大町山の会 今井(南米で死亡)、アンペイ(アンナプルナ南壁で死亡)、山岳同志会 和田昌平。
影山撮影 シャモニ・フレジェールにて1980年1月
クリスマス前にシャモニへ着いたものの、悪天が続き、毎日SKIで体を動かしていた。
しかし、正月が過ぎ去り、休暇が残り少なくなってきた。
欧州一帯に30年ぶりの大寒波が襲来していた。
やむなく、ノーマル・ルートでのモンブランの登頂に切り替えた。
ノーマルとは言え、厳冬期のモンブランの登頂は、例年1〜2パーティーしかない難ルートである。
案の定、登頂後(三角点の手前50mで引き返した。夜のために)
バロの小屋に閉じ込められた。
猛吹雪で、降りられなかった。
在りし日のアンペイ、赤いスキーヤーは友人の金沢氏。
シャモニ・フレジェールにて。
我々は、悪天候でプトレイの大岩稜の登攀は諦めたものの、プトレイがどんなにすばらしいルートかを、1972年の暮れに初登攀した、ヤニック・セニョール、ルイス・オウドベルト等6名の著書をシャモニの書店で購入したので、そのコピーを掲載させてもらった。
ヨーロッパで最も長大で困難なルートである。彼等は、5年間に3回目の挑戦でやっと成功している。
現在(2008年)でも、厳冬期の当ルートを登った日本人はいないであろう。
当ルートは夏でも困難で、アンペイは最初の岩峰
ノワール針峰を夏に、中野氏と攀じている。
しかし、我々がもし突入していたら帰ってこれなかったかもしれない。天候のいかんを問わず。
グランキャピサン側からみた
プトレイ岩稜。
この岩稜の向こうが、ワルテル・バナッチィーのブルイヤールの赤い岩稜である。
僚友オジオーニを失い、必死の退却をしたルートである。
名著「我が山々へ」の舞台である。
日本人のこの領域の記録は、山岳同志会の小川氏が先駆者だと思う。
大変申し訳ない。アンペイとのモンブラン行の写真がどこを探しても見つからず。SKIの写真ばかりとなってしまった。在りし日のアンペイの写真で勘弁願いたい。
間を見て、厳冬期モンブラン登頂のフィルムを探しておきますが、アンナプルナの氷河で今も眠り続けているアンペイの冥福を祈ります。
1979年12月〜80年1月の記録
欧州アルプス最長で最も困難なルート、プトレイ大岩稜に挑むも、悪天で断念。
やむなく、ボソンの夏ルートからモンブラン登頂。
厳冬期のモンブランはノ^マルルートであっても手強い。
今は亡き、アンペイと雪崩の巣の中から脱出した記録である。
アンペイとの厳冬期のモンブラン・ボソン氷河からの登頂、脱出の写真を探したのですが、見つからず、とりあへづ
SKIのスナップばかりになりましたが、掲載しました。
見つかり次第、アップ・ロードしようと思っていますが多忙で、いつになるやら分かりません。
2008年1月21日 上海にて