遠州新居の手筒花火(諏訪神社奉納煙火)
豆知識
■新居の手筒花火は新居町内の、仲町、中田町、源太山町、上田町、高見町、上西町の六つの地区の、取締(とりしめ)、世話係(せわけ) という役人(やくびと)により、運営されます。
源太山町のみ、取締を「副世話係」と呼び、その上に「サーコイ」、「副世話係」の下に「若い衆」と言う役職があります。
 
■遠州新居の手筒花火には、ハネ粉を入れません。従って、花火の最後に底が抜けません。
それ故、新居の手筒花火は練り歩き、乱舞することが出来るのです。
それが、「東海道の奇祭」と言われる所以(ゆえん)です。
 
■前夜祭の各地区の出し物
仲町、源太山町、上田町、高見町→ 大筒
中田町→ 双筒
上西町→ 猿田彦
 
「諏訪神社」 新居の諏訪神社は、景行天皇19年8月の創祀で、古来、新居宿の総氏神で、猪鼻湖神社と称し猿田彦神を祀っていましたが、天正10年(1582)3月、天目山の戦が終わった後、山本勘助の重臣井口嘉末という人が当地に移り住み飯田嘉末と改姓し、天正年間(1590年ごろ)信州諏訪大明神を勧請し合祀してから、いつしか諏訪神社と呼ぶようになりました。

【祭神】建御名方命、八坂刀売命(建御名方命の奥さん)
【合祀】天照大神、豊受大神、事代主神、大己貴神、猿田彦神、少彦名神、武甕槌神、経津主神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命
 
「試み」
(こころみ)
→(試み、金曜日)
その年の花火の具合を見るために試験的、練習的に出す花火で、宝暦9年(1759)には諏訪神社の境内で、明治14年(1881)には源太山町の水門付近でと、年ごとに場所を変えて行われていました。
昭和に入り、小学校校庭で行われるようになると年々盛んになり見物人も増え、現在では前夜祭にも劣らないほどの規模になって来ました。
 
「前夜祭」
(ぜんやさい)
→(前夜祭、土曜日)
試みの次の日、手筒花火の本番の日です。
 
「山」
(ヤマ)
花火を点火(消費)する場所のことで、三ヶ所あります。
南側が「源太山町ヤマ」で源太山町、真ん中が「西町ヤマ」で高見町、上田町、上西町、北側が「仲町ヤマ」で仲町、中田町がそれぞれ使用します。
消費者は、各々が所属する各町のヤマ以外では花火を出すことができません。
試み(金曜日)のヤマは地上、前夜祭(土曜日)のヤマは木製の台になっています。
 
「ヤマ開き」 手筒花火の点火(消費)場所を開放すること。
開いた後、自由に花火を出すことが出来ます。(試みは、役花火の後)
 
「緑星」
(みどりぼし)
緑一色の打ち上げ花火で、手筒花火の開始(ヤマ開き)を告げます。
 
「役花火」
→(試み、金曜日)
毎年、役人が、役目として出す花火。
大筒、三役、六本ぞろい。
 
「細工花火」
→(試み、金曜日)
仕掛け花火の原型です。観音開きの枠にキャラクター等が描き出され、観客に見えるように枠が回転します。
開始前に、雷(らい)が大きな音で3発、爆発します。
その他、乱玉、火車など。
 
「大筒」
(おおづつ)
→(前夜祭、土曜日)
やぐらに固定して出す花火で、火薬の量が多いです。
点火には、下段から上段へと火が渡されます。
点火にはアイ火が使われます。
 
「双筒」
(そうづつ)
→(前夜祭、土曜日)
やぐらに固定して出す花火で、二本同時に点火されます。
点火には、下段から上段へと火が渡されます。
点火にはアイ火が使われます。
 
「三双筒」
(さんそうづつ)
→(試み、金曜日)
やぐらに固定して出す花火で、三本同時に点火されます。
点火にはアイ火が使われます。
 
「綱火」
(つなび)
→(前夜祭、土曜日)
観客席と煙火消費場の間を真横に走る花火で、ヤマで花火に点火(消費)する人への合図になります。
この綱火花火が走った後は、ヤマでは花火を出すことが出来ません。
各地区のプログラムが始まります。
 
「揚げ花」
「揚花」
(あげはな)
打ち上げ花火のことです。
 
「梨粉」
(なしこ)
手筒花火に使う黒色火薬のことで、単位は斤(きん)を使います。
1斤=600グラム
 
「斎火」
(さいか)
手筒花火の点火に使われる火で、祭典当日の午後6時ごろ、諏訪神社神殿にて神主により起こされます。
その火が氏子総代に渡され、そこから各町の役人の提灯に移し、煙火会場へと運び、山のあんどんを灯し、火縄に移し、すべての花火の点火に使用します。
 
「アイ火」 やぐらに固定して出す大筒、双筒、三双筒の点火に使用される花火で、三段階に色が変化します。
赤色(紅粉)→銀色(銀錦)→橙色(ナシ粉)
 
「ヨウカン」 脇に抱えないで、片手で持って出す小型の花火。火薬量が少ない。
昔は、縄を巻かず直接、竹筒に持つ所(手縄)だけを付けた物でしたが、最近では危険防止のため、縄を巻いた物もあります。
 
奉納花火
→(前夜祭、土曜日)
前夜祭の「斎火の儀」の後、その火により諏訪神社社殿前で、各町の取締の代表が1本づつ花火を出します。
サーコイ 源太山町にある役職の名前。
祭典による他町との争いの時に、「かかってこい。さーこい」が由来と言われています。
大山
(おおやま)
→(前夜祭、土曜日)
前夜祭会場の観客側から見て右に設置される櫓で、そこに上がる人のことも「大山」と言います。
仲町から1名、源太山町から2名、高見町から1名が上がります。
各町のプログラムの開始合図の綱火を点火し走らせます。
汐花
(しおはな)
→(前夜祭、土曜日)
前夜祭の午後4時頃、高見町の人が赤鬼、青鬼に扮し、太平洋から汲んできた海水を桶に入れ、榊の小枝で払い、清めながら六町を廻ります。
会所
(かいしょ)
今のように公民館がなかった時代、各町内の有力者の家を借り、祭りの準備、打ち合わせなど活動した場所をいいます。
今では公民館が会所になる町もありますが、昔のなごりで公民館以外に会所を設ける町もあります。
神輿渡御
(みこしとぎょ)
→(本祭り、日曜日)
三日目の午後3時、諏訪神社を出発。
御先払い榊、汐花、赤鬼、青鬼、社額、鉾、社旗、猿田彦、太刀袋、獅子頭、太鼓、お神輿、神職、宮司の順で、花火6町、踊り4町を廻ります。
「猿田彦」
「猿田彦煙火」
(さるだひこえんか)
→(前夜祭、土曜日)
上西町が独自に行う手筒花火で、腹にしみ込む太鼓とほら貝のリズムに乗り、花火が次から次へと点火されます。
真っ赤な火の粉が降り注ぐ中を、男たちが花火を抱え、乱舞する様子は実に勇壮です。

宝暦10年(1760年)上西町の東海道で花火を出したのが始まりで、天照大神が天の岩戸から出られるとき、猿田彦大神が、たいまつをかざし道案内を務めたという伝説を元にしました。
手筒花火がたいまつになぞらえ、天狗の衣装と面で猿田彦大神に似せ、先頭を立ち、大太鼓、小太鼓、ホラ貝のお囃子で上西町の街道を練り歩きながら手筒花火を絶え間なく出しましたが、法令により危険防止のため、昭和42年(1967)で終わりました。
 
「山下」
→(前夜祭、土曜日)
猿田彦の開始を告げる花火で、最初に1本、点火されます。
この花火が消えない間は、他の花火には点火することができません。
 
「手打ち」
→(前夜祭、土曜日)
猿田彦の終了を告げる花火で、最後に3本同時に点火されます。
この花火が消えた後、手締め(シャン シャン シャン オシャシャノ シャン)で猿田彦煙火が終了します。
 

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