロアスター教の聖地、ヤズドには二日間滞在、堪能しました。折りしも、アテネではオリンピックが開催されていましたが、拝火教(ゾロアスター)はオリンピックにも宿っています。
豪華ホテルに無料で泊めていただいたバフクからの、延々65kmに及ぶ登り坂、くたびれ果てて、辿り着いた村の診療所には、二泊もさせていただきました。ドクタ−アタシュに感謝。
マルコがカビール・ルート砂漠に入った最終部落クボナンに達しました。
憧れの地でありました。思いの様相とは大きく違う、高原の盆地で、立派な町でした。四方を山に囲まれ、南が高原へと果てしなく続く砂漠のオアシスでした。
早朝四時からペダルを漕ぎ、ふと見ると、クボナン警察のパトカーが私を護衛してくれていました。以後、隣り郡のキャンシャールの警察の自動小銃での護衛に感謝。
ゴールとなったケルマンは州都で大きな近代的な都会でした。ホテル・アカバンに投宿。
バムの地震のボランチィアとして、日本語を話す、ノールエイ、英国、ジンバブエ、豪州の四カ国の国籍を持つ美しい女性に感動しました。
最後に、通訳、資料提供で毎日のように、タブリツから情報を携帯電話に入れてくれた、サイードに感謝。
灼熱の砂漠を行く「自転車に載ったマルコポーロ」
オアシスで水汲みをする少年
徒歩旅行のイラン人。ジョルジ王
の末裔だと、言っていた。
ゾロアスター教の聖地、チャクチャク寺院は
砂漠の大岩壁の麓にあった。
どこまでも続く、灼熱の砂漠
ゾロアスター寺院
鳥葬の「沈黙の塔」、ヤズド
メイン・スポンサー
我が家の女房
左写真:トルコ三井物産社長 額賀寛さん。住いは、世界で最もリッチな場所にあります。眼下に、欧州とアジアの接点ボスポラス海峡。右手には、東ローマ帝国の首都イスタンブールのトプカピ宮殿、ソフィア寺院も遠望できる。 左トルコ語の堪能な桜井さん。中、私が二晩お世話になった堀口さん。右、額賀社長。 ベランダで飲んだシャンパンは最高でした。
タブリツ、ベヒザデ息子(後)
娘サハシ(18)
タブリツ、ベヒザデ(左2)
はヒマラヤの友
通訳、資料集めで大活躍
サイード。タブリツのナッツ屋
テヘランのホームステイ
パルビン家族とロスタミ
ハマダンのアサデー
家族退役将軍
1976年ヒマラヤ遠征総隊長ハクビッツと元イラン山岳連盟会長のノルジー
テヘラン、ホームステイのメヘリー夫婦
ヤズド
クボナン
ケルマン
バフク
オアシスのチャイハネ(茶店)
前後30km不毛の砂漠にポツンと現れたオアシスにはとうとうとポンプで汲み上げられたアブ(水)が流れて集落の緑を作っていた。
第二次 2004年
私のマルコポーロ計画を支援してくださっている世界各地の皆さん