昭和43年(1968年)に関西の「登竜門戦」がスタートして、第1期に
名古屋の尾関一男初段格、第2期に浜松の間宮昭一三段格が参戦。


 45年から登竜門戦の東海地区予選が実施されるようになり、48年
までの4年間は、関西と東海の優勝者同士で決勝戦を行っていました。

 47年からは静岡県予選も実施されるようになり、当時の静岡県支部
井上富雄顧問・大石静山七段・鈴木豊重支部長などの御尽力があった
とのことです。

 49年には関西地区より分離独立して「東海登竜門戦」という名称
でしたが、連珠世界51年(1976年)8月号で新名称を募集。可美村
(現浜松市)の尾林宣治氏他2名より応募のあった「青雲戦」と決定、
翌52年第1期が実施されました。
 
 愛知・岐阜・三重を管轄する東海支部と静岡県支部の両方で予選を
行って、第1期は上位3名ずつ計6名で決勝リーグを戦い、決勝上位
3名に「第4期全日本連珠十傑戦」東海地区一次予選出場権が
与えられました。

 第2期からは予選優勝者同士による決勝3番勝負の方式となり、
予選上位2名ずつに十傑戦一次予選出場権となったようです。

 その後、十傑戦が第7期を最後に中止となりましたので、第5期
青雲戦からは「全日本連珠名人戦」東海地区一次予選出場権と
変更になったようです。

 第28期(平成16年)から、静岡県予選に県外からの参加を認め、
県予選を兼ねた浜松大会としました。双竜戦と同じように、県外の
方は昇段を目指しての戦いとなります。

 なお、登竜門戦静岡県予選から青雲戦静岡県予選に引き継がれた
持ち回りトロフィーは、井上富雄顧問(当時)より寄贈されたものだ
そうです。
               参考文献 連珠世界'76年11月号
                           '77年3月号 など

青雲戦の歩み