『浜珠戦』は、ローカル連珠会の技量上達を目指して、1973年(昭和48年)1月にスタート
した浜松連珠会のリーグ戦で、例会・研究会で先後2番勝負で実施されました。1期終了に
3〜4ヵ月かかったようです。


 第1期は、「登竜門戦と同じ方法を採用して桂間連の21珠型」との記録がありますので、
おそらく「桂間連握り」の方式だったと思われます。第4期からは珠型を決めて実施したの
だと思いますが、残念ながら私のところには当時の詳しい記録がありません。
 16期(桂)・17期(間)・18期(連)は、桂間連ごとの一種除き・五珠三ヵ所指定打ちという
特殊な打ち方が試みられました。
 60期から67期までは、公式戦で新しく採用された「三珠交替打ち」を練習のために実施
しました。68期からは珠型を全24種に広げ、先手必勝と言われる浦月・花月は五珠三ヵ所
指定打ちとしました。


 優勝者の決定方法は、同点決勝をやった時もあるようですが、勝ち点優先方式や勝ち点
プラス出席率優先方式を採用。2人が優勝、さらには3人が優勝、という場合がありました。


 会場は、発足時は間宮昭一三段(当時会長)宅で、竜禅寺公会堂でも実施されました。
その後、鈴木豊重五段宅に変更されて、1975年頃は舞阪町民センターと中沢いこいの家
を加えた3ヵ所で実施。76年頃は鈴木氏宅と舞阪。77〜78年頃は鈴木氏宅のみでした。
 79年頃より第1月曜日夜(5時半〜9時半)に鈴木氏宅、第3日曜日午後に尾林宣治氏宅
の2会場となりましたが、92年頃より鈴木氏宅のみとなりました。
 93年12月には、静岡新聞に案内を出して西部公民館でも1度実施しました。

 新人の発掘・育成は長年の課題でしたが、夜だと級位者や小中学生等が参加しにくい
ので2002年より日曜日の午後に変更。中沢町公民館を主会場として、浜松まつりの関係で
借りられない4月等は、浜松市農村環境改善センターを借りて実施してきました。


 2004年12月に北部公民館で初めて実施して、2005年は北部公民館と中沢町公民館の
どちらかで実施してきました。2006年は、予約が取れれば全て北部公民館の予定です。


 また、青雲戦・双竜戦・浜松アマ大会・名人戦一次予選・東海選手権戦一次予選のある
月は、例会が実施されません。そのため、従来は3ヵ月くらいかけて1期を終了していました
が、1日で1期を終了することにしました。

 運営方法等はまだ確立していませんが、中高大生や女性の参加があり、にぎやかに
なってきました。有段者と級位者、ベテラン・若手・新人入り乱れてのバトルに、あなたも
ぜひ一度ご参加下さい。


 なお、「浜珠戦」の命名は鈴木豊重五段(前浜松連珠会長・初代静岡県支部長)です。

                参考文献 連珠世界1972年6月号(登竜門戦に関して)
                             1973年8月号
                             2001年12月号


浜珠戦の歴史