2015 Pamil Silkroad Exploration Japan
Zor Kul 湖の東端。玄奘の「大唐西域記」には大龍池と記されている。多くの旅人が記している。日本人初入域は井手マヤ、本多海太郎である。平位剛、影山と続く。私は4番目であった。
パンジ河はここまで。左パミール川、正面向こうへワハーン川。オクサス河の源流はワハーン川と思うが。

2015年8月15日〜9月4日の記録

キルギスのズズバイ爺さんのユルトを訪ねるも、ムルガブへ出掛けて留守であったが歓待された
この検問所には2007年には犬がいたが、今回はいなかった。私は2回目の通過である。
ガイドのシェラリー(左2、筑波大学院在学中〜2018まで)
右端、munavar(州副知事), 後列中央、Navai、 前列、Gvlomali のドライバー3氏。
無事に我々を運んでくれありがとう。入域許可をありがとう。
生涯忘れぬ厳しく楽しい旅でした。タジキスタンの発展を願います。
タジキスタン側には、国境中立地帯として有刺鉄線が延々と張り巡らされていた。しかし、一か所、破れ、倒されているところを、前日探してあった。早朝暗闇に乗じてこれを越えた。国境警備兵が頻繁に中国軍と一緒に巡回しているからだ。前日も我々は前後を中国軍車に尾行されていた。
タジキスタンは完全に中国軍に占領されていた。2007年のときは、クルマ国境で止まっていた。日本の尖閣列島も時間の問題である。
大統領も宿泊した温泉保養地と言ったところ。
快適な一夜を過ごした。Isiyk川。既に水は東に流れる。
ゾルクル湖周辺は湿地帯である。分水嶺はまだ東である。
BCキャンプ設営。標高4200m。クチーナの傍らに張った。
中央アジア・パミール研究会は「パミールは高原でない」高地である。と主張しているが、ここ大パミールは高原である。
Lake Zor Kul の西端。ここから湖から流れ出ている。
川がタジクとアフガンの国境である。
Khargush 検問所、一般道は左の峠を越えてAlichur Pamir へ出る。が我々は入域許可証の要る。パミール川源流のゾルクル湖に向う。アフガンからの麻薬ルートであり、検問が厳しい。2009年に来たときは警察犬が社内を嗅ぎまわった。井手マヤさんが2005年にカメラを取り上げられた検問所である
3回目のワハーンであるが、自転車のy旅人が多くなった
第2目標:今回の探検の最大の目標、
日本人初のNezatash Pass 4476mの踏破に向かう
第一目標の横断に成功 日本人初横断
写真:Kara Kul 湖.冨田夫妻

旅は、ムルガブを経て、キルギススタンへ向かうも
予定したKaramyk峠が外国人は通過できないことが告げられ、再び引き返し、タジキスタンに戻り、ムルガブを経て、来た道を戻る。
とんでもない距離を走る。
峠から望むシンダン峡道。古のシルクロードである。1日でタシュクルガンに達する。
放牧の家畜が豆粒のように眼下に数多く見られた。中国側はすぐ直下まで来ている。
Nezatash Pass 4476m
白い四角錐の金属の国境標識があった。
中国ではパミールを「葱嶺」と書く。ネギを数多く発見
Jaty Gumbez 〜 Shaymak 間は日本人未踏域である。
西欧人は近年は通っていないと思う。中間に国境監視の軍基地があり、無許可で近づくと逮捕される。2007年に来たときは、ムルガブの刑務所にドイツ人が拘留されていた。無許可で通過しようとして捕まった。ドイツ大使館が釈放で動いていた。聖域である。しかし、私はシェラリーの兄が州の副知事で、今回の我々の運転手であり、事前にコログの役所で許可を採った。
当初は徒歩で2日で横断する予定で、車はムルガブ経由で先回りをし予定したが、宿の親父が、悪路だが「何とか通れる」悪いところが少しあるが? とのことで、車にした。
韓国製車の板バネが折れてしまった。お粗末の極み。
中国国境は最奥のコルであるがこの谷には人っ子一人いない。入口にクチーナが3軒あったが今は人はいなかったが、時々来ているようであった。
夕方で写真写りが悪いが、有刺鉄線のここが破れていた。偵察で前日に調べ、明け方早くここを越えた。しかし、れっきとしたタジキスタン領内である。
留守のクチーナに勝手に入り込み、BCとした。
ここからネザタッシュ峠を狙った。
面のパンジョアクゾー峰5461mを登りに出かけた。が、あと200mまで達したが、雪が現れて、あっさり諦めた。アイゼン。ピッケルは持ってこなかった。左側から稜線を辿れば、雪が無かったかも。折角の日本人初登頂を逃した。私はこの高度の山は何の未練もないが、美代ちゃんからは叱られた。御免なさい。
まだ現役で動いている、驚きである
This is Wakhan corridor Tjis side Tajikistan over river side Afghanistan
イシュケシム国境、対岸はアフガニスタン。ISの台頭で2か月前から国境は閉ざされた。私は2009年に向こうから越えた国境である。シェラリーを連れていた。
アレクサンドロスの末裔、碧眼を良く見かける
バダクシャン州都コログの町とパンジ河。近隣の最大の町。
セスナの空港があり、毎日3便飛んでいるが、天気次第で欠航が多い。だから車で14時間かけてドシャンベまで行く。
峡谷の右はアフガニスタン領である。狭い川を挟んでアフガン国境がづーっと続く
日本勢11名 2週間のパミールの旅、タジキスタン首都ドシャンベ
パンジ河の急峻な山間を最悪のラフロードを往く。4千bの山が迫る。いつ岩が落ちてきても不思議でない。
Jaty Gumbez。温泉が出る。日本人未踏ルートの横断基地に着いた。
ガイドのシェラリー家族のクチーナだが、顔見知りの人がいなかった。他人へ売ったのか?
近くにクチーナな数軒あり、父子が網を投げ入れていた。10分で数匹大きいのが採れた。
萩田副隊長が早速、買い取り、焼いて食べた。旨い。マスと同じ白身で旨い。塩の干物が町で売られている。ビールに最適
パミール川。マルコポーロも記している。彼はここを通っている。表現はドンピシャである。
玄奘、マルコポーロ、古のシルクロード、ワハーン回廊
ドシャンベから南下しKeshemを経由し山を越えてパンジ河に出た。川向うはアフガニスタン領である
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Isiyk 川を早朝に渡るヤク
浜ちゃん、スーさんが釣り糸を垂れたが坊主でした
タジキスタンの首都ドシャンベ市内。イスラム国、シーアとイスマイリー派が多い。