『いび』は漢字で書くと『揖斐』。

『いび』とは通称で、広くは岐阜県揖斐郡揖斐川町全体、もう少し狭い意味では南の平野部の“三輪”を中心とした、旧揖斐町付近をさすこともあります。

          [『いび』の位置] はこちらを参照
          [揖斐川町全体の3D風地図] はこちらを参照

この狭い意味での中心部『いび』は岐阜県大垣市の北、約15Kmのところにあり、大垣駅<==>揖斐駅 は養老鉄道で結ばれています。途中、安八郡神戸(ごうど)町、揖斐郡池田町などを通ってきます。
岐阜市からは、以前は、名古屋鉄道揖斐線があって通学通勤時間帯は東京・山手線なみの混雑ぶりを呈していたのですが、車社会の到来と共に、直流600V区間という保守の隘路もあって、残念ながら廃線になってしまいました。
レトロな駅舎もホームも完全に撤去され、唯一残るなごりはコンクリート造りのトイレの建物だけです(シクシク…)。
したがって、岐阜からは現実的には車が一番便利です。路線バスを乗り継げば行けなくもないですが、本数も少なく、正直大変です。
岐阜方面から公共交通機関をご利用の方は、JRで大垣駅まで行き、養老鉄道に乗り換えて、揖斐駅経由で行くのが時間的に便利です。(運賃:大垣⇔揖斐 大人400円)


                    
→時刻表はこちら

揖斐駅から旧揖斐町の中心部へはコミュニティー・バスが出ています。
(運賃大人100円、停留所:揖斐駅→脛永橋→岡島→揖斐厚生病院前→栄町→揖斐川町役場
      →揖斐川町→上新町→下新町→本揖斐)

               →くわしくはこちら(別窓)

揖斐川町の総面積は約804平方qで、佐渡島の約855平方kmに迫る面積を持ちます。
揖斐川町は、福井県境の冠山に端を発する揖斐川が町の中央を縦に流れ、総面積の91.5%が森林です。
旧揖斐町は、段木(つだ)と呼ばれる燃料用の薪材の舟運で栄えた川湊の町でした。同時に堀池
氏・西尾氏の揖斐城の城下町、岡田氏の揖斐陣屋の城下町として栄えた深い歴史の町でもあります。

  「熟年夫婦の悠々紀行」サイトが非常に参考になります。内容的には“脱帽!”のサイトです。
  また、国交省中部地方整備局・木曽川下流河川事務所のサイトにも貴重なpdfファイルがあります。


チョット難しい話『いび』の地名はいつごろから?

私が以前何かの史料を読んでいて、転記したメモが残っていました。
「揖斐川町史」の97ページにも同様のことが書かれているので、かなり信頼できる内容だと思い、以下にご紹介します。
◆イビは灌漑用の樋とか水門という意味。川の流れが曲がっていることをさす「江廻」。
  承平年間(931〜938)にまとめられた『倭名類聚抄(わみょうるいじょうしょう)』に大野郡には十三の郷があるとしるされ、楢斐(いび)・大神(みわ)などがあげられている※。楢斐郷は現在の大和・北方地区をさし、大神郷は揖斐地区をさすといわれている。
また天暦四年(950)の『東大寺封戸(ふこ)目録』には、美濃国伊備郷五十戸との記録がある。この伊備郷は楢斐郷のことをさし、大和地区の伊尾野はその名残だといわれている。
これらのことから、平安時代より前の奈良時代またはそれ以前にイビという地名がついていたものと考えられる。◆
(※すぐ上の国立国会図書館倭名類聚抄リンクで、目次・巻号「4」、コマ番号「6」を選択してみてください)


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『いび』ってこんな町             へ戻る