私は197023日、福島県三春町で生まれました。その後すぐに家族とともに兵庫県相生市に引っ越しました。人兄弟の4番目です。父は牧師で、当時日本基督教団相生教会を牧会していました。相生は山と海に囲まれた港町でペーロン祭りが有名です。子ども時代の私は特に目立ったところがあるわけでもなく、どこにでもいる、普通の男の子でした。教会は結構好きで18歳のときに父によって洗礼を受けました。しかしその動機は、北関東の大学に行くことが決まり、地元を離れる前に父から洗礼を受けてしまおう、という程度のものでした。今思えば、信仰的に大変問題ある受洗でした。そんなことですから、大学での教会生活にも熱が入らず、教会には時々顔を出す程度で、奉仕にはほとんど参加しませんでした。反対に、大学の先輩たちや仲間たちとの交流が楽しく、教会よりもそちらを優先していました。
 就職してからはもっと教会離れがひどくなり、一時期はまったく礼拝へ行っていませんでした。そのままの生活であったなら、もしかしたら私はどこかの教会に籍が残るだけのクリスチャンになっていたかもしれません。しかし神はわたしをお見捨てになりませんでした(ヨシュア記1章5節)。26歳のときキリスト教の勉強をすることを決心し、神学校へ編入学しました。そこに至るまでの心境はうまく説明できないのですが、それまでの自分が、本来の自分(キリスト教や教会の中で生きる自分)とはかけ離れたものであるような気がして、ずっと違和感を覚えていたのです。いわば人生の軌道修正をするために、神が神学校へ入れてくださったのです。

 

 神学校での学びは、複数の語学と教職課程を並行して履修したこともあってかなり大変でした。しかしとても楽しかったです。この辺りから、私は自らの人生があるべき方向に戻ってきたことを感じるようになりました。牧師になる人は、召命感に満ち満ちた人がほとんどだと思いますが、そういう方とはずいぶん違う出発点でした。でもそんな牧師が一人くらいいてもいいじゃなか、と開き直っております。
 
私の説教のテーマに「失われたものの回復」や「弱き者への神の愛」といったことが繰り返し出てくるのは、私自身の経験と関係があります。弱さゆえに、人間としてもクリスチャンとしても自信のない私が神と出会った喜びを一人でも多くの人に伝えたいとの思いがそこにあります。相応しくない者が牧師をしている、その矛盾こそが私にとって福音の原点です。

 

牧師のプロフィール     

1970年生まれ。兵庫県相生市に育つ。サラリーマン生活を5年半し、同志社大学神学部に編入。最終学歴は同志社大学大学院神学研究科。専攻は新約聖書神学。趣味は「広く浅く」がモットーで、クルマやバイクに乗ること(本当はいろいろカスタムしたい)、写真を撮ること(子どもの写真ばかり)、パソコンを触ること(教会ではWindows、家ではMac)、映画鑑賞(もちろんレンタル)、音楽鑑賞(iPhoneに1200曲くらい入っています)など。




 

牧師室より