台湾で剣術指導 青木規矩男と亀谷鎮 トップページ目次に戻る
<台湾台北市士林の恵斉藤宮>
 青木先生は明治19年熊本県に生まれた。京都の武徳殿で剣術指南役の募集があった時仕官して、試験に合格したので商業科の教師と武徳殿の指南役となって都入りした。3年ぐらい武徳殿に居ましたが、台湾の中学に赴任されました。それは・・・
西暦1895年中国と日本の両国は馬関条約を締結して日本は台湾を取得して、台湾総督府を設立した。台湾を日本の植民地とした。台湾は急速に人口が増えた。これにより教育が必要となり多くの学校が設立された。
総督府は本国から優秀な人材を抜擢し、台湾全土の教育に力を注いだ。本土と同じく教育を進めるべく人物、青木先生に白羽の矢が立つ。

亀谷鎮は明治34年岐阜県に生まれた。日本帝国は軍人を募集していた。「軍隊でいろんな事が勉強でき、3年間ぐらいなら」と思い軽い気持ちで入隊した。
亀谷鎮は3年間で文武とも優秀な成績だったので、上官に軍に残るよう云われた。

亀谷は大正10年現役兵として、台湾歩兵第一?隊に入隊する。台湾に着くと、多くの日本人が住んでいた。既に青木先生は高等中学の商業科の教師で、講堂(全校生徒が収容できる校舎)で剣術を指導していた

<台中で藁を切る青木先生>
当時隊の方針としてすべての隊員に趣味とする習い事を義務づけた。亀谷鎮は剣術を学ばんとして入門した。この時青木先生と初めて知り合い、青木先生が昭和44年2月11日午前8時85歳で没するまで、師弟関係が59年間つづいた。その間に戴いた手紙、書など沢山あり習字の手本にと保存してありますが、89年経った現在も真っ黒な墨のままです。青木先生は戒名の如く「忠」でありました。

亀谷鎮 
大正10年 月台湾に着く。
昭和5年2月台北で長女晶子生まれる。
昭和5年3月歩兵曹長となる。
昭和6年下士官勤功章を賜る。
昭和7年12月叙勲八等瑞宝章を賜る。
昭和8年12月台中で長男邦治生まれる。
昭和9年5月4日皇太子殿下御誕生奉祝昭和
天覧試合に青木先生と亀谷が台湾から参加。
  
  
皇太子殿下の御降誕を奉祝する群集>
台湾駐屯中は軍事演習のみで、休日などはのんびりと海釣りをしたり、現地の人たちに剣術を指導していた。魚と野菜は豊富に食べた。
畑のパイナップルを青木先生と亀谷が何本切ったか競いあって楽しんだ。

台湾歩兵第一聠隊特別作業班写真集
自生する竹を利用して舟を作る ボートを組み合わせて人員移動する
ボートを利用して橋架設 左完成負荷重量約2200トン
現地の竹薮を利用して障害物作る 鉄條網の破壊訓練
 
台北にて 昭和六、七年度実施報告  写真提供関口流抜刀術駿河館