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◆ 原因上明だが,インターネット上では下記のような「文字化け」現象が起きるので,当面その文字を pinyin か 仮吊 で書きこむことにする。
  (a)例:否定詞の ”上” (<華>bu,<韓>bul,<日>ふ) という文字が ”上” に化けるので,[bu] 又は [ふ] と表記する。
  (b)例:夕/口と書く ”吊” (<華>ming,<韓>myeong,<日>なまえの「な」) という文字が”吊” に化けるので,[ming] 又は [な]or[めい] と表記する。


お持ち帰りは常識

     中国を旅行するとき、必ず現地のガイドさんらから中国料理を食べる時のマナーを習う。 その中に、出された食べ物は残すのが礼儀だというのがある。 すべて平らげてしまうと、出されたものの量が足りない、もっと欲しかったという意味を示してしまい、コックさんに失礼に当たるというのだ。

 そこで、わざわざ料理を皿に少し残した方も多いのではないだろうか。 しかし、このマナーは日本人的な感覚からすると、何ともったいない、という観をぬぐいきれない。 そして、中国人の合理的発想を思い浮かべると、どうも腑(ふ)に落ちないマナーのように思えてならない。

 中国人同士の付き合いでは、会食会はとても重要な意味を持っている。 丸いテーブルを囲み、現地のレストランは連日、いろいろな趣旨の会食会が開かれている。 見ていると、中国料理はどの料理もボリュームがあり、人数で割っても食べきれる量ではない。 そのため、やはりみな残している。 問題はその後である。

 中国のレストランでは、勘定をするときに「買単(マイタン=お勘定の意味)《とウェートレスに告げる。 中国語の教科書などには「結張(ジェチァン)《という言葉が紹介されているが、現在の北京では、南からやってきた「買単《という表現が一般的に使われている。

 すると、伝票を持ってウェートレスが来る。 中国人の客は、その明細を合っているかどうかきちんと一つ一つ確認をして、合っているとなればおもむろにお金を出す。

 この後、山のように残った食事を指さして「打包(ダバオ)《という。 つまりテークアウトの意味である。 これを聞くと、ウェートレスは、普通の流れのように専用のプラスチックの入れ物とビニール袋をテキパキと持ってきて、お持ち帰り希望の料理を入れて、ビニールに包んでくれるのである。

 日本人が旅行団で訪れるレストランでは、そのまま残して立ち去る場面が多いだろうが、私の住む西三旗のレストランでは、勘定を済ませた客はみな「打包《の料理を手にぶら下げて出ていく。

 北京の友人、蘇さんにイスラム料理をごちそうになったとき、やはりたくさんの料理が残ってしまった。 そこで、私の家族にと「打包《をしてくれた。 私が、日本にはこの打包はないのだというと、食べきれない時はどうするのか、もったいない、と逆に驚かれてしまった。 中国では「打包《が当たり前なのである。

 面子(メンツ)という言葉は日本でも使うが、これはその発音がすでに中国語であるように、中国から来た意識である。 中国人の特徴として、この面子を重んじるということは、時に命よりも大切なものである。 『史記』などをひもとくと、面子のために死ぬことを潔しとする人物が次々に出てくる。

 客人にごちそうする側は、ケチをして少ない料理を出すというのでは面子が立たない。 逆に招かれる方は主人の面子を立てるために、残すのが礼儀などという建前が生まれたのであろう。

 面子のためには残すのが礼儀であるが、大量に残ったものをそのまま捨ててくるほど、中国人の発想は非合理にはできていない。 中国旅行で、料理が残ったとき、ぜひウエートレスに勇気を出して「打包菜(ダバオツァイ)《と言ってみましょう。

(宮元雄介:富士大専任講師、北京師範大中文系博士課程在籍)

『岩手日報』サイト 「西三旗の風」 第32回 より



《翻译》

“打包” ― 带回去是理所当然的

  在中国旅游时,本地导游毫无例外地教给你吃中餐场合的习惯。 其中之一是把供应的饭菜剩下一点就是一种礼法。 意思是如果你都吃光了,反而厨师以为饭量[bu]够,客人还愿意吃更多。 这会意味着对厨师[bu]礼貌。

  所以我觉得有很多日本人可能在盘子里特意剩下一点。 可是从日本人的感觉上而言,这种做法[bu]禁让人感到太可惜。 加之,因为我们已经知道中国人的想法很合理,这种做法免[bu]了看得[bu]对劲儿

  中国人打交道时,约会聚餐有很重要的意义。 本地餐厅里,围着圆桌[bu]同的聚餐天天举行。 仔细看,中国菜的饭量很多,[bu]论人数谁都吃[bu]了。 结果客人都把饭菜剩下。 关键问题在于此后的过程。

  在中国的餐厅里用餐后付钱时,客人向朊务员告知,说“买单”。 汉语课本里能看到“结帐”这个词。 可是现在在北京说从南方(广东话)传来的句子“买单”很普遍。

  于是朊务员把付款单拿来,客人就按付款单确认每道菜的吊字和价格,没有错误了才付款。

  然后客人指示一大堆剩饭,只说“打包”,就是“take out”的意思。 朊务员答应,就好像按照常规一样地干脆拿起塑料盒子和塑料袋来,把指定的剩饭包上。

  在日本人团体游客屡见[bu]鲜的餐厅,可能会时时目睹把剩饭上带走的人,但是在我居住的“西三旗”(北京的郊区)的餐厅,客人都结帐后把“打包菜”带走。

  姓苏的北京人朋友一次在清真菜馆为我请客时,还是很多菜剩下。 于是他为我家人“打包”。 我告诉他日本没有“打包”的手续,他说“没想到,吃[bu]了的话你们怎么处理呢,真可惜!” 在中国“打包”很普遍。

  “面子”这个词在日本也常用,从此语的日本式发音 “men tsu”来看,能容易知道这个汉字本来表达中国人具有的意识。 中国人的特点之一是有时以讲面子比保护生命为更重要。 阅读“史记”就能接二连三发现为面子殉义忘身的人物

  待客时吝啬地供应小盘子简直是丢面子,反之客人为讲主人的面子而把菜剩下一点,也许这是上述的所谓“礼节”发生的原因。

  为了讲面子,把菜剩下一点可能是[bu]违背主人的心意,但是普通中国人的想法很合理,[bu]允许抛出一大堆剩饭。 在中国旅游时,你[bu]妨试试硬着头皮请朊务员打包。

(宫元雄介:现任富士大学专任讲师、攻读北京师范大学中文系博士学位)





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