遠州新居の手筒花火(諏訪神社奉納煙火)
こぼれ話 新居町民も知らない?
■新居の諏訪神社の神紋は?

  新居の諏訪神社は、古来、新居宿の総氏神で、猪鼻湖神社と称し猿田彦神を祀っていましたが、天正10年3月天目山の戦が終わった後、井口嘉末と言う人が当地に移り住み飯田嘉末と改姓し、天正年間(1590年ごろ)、信州諏訪大明神を勧請し合祀してから、いつしか諏訪神社と呼ぶようになりました。

  信州の諏訪神社(諏訪大社)の神紋は上社が、梶の葉三枚に根が四本、下社は葉が三枚に根が五本の「諏訪梶」です。
 新居の諏訪神社の神紋は何か調べますと、祭礼のとき各家の玄関に吊るす御神灯ちょうちんには、「諏訪梶」が描かれていたり、梶の葉一枚の「立ち梶の葉」だったりします。
 諏訪神社に行って見ますと、参道の灯篭社殿の屋根瓦には「立ち梶の葉」が、社殿の幕には諏訪梶が付いています。
両方使われているようです。

諏訪大社上社 諏訪大社下社
丸に立ち梶の葉 立ち梶の葉
■源太山町は諏訪神社の幟(のぼり)が揚げられない?

  祭礼には、神社の境内や地区の境界などに幟をあげます.。
新居の諏訪神社祭礼でも、「諏訪大神」「諏訪神社」と書かれた幟を揚げます。
しかし古来より源太山町だけは幟の文字が、「諏訪大神」ではありません。
なぜでしょう?
それは、源太山地区には「湊神社」があるためです。
なぜか同地区は、湊神社があるにもかかわらず、諏訪神社の氏子なんです。
そのため、「湊神社」に遠慮し、控えているのです。
では、何と書いてあるのかと言うと、「四社大神」と書かれています。
この四社とは、古来より新居宿に鎮座する、「諏訪神社」「湊神社」「住吉神社(すみよっさま)」「八王子神社」の、四つの神社を意味しています。
一つの神社だけではなく、新居の神社をすべて敬っているのです。
そのため、各家の門口に吊るす御神灯も、源太山町は諏訪神社の神紋「梶の葉」、片面は湊神社の神紋「三つ巴」になっています。
おもしろいですね。
■中田町のシンボルマークはどんな意味?

  前夜祭に勇壮な双筒を見せてくれるこの地区は、地形が三角形をしており、別名を「三角町」と呼ばれていました。
そこで、三角形に蝶を加え、「さんかくちょう」と、しゃれたわけです。

■上西町のシンボルマークは何?どんな意味?

 「上西町のあの印は何?」
あれは「くくり猿」です。
上の半月形が頭で、手と足をくくられている猿を表しています。
同地区にある猿田彦神社の猿とかけたのでしょうか?
「くくり猿」は京都に多く見られたり、各地の神社で幟の下に重石として吊り下げられているのを見ることがあります。

「くくり猿」の意味は↓こちらを参考に。
八坂庚申堂
■なぜ、西町は祭礼のときだけ上西町?

  「猿田彦煙火」でお馴染みの上西町は、普段は西町と呼びます。
なぜ上西町なのでしょう?
江戸時代、新居宿場は東海道沿いに関所から、「城町(現在の泉町)」「中町」「西町」とあり、橋本へと続いていました。
何らかの理由で西町が二つに分かれることになり、思案橋から北を「下西町」思案橋から南を「上西町」としようとしたが、「下西町」の方の住民が「下」と言う文字を嫌い、「高見町」と名乗りました。
それならと、「上西町」の住民も元の「西町」に戻しましたが、一度はつけた名前だからと言うことで祭礼のときだけでも「上西町」を使うようになったとか。


■なぜ、思案橋?

  新居宿、東海道沿いに「思案橋」という地名が残っています。現在、橋はありません。
なぜ「思案橋」というのでしょう?
  江戸時代、ある大名行列が参勤交代で江戸に向かう折、新居宿に入った時ちょうど「諏訪神社祭礼」で、東海道は賑わっていた。
「さてどうしたものか、と思案したのがここだ」と古老が言う。
 江戸時代の古い地図にすでに名前が見えますから、かなり古くからあったようです。

諏訪神社境内の石垣は漁師の寄付?

 境内にある石垣をよ〜く見ますと、薄くなって来ていますが、下記のように彫られています。(●は文字不明)

明治十九年三月
●石
寄附人名

一信丸卯平
遠州丸庄作

遠湖丸徳十
松吉丸平七

住吉丸博太郎
福●丸喜十

豊松丸庄作
住吉丸銀助

金指丸市蔵

 皆さんは見つけられますか?
石垣

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