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一茶と山廬 をたずねて

平成25年10月31日から3日間 長野 山梨の旅

1日目

新東名高速で東に、新清水ICで降りて、北上、増穂ICから中央道、長野、上越道と乗り継いで
信濃町ICまで、次のICは新潟県になる。ここまで350Kmぐらいだ。
最初に着いたのは野尻湖、肌寒いのでジャンパーを着込んで、遊覧船に乗る。
この日は天気は良かったけど、周りの山々は霞んでいて、黒姫山も裾の方しか見えなかった。
以前来た時も黒姫、妙高山が見られずまた同じ結果となってしまった。



湖の中に小島があって神社があり、
船を一旦下りて島の神社に参拝して出発地にもどる。
所用時間は約1時間、遠くの山が見えなかったのは残念だった。



野尻湖ナウマンゾウ博物館へ

この湖からたくさんのナウマンゾウとオオツノジカの化石が発見された。
人間の乱獲によって絶滅と、、。





野尻湖畔の句碑
『鹿の声こだま湖水をかけるかな   一茶』




信州信濃町柏原の一茶記念館




記念館の奥にある小丸山公園に一茶の墓、句碑、俳諧寺が点在している。

『おらが世やそこらの草も餅になる  一茶』



この句碑は3mぐらいある大きなものです。
『これがまあ終の栖(ついのすみか)か雪五尺  一茶』



一茶像と句碑
『初夢にふるさとを見て涙かな  一茶』



真ん中の細長い背の高いのが一茶の墓とあるがその前に
小林家一族の墓と白い杭に書かれているので、ここに眠っているのでしょう。
周りは墓が点在しています。

   

俳諧寺


一茶の旧宅(終焉の土蔵)


句碑と一茶像
『門(かど)の木も先(まづ)つつがなし夕涼  一茶』

   


一茶館
柏原から南下、高山村にある一茶館に行く


一茶逗留の離れ家



2日目
松代町内を散策

松代城、真田邸、文武学校、真田宝物館、旧樋口家住宅、
旧白井家、象山神社、象山記念館
象山地下壕、旧横田家住宅と回ってきた。

松代城(海津城)



松代城


 真田邸


真田邸


文武学校
 

太平洋戦争の遺跡、松代象山地下壕

太平洋戦争末期、本土決戦の最後の拠点として、大本営、仮皇居、政府機関などを移す目的で
軍部によって極秘のうちに建設された。総延長10Kmの地下壕を碁盤の目のように掘削。
戦争の終わる直前までの9ヶ月間、朝鮮の人々、国民学校の児童まで動員されたという。
入り口でヘルメットをかぶり、500メートル奥まで歩いて見学できる。ちょっと不気味なコースである。

 

象山記念館の佐久間象山の書
癖があって上手いのか良く解らないけど味わいのある書です。書のことは不明です。
きっちりきれいに書いてあるのは偽物だそうです。


旧横田家住宅
  




上田城


別所温泉
北向観音堂、上楽寺、安楽寺


 


3日目
ひたすら長野から山梨県笛吹市へ向かう
 

諏訪湖SA



山廬(さんろ)は飯田蛇笏、龍太 の家のことです。

11月3日の山梨国文祭の俳句大会があり、山廬が吟行地になっていて
2日の今日の午後だけ
一般公開してくれるというのを知って、
送迎バスの発着所のある境川小学校に向かう。
午後1時山廬行きの小型バスに乗ること1Kmとのことで
5分足らずでついてしまう。

着物を着た方が現在の御当主



 





裏庭の池。
 

裏山に行くに狐川(きつねがわ)の橋を渡る。


狐川(きつねがわ)


裏庭にある竹林







見て戴き有難うございました