「全日本連珠名人戦」は40年の歴史を重ね、数多くのドラマが繰りひろげ
られてきました。
 
 発足当初は、東海地区単独での出場枠がなかったので、東日本や関西の
予選に出場していたようです。

 石谷信一八段(富士市)が第6期(五段格時)と第8期(五段時)に東日本の
予選を突破して「名人戦挑戦者決定リーグ戦」(A級リーグ戦)に進出しました。

 第8期か9期頃より中部地区一次予選が実施され、勝者が関西の二次予選に
進出、という方式だったようですが、三好丈夫八段(愛知)が第8期・11期(六段
時)・12期(七段時)に関西の二次予選を突破してA級リーグ戦に進出しました。

 
 第13期より東海地区単独での出場枠「1」が設けられて、その第13期は推薦
により東義秀九段(名古屋)がA級リーグ戦に出場しました。

 翌年の第14期からは、一次予選・二次予選を実施して、東海地区代表1名を
決めていました。(15期は石谷七段が二次予選にシード)

 第16期から一次予選を愛知・岐阜・三重を管轄する東海支部(名古屋)と
静岡県支部(浜松)の両方で実施して、上位2名ずつ計4名が二次予選に進出
という方式になったようです。

 前期A級戦勝率5割以上等で二次予選にシードされた場合(16期 小塚五格・
現七段、17期 石谷七段、18期 三好八段)があり、二次予選を5名で争った
年もあります。

 第21期からは二次予選への出場枠が東海支部「1」・静岡県支部「3」となり、
石谷八段が二次予選にシードされた24期・27期については、静岡県からの
出場枠は「2」でした。

 第30期からは一次予選を浜松のみで実施となり、上位4名が二次予選進出と
なりました。石谷八段が二次予選にシードされた30期・37期は、上位3名を進出
として、二次予選を4名で争っています。

 なお、浜松での一次予選は、33期までは「2敗失格方式」で、34期からは
「スイスシステム4試合制」を採用しています。

 二次予選のデータをまとめてみました。

名人戦東海地区予選の歩み