ゴルフという遊び

 今の社会では、その仕組みが複雑・高度化したが故に遊びというものが重要な要素として考えられるようになってきています。多様な遊びは、職場や教育といった従来では思いも及ばなかった処にまで進出し、かつ、生み出されています。遊びはもはや社会的認知を充分に得たものと考えられます。遊びの深化が人々の豊かな生活に直結し且つ保障しているのだと言ってもいいでしょう。
 古くは遊びというと、何の生産性もない無駄なものとの思いが先行していました。ゴルフも多くの苦難の時代があったように聞いています。それを乗り切って今のゴルフブームがあるのですが、ボールを穴に入れるだけの遊びに何故にこうも多くの人々が引き付けられてきたのでしょうか。

 効率化が叫ばれリストラ流行りの昨今、遊びの中でも特に出費がかさむゴルフは特異な目で見られがちです。無駄の代名詞のように言われ肩身の狭い思いを強いられのが日常です。祭日などに行こうものなら2万円の出費と奥様の悲鳴を覚悟しなければなりません。ゴルフは数多ある遊びの中でも経済的無駄の多い遊びと言わざるを得ません。

 そんな四面楚歌の状態の中で、先人たちはゴルフという遊びを周りの人に、否、自分自身にどう認知させてきたのでしょうか。ゴルフの特性を見極めそこに”道”を見出すよう心掛けてきたのではないかと私は想像します。遊びには欲深いほどに多くの事を求めるべきです。単に”芸”に勤しむのではなく自他の為の”道”に励む事が大切なのではないでしょうか。ゴルフの達人と呼ばれる人々にお会いしてこの思いは更に募り今では確信するまでとなりました。
 緑の自然に抱かれ仕事とは全く違う角度から物事を眺め、何事にも換えられない爽やかな時を過ごし、豊かな人生にとって大きなヒントを得られるよう、ものの見方・考え方の想像主としてのゴルフと相対したいとそう考えています。それに応えられるだけの深みのある遊びがゴルフであると信じています。

余暇利用のHPのTOPへ

ボギーゴルフTOPへ