IGMA Guild School 2001
 

西暦2000年、私は日本人初のIGMAのスカラーシップに選ばれ、伝説の合宿に参加しました。そのレポートが2022年に
奇特な誰かによってまだネット上に公開されていることを知り、今回解説を加えて新しくアップすることにしました。

人生最高の7日間だったので、身内へのこれは66歳を超えた私の置き土産です。

当時私はハワイに住んでおり、その前にはカナダにいて、それぞれ現地のミニチュアクラブに所属していました。
まだネットも始まったばかりでホームページを持っているのはハワイでも数人といった状況でした。
何しろノストラダムスの大予言で地球滅亡と騒いでいた年です。あなたは何をしていましたか?





 
 IGMAとは・・・・

International Guild of Miniature Artisan 直訳すると国際ミニチュア職人協会、世界的ミニチュアアーティストの組織で、
ミニチュアアーティストの技術のレベルアップと交流 を目的にアメリカ人のButtfield 夫妻によって20年前にはじめられました。

IGMAは毎年各地でセミナーやショーを開いていますが、年に一回1週間のギルドスクールを開きます。
今年は40のクラスと20くらいのセミナーがあり、約250人が参加しました。

クラスは木工やメタル、ニードルワーク、ドール、ルームボックスなど様々な分野で活躍する匠たちが
その高い技術を直接伝授するもので、初心者から上級者までミニチュア愛好家が一同に寄宿舎生活をしながら学び交流を深めます。

今年スカラーシップを受賞したのは私(日本)、ジャネット(南アフリカ)、ジッセラ(イタリア)、ピーター(米国)の4人で
7
日間の授業料が免除になります。


この合宿は参加するのが難しく、それは参加者が最終日に翌年の予約を取ってしまうため、空きがなくなるのです。

でも唯一横入りする方法があります。それはスカラシップ(奨学生)に応募して選ばれること。もともとIGMAの会員は誰でもなれるわけでなく、
審査があり一定のレベルの技術を認められた人だけが会員になれます。
私は会員ではありませんが応募はできました。
審査は作品の写真と推薦状が必要で
ラッキーなことにカナダもハワイもミニチュアクラブでの親しい友人が教授レベルだったので
推薦状を書くのはお手の物、事務局に直接送られるため、私は見ることはありませんでしたが、たっぷり「リンゴを磨いて」と頼んだので、そのおかげかも(感謝)。


 ☆★受賞後・・・・

前年の11月はじめにスカラーシップ選考委員会から1通のカードが届きました。ちょっと実感がなかったのですが、同じ日に推薦状を書いてくれた
クラブのNさんにも通知がきて、スカラシップに受かったみたいよと電話があり、確信しました。

私は腕試しのつもりで応募したので、本当は現地メイン州まで行くつもりはなかったのですが(すごく遠い所だったのと、
交通費は自腹だったのと、学びたい科目がなかったので・・・)、ある話を聞いて行く決心をしました。

それは昔、ハワイのミニチュアクラブで誰かを代表としてこのギルドスクールに送り込んでフィードバックしようとの計画があったそうなのです。
でもその計画は結局頓挫してしまったとのこと。今私がまさにその時のみんなの夢をかなえることができるのです。
応募は内緒にしていたのですが、受賞のニュースはそういうことで皆に広まってしまい、期待を背負うことになりました。


★☆年越し前・・・

スクールは6月だというのに、前の年の12月末までにクラスの選択をしてスケジュールを決めなくてはなりません。この時点で、
すでに予約でいっぱいのクラスもあり、年々参加者も増えているようです。
送られてきたプログラムを見ながら、
皆の希望を含めてコースを決めました。

クラスは朝の7:45から545まで2時間ごとに1日4クラスあり、プロジェクトによって48時間コースから12時間コースまであります。
パズルのように組み合わせるわけで、たとえば12時間コースを2つと24時間コースを1つとか、取り組みたいプロジェクトと
スケジュールのマッチングを第3希望まで書き出して提出します。

ほかにスカラーシップの学生は自己紹介を書くのですが、参考に送ってくれた前年(3人)のプロフィールをみると
錚々たるキャリア。大学でデザインや建築を学び・・・とか。 う〜ん大学にもデザイン学校にも行ったことのない私が
よく受かったなと思うくらい皆すごいのでびっくらです。


☆★出発前・・・

年が明けてクラスが決まると、先生から手紙が届きます。準備するものが書かかれてあり、私は初挑戦としてメタルワークを選んだのですが
用意するものが、トーチとか万力とか重いものばかり。
もちろんなければ先生が用意したものを使えるのですが、クラスの人数分はないので、
できれば各自で調達したほうがよさそうなのです。
私はカタログから写真を切り抜き「こんなのもってない?」とたずね歩いたり、お店に行ったりしました。
その他のクラスはハサミとかピンセットなど普通のツールで間に合いました。

しかし、私が心配したのはツールより飛行機のことでした。行き先はイーストコースト、メイン州です。
ハワイからまず、太平洋を越えて、次にアメリカ大陸を端から端まで横断する長旅です。

まず乗り継ぎです。最低2回は乗り換えなければならず、それでなくともアメリカは飛行機の遅れが大問題になっています。
開校に間に合わないかも。次にロストバゲージ。アメリカでは乗り継ぎのため荷物がなくなることもよくあることです。
ツール類はメタルなので機内持ち込み手荷物にするとセキュリティーにひっかかるし・・・。

そこでツールはFedexで送ることにしました。

書き忘れましたが、ギルドスクールはMaine Maritime Academy(メイン・マリタイム・アカデミー以下MMAと略す)の
校舎を借りて行うので開校1週間前に荷物を送ってはいけないのです。

そして、私は前日に着く便のチケットを買って、あとはストライキが起きないことを祈るばかりでした!(よくストしてます) 


★☆到着前・・・

さあいよいよ出発、チケットよ〜し、Fedexの荷物もインターネットでもうボストンまで送られていることを確認。

すると、そこでメタルのアラン先生からEメール。Bangorエアポートに行くのにConairを使うならストをしてて欠航だよ。
僕の便はキャンセルされたけど君は大丈夫?との連絡がありヒヤリ。

でも私はラッキーにもAmericanだったのでホッ。


☆★さていよいよ出発・・・

1人旅はイギリス留学以来15年ぶり。でもあの時は直行だったからなとちょっと不安を抱えながらホノルルを飛び立ちました。
まずはサンフランシスコで乗り換え。
時間は夜9時ハワイ時間ではまだ夕方6時。Eメールを送れる電話を探して
空港をウロウロしたけど、結局特定のメルアドしか使えないことがわかり、諦らめました。

ぎっしりつめたカートバックとショルダーバックが結構重く、フードコートの奥にラーメン屋さんを見つけたけど、
面倒なので寄らずにゲートへ向かいました (実はこの決断が後々まで緒を引くことになろうとは・・・)。

サンフランシスコ夜10時発ボストン行きは夜食か朝食が出ると思ったのに、これがジュース1杯だけ。
チェックインしたときに小型機だったのでちょっとヤな予感がしたのだけど案の定。結局晩飯抜き。
ボストン空港で何か食べようと就寝。(これがまた敗因になろうとは・・・)。


やっと夜行便は朝のボストンに降り立ちました。(このときハワイタイムで夜中の2時)眠い。

ここからはユナイテッドからアメリカンに乗り換えなければならないので、とにかくチェックインを先に済ませることに。
すでにチケットには座席番号まで書いてあるけど、信用できないのでとにかくカウンターへ向かいます。(ここらへんは外国生活で学んだ術)

ところがこのアメリカン、ターミナルの一番端。重いカートを引きずりながら、レストランの位置を横目で確認して
やっとたどり着いたのは奥の奥。チェックインを済ませて、見回しても近所には売店しかなく、朝なのでやっと従業員が来たところ。
搭乗ももうすぐなので、さっきのレストランまでは行けないし。トホホのホ。またも諦める事になりました。

ここからは40人乗りの小さなジェットなので機内食はでないだろうと確信し、仕方なく開いたばかりの売店で
食べたくないマフィンを買いました
眠くてお腹もすいてる楽しくない状況が続きます。

こうなったら到着のBangorエアポートに賭けるしかない。インターナショナルと銘うっているし、HPも持っているんだから
何かあるだろうと気を持ち直しました(実はそれどころではないことが待っていた)。というわけで、ここまで晩食、朝食ぬきです。

 


最初のパニックが待っていた。

★☆いよいよキャスティーンへ

さて、終着地Bangorエアポート。しかし予想通り小さく、朝の8時では店も開いてませんでした。しかも空港の周りにも何もないローカルな空港。。トホホが続きます。
しかし、この悲惨な”お腹がすいて眠い”という状況を忘れさせてくれる事が次の数時間起こったのでした。
それは”何と迎えがいない!”。ちゃんと予約してお金まで払ったのに、迎えのプラカードもメッセージも車も見当たりません。

来てないのか、それとも忘れられているのか。(日本ではともかく、こっちの国ではよくあること)。もうロビーには、誰もいなくなり静まりかえっています。
しかたがないので、1台しか停まっていない地元のタクシーのおじさんに聞いてみました。

「MMAのシャトルってどんな色してるかご存知ですか?」と聞くと、そのおじさんはなんと「そんなの見たことないし、聞いたことないよ」と
おっしゃって下さったのでした。「ええっ〜!!!そんな〜バカな。」

そこでMMAに電話をかけると・・・・通じない!!。「ええっ〜そんな〜アホな¥! ←とややパニックに。
こういうときは関西人モードにでもなって受け止めないとやってられない。 (・・ ってそんなヒマはないのに)

市外局番や長距離番号をかけてもだめ。どうなってるの?何をやってもお金が戻ってきてしまうし、
オペレーターはブロックされてるっていうし・・・。(どないなってんねん)

少しオロオロモードになっていると、さっきのタクシーのおじさんが遠くから見ていたようで、自分の携帯で試してくれました。
すると・・・おおっ!つながった(なんでやねん←でも少し安心モード「ホッ 」) 

今そっちに向かっているからとそば屋の出前みたいな確認をもらい外で待つことになりました。
「おじさん、ありがとう!」 と5ドルを渡しました。チップじゃなくて通話料として受け取って。おかげで助かりました。(と普通モードに戻る

やがて学校のロゴが車体に書いてあるてバンに乗った学生バイト君到着。バイト君が遅れた理由は、私の到着時間がリストの一番下に
手書きで書いてあったので見落としたらしい。次に来る人が一番上に書いてあり、あと2〜3人待って学校に向かうということでした。

ここは思ったより暖かいな、と始めて天候に気がつく余裕がでたものの、気が付けば眠くて空腹、お腹ぐーぐーな私。学校までは1時間半の道のりらしいです。
同乗者がきたらハワイからきたので時差を言い訳に、学校まで車内では寝かせてもらうおうと、英語の言い訳を考えつつボーっとしていました。

しばらくして、小柄な小太りのシニアの白人女性がバイト君とやってきて簡単な自己紹介。カリフォルニアから来たこの人、
バーバラといいダンナさんは日系人だのことでした。日本語は話せないけれど、親近感をもって色々話かけてくれました。

バイト君が次の便まで1時間以上あるので私たちを先に送ると言ってくれましたが、おかげで話が続き、
車内での不眠解消作戦は遂行できなくなりました(まっいいか。

車は田舎道をゆられて一見のどかに走っていきます。彼女はギルドスクールはもう4回目とかで「スティーブ・キングの家はこの近くだったわよね?」などと
バイト君と、会話がはずんでいます。
しかし私はこの悪路と車の乗り心地の悪さに不眠と空腹の体を弄ばれて、ちょっと気持ち悪くなり、
シートベルトとGパンのゴムをこっそりゆるめました。もう駄目かと思った寸前に車はMMAに到着したのでほっとしました。

ここキャスティーンは出島のように細い部分でつながっている島のようで、すこし丘になっています。
緑が多く軽井沢に似ていますが、やはりここもお金持ちの別荘地のようです。
スクールはこの丘の中腹にあり、寄宿棟の他6つ以上の建物がキャンパスの中に点在しています。
詳しくはMMAのHPを参照してね、どんなところかわかります。  http://www.mainemaritime.edu/

今卒業式が終わって、新学期までの1ヶ月、空き校舎を様々な団体などに貸し出して学校運営費を稼いでいるのです。
(外国はどこでもそう、日本もやればいいのに)

さてさて、どうなることやら・・・・、


今思うと40過ぎの英語もつたないおばさんがこの一人旅をよくやったなと思います。
アメリカもまだ平和な時代で湾岸戦争もテロもこのあとやってくるのです。

何度も言いますが、これは1999年、アメリカの大統領はクリントン、日本は小渕恵三で円相場は125円から105円までの乱高下、
ノストラダムスの大魔王が来る月です


IGMAとは・・・
International Guild of Miniature Artisan 直訳すると国際ミニチュア職人協会、世界的ミニチュアアーティストの組織で、ミニチュアアーティストの技術のレベルアップと交流 を目的にアメリカ人のButtfield 夫妻によって20年前にはじめられました。
IGMAは毎年各地でセミナーやショーを開いていますが、年に一回1週間のギルドスクールを開きます。これはミニチュア界唯一のスクールで、今年は40のクラスと20くらいのセミナーがあり、約250人が参加しました。
クラスは木工やメタル、ニードルワーク、ドール、ルームボックスなど様々な分野で活躍するアーティストがその高い技術を直接伝授するもので、初心者から上級者までミニチュア愛好家が一同に寄宿舎生活をしながら学び交流を深めます。
今年スカラーシップを受賞したのは4人で私(日本)、ジャネット(南アフリカ)、ジッセラ(イタリア)、ピーター(米国)と国際豊かな顔ぶれになりました。
スカラーシップの応募の締め切りは毎年8月末です、詳細はIGMAのホームページ www.igma.org をごらんください。次はあなたですよ。 

☆★受賞後・・・・
11月はじめにスカラーシップ選考委員会から1通のカードが届きました。ちょっと実感がなかったのですが、同じ日に推薦状を書いてくれたクラブのNさんにも通知がきて、スカラシップに受かったみたいよと電話があり、確信しました。
私は腕試しのつもりで応募したので、本当は現地メイン州まで行くつもりはなかったのですが(すごく遠い所だったのと、交通費は自腹だったのと、学びたい科目がなかったので・・・)、ある話を聞いて行く決心をしました。
それは昔、ハワイのミニチュアクラブで誰かを代表としてこのギルドスクールに送り込んでフィードバックしようとの計画があったそうなのです。でもその計画は結局頓挫してしまったとのこと。今私がまさにその時のみんなの夢をかなえることができるのです。応募は内緒にしていたのですが、受賞のニュースはそういうことで皆に広まってしまい、期待を背負うことになりました。

★☆年越し前・・・スクールは6月だというのに、前の年の12月末までにクラスの選択をしてスケジュールを決めなくてはなりません。この時点で、すでに予約でいっぱいのクラスもあり、年々参加者も増えているようです。
送られてきたプログラムを見ながら、皆の希望を含めてコースを決めました。
クラスは朝の7:45から5:45まで2時間ごとに1日4クラスあり、プロジェクトによって48時間コースから12時間コースまであります。パズルのように組み合わせるわけで、たとえば12時間コースを2つと24時間コースを1つとか、取り組みたいプロジェクトとスケジュールのマッチングを第3希望まで書き出して提出します。
ほかにスカラーシップの学生は自己紹介を書くのですが、参考に送ってくれた前年(3人)のプロフィールをみると皆
錚々たるキャリア。大学でデザインや建築を学び・・・とか。 う〜ん大学にもデザイン学校にも行ったことのない私がよく受かったなと思うくらい皆すごいのでびっくらです。

☆★出発前・・・年が明けてクラスが決まると、先生から手紙が届きます。準備するものが書かかれてあり、私は初挑戦としてメタルワークを選んだのですが用意するものが、トーチとか万力とか重いものばかり。
もちろんなければ先生が用意したものを使えるのですが、クラスの人数分はないので、できれば各自で調達したほうがよさそうなのです。
私はカタログから写真を切り抜き「こんなのもってない?」とたずね歩いたり、お店に行ったりしました。その他のクラスはハサミとかピンセットなど普通のツールで間に合いました。

しかし、私が心配したのはツールより飛行機のことでした。行き先はイーストコースト、メイン州です。
ハワイからまず、太平洋を越えて、次にアメリカ大陸を端から端まで横断する長旅です。
まず乗り継ぎです。最低2回は乗り換えなければならず、それでなくともアメリカは飛行機の遅れが大問題になっています。開校に間に合わないかも。次にロストバゲージ。アメリカでは乗り継ぎのため荷物がなくなることもよくあることです。ツール類はメタルなので機内持ち込み手荷物にするとセキュリティーにひっかかるし・・・。
そこでツールはFedexで送ることにしました。書き忘れましたが、ギルドスクールはMeine Maritime Academy(メイン・マリタイム・アカデミー以下MMAと略す)の校舎を借りて行うので開校1週間前以前に荷物を送ってはいけないのです。
そして、私は前日に着く便のチケットを買って、あとはストライキが起きないことを祈るばかりでした!(よくストしてます) 

★☆到着前・・・さあいよいよ出発、チケットよ〜し、Fedexの荷物もインターネットでもうボストンまで送られていることを確認。
すると、そこでメタルのアラン先生からEメール。Bangorエアポートに行くのにConairを使うならストをしてて欠航だよ。僕の便はキャンセルされたけど君は大丈夫?との連絡がありヒヤリ。
でも私はラッキーにもAmericanだったのでホッ。

☆★さていよいよ出発・・・1人旅はイギリス留学以来15年ぶり。でもあの時は直行だったからなとちょっと不安を抱えながらホノルルを飛び立ちました。まずはサンフランシスコで乗り換え。
時間は夜9時ハワイ時間ではまだ夕方6時。Eメールを送れる電話を探して空港をウロウロしたけど、
結局特定のメールアドレスしか使えないことがわかり、あきらめました。
ぎっしりつめたカートバックとショルダーバックが結構重く、フードコートの奥にラーメン屋さんを見つけたけど、面倒なので寄らずにゲートへ向かいました (実はこの決断が後々まで緒を引くことになろうとは・・・)。
サンフランシスコ夜10時発ボストン行きは夜食か朝食が出ると思ったのに、これがジュース1杯だけ。チェックインしたときに小型機だったのでちょっとヤな予感がしたのだけど案の定。結局晩飯抜き。ボストン空港で何か食べようと就寝。(これがまた敗因になろうとは・・・)。
やっと夜行便は朝のボストンに降り立ちました。(このときハワイタイムで夜中の2時)眠い。
ここからはユナイテッドからアメリカンに乗り換えなければならないので、とにかくチェックインを先に済ませることに。すでにチケットには座席番号まで書いてあるけど、信用できないのでとにかくカウンターへ向かいます。(ここらへんは外国生活で学んだ術)
ところがこのアメリカン、ターミナルの一番端。重いカートを引きずりながら、レストランの位置を横目で確認してやっとたどり着いたのは奥の奥。チェックインを済ませて、見回しても近所には売店しかなく、朝なのでやっと従業員が来たところ。搭乗ももうすぐなので、さっきのレストランまでは行けないし。トホホのホ。またも諦める事になりました。
ここからは40人乗りの小さなジェットなので機内食はでないだろうと確信し、仕方なく開いたばかりの売店で食べたくないマフィンを買いました
眠くてお腹もすいてる楽しくない状況が続きます。
こうなったら到着のBangorエアポートに賭けるしかない。インターナショナルと銘うっているし、HPも持っているんだからなんかあるだろうと気を持ち直しました(実はそれどころではないことが待っていた)。というわけで、ここまで晩食、朝食ぬきです。

最初のパニックが待っていた。
★☆いよいよキャスティーンへ
さて、終着地Bangorエアポート。しかし予想通り小さく、朝の8時では店も開いてませんでした。しかも空港の周りにも何もないローカルな空港。。トホホが続きます。
しかし、この悲惨な”お腹がすいて眠い”という状況を忘れさせてくれる事が次の数時間起こったのでした。
それは”何と迎えがいない!”。ちゃんと予約してお金まで払ったのに、迎えのプラカードもメッセージも車も見当たりません。
来てないのか、それとも忘れられているのか。(日本ではともかく、こっちの国ではよくあること)。
もうロビーには、誰もいなくなり静まりかえっています。
しかたがないので、1台しか停まっていない地元のタクシーのおじさんに聞いてみました。
「MMAのシャトルってどんな色してるかご存知ですか?」と聞くと、そのおじさんはなんと「そんなの見たことないし、聞いたことないよ」とおっしゃって下さったのでした。「ええっ〜!!!そんな〜バカな。」
そこでMMAに電話をかけると・・・・通じない!!。「ええっ〜そんな〜アホな¥! ←とややパニックに。
こういうときは関西人モードにでもなって受け止めないとやってられない。 (・・ ってそんなヒマはないのに)
市外局番や長距離番号をかけてもだめ。どうなってるの?何をやってもお金が戻ってきてしまうし、オペレーターはブロックされてるっていうし・・・。(どないなってんねん)
少しオロオロモードになっていると、さっきのタクシーのおじさんが遠くから見ていたようで、自分の携帯で試してくれました。すると・・・おおっ!つながった(なんでやねん←でも少し安心モード「ホッ 」) 
今そっちに向かっているからとそば屋の出前みたいな確認をもらい外で待つことになりました。
「おじさん、ありがとう!」 と5ドルを渡しました。チップじゃなくて通話料として受け取って。おかげで助かりました。(と普通モードに戻る
やが学校のロゴが車体に書いてあるてバンに乗った学生バイト君到着。バイト君が遅れた理由は、私の到着時間がリストの一番下に手書きで書いてあったので見落としたらしい。次に来る人が一番上に書いてあり、あと2〜3人待って学校に向かうということでした。
ここは思ったより暖かいな、と始めて天候に気がつく余裕がでたものの、気が付けば眠くてお腹ぐーぐーな私。
学校までは1時間半の道のりらしいです。
同乗者がきたらハワイからきたので時差を言い訳に、学校まで車内では寝かせてもらうおうと、英語の言い訳を考えつつボーっとしていました。
しばらくして、小柄な小太りのシニアの白人女性がバイト君とやってきて簡単な自己紹介。カリフォルニアから来たこの人、バーバラといいダンナさんは日系人だのことでした。日本語は話せないけれど、親近感をもって色々話かけてくれました。
バイト君が次の便まで1時間以上あるので私たちを先に送ると言ってくれましたが、おかげで話が続き、車内での不眠解消作戦は遂行できなくなりました(まっいいか。
車は田舎道をゆられて一見のどかに走っていきます。彼女はギルドスクールはもう4回目とかで「スティーブ・キングの家はこの近くだったわよね?」などとバイト君と、会話がはずんでいます。
しかし私はこの悪路と車の乗り心地の悪さに不眠と空腹の体を弄ばれて、ちょっと気持ち悪くなり、シートベルトとGパンのゴムをこっそりゆるめました。もう駄目かと思った寸前に車はMMAに到着したのでほっとしました。

ここキャスティーンは出島のように細い部分でつなっがっている島のようで、すこし丘になっています。
緑が多く軽井沢ににていますが、やはりここもお金持ちの別荘地のようです。
スクールはこの丘の中腹にあり、寄宿棟の他6つ以上の建物がキャンパスの中に点在しています。
詳しくはMMAのHPを参照してね、どんなところかわかります。  http://www.mainemaritime.edu/
今卒業式が終わって、新学期までの1ヶ月、空き校舎を様々な団体などに貸し出しているのです。
さてさて、どうなることやら、
次のページへ続く
ホームページに戻る