赤ずきん

 むかし昔、あるところにちいさな愛くるしい女の子がありました。この子ときたら、ほんのちょっと見ただけのものにもかわいがられたくらいですが、この子を、だれよりも一番かわいがっていたのは、なんといっても、この子のお祖母さんで、これはまた、この子には何をやったらいいのかとこまるほどのかわいがりかたでした。

 あるとき、おばあさんは、この子に赤びろうどの頭巾をやりました。すると、これがこの子にたいへんよく似合って、それからはもうほかのものはかぶらなくなったので、みんながこの子のことを、赤ずきん、赤ずきん、とばかりいうようになりました。

 ある日のこと、おかあさんが赤ずきんに言いました。

「赤ずきんや、ちょいとおいで。ここにね、大きな上等のお菓子が一つと、ぶどう酒が一本あるの。これ、おばあさまのとこへもってってちょうだい。おばあさまは、御病気でよわってらっしゃるでしょ、こういうもの、おくすりになるのよ。さあ、暑くならないうちに行ってらっしゃい。それからね、外へ出たらおでんばしないで歩くのですよ、わき路へはいっちゃ、だめよ、そんなことすると、ころんで、瓶ををこわしますよ、ね、おばあさまへあげるものがなくなっちまうでしょ。それからね、おばあさまのおへやへはいったら、お早うございますって言うのを忘れちゃいけないことよ。はいってすぐに、そこいらじゅう、きょろきょろ、見まわしたりなんかしちゃいけませんよ。」

「そんなこと、あたし、だいじょうぶだわよ。」

 赤ずきんはこう言って、おかあさんと握手しました。

 ところで、そのお祖母さんというのは、村から30分ぐらいかかる森の中にすまっているのです。赤ずきんが、いよいよ森にさしかかったとき、ばったりでくわしたのは、例の狼です(おおかみは、わるいことばかりするけだものとして人に知られ、昔話にもよくでてくるので、ここでも「例の」狼と言ったのですが)。赤ずきんは、おおかみというものがどんな悪いことをするけだものだか知らないので、おおかみをこわいとも思いません。

「こんにちは、赤ずきん。」と、狼が声をかけました。

「ありがとう、おおかみさん。」

「赤ずきん、どこ行くの、こんなに早くから。」

「おばあさまんとこよ。」

「なにもってるの、まえかけの下に。」

「お菓子とぶどう酒よ。昨日やいたの。これ、病気でよわっているおばあさまにいいのよ。からだへ力がつくのよ。」

「どこ、おばあさんのおうちは。」

「森のずうっと奥のほう、まだだいじょうぶ15分はかかるは。大きなかしわの木が3ほんあって、この下におばあさまのおうちがあるのよ。下には、はしばみの生垣があるわよ。おおかみさん、ちゃんと知ってるじゃないの。」と、赤ずきんが言いました。

 狼は考えたものです。「わかくって、やわらかい、こいつ、脂がのっていて、うまいぞ、こいつあ、ばばあよりずっとうめえや。いちばん、なんとかだまくらかして、2匹とも、ぱっくりやっちまう算段をするにかぎる。」

 狼はすこしのあいだ赤ずきんとならんであるきましたが、やがて、

「ねえ、赤ずきん、ちょいと見てごらんよ。そこいらじゅうに咲いているきれいな花をさ。どうしてまわりを見ないの?小鳥があんなにおもしろい歌をうたってるのが、赤ずきんにゃてんできこえないんだねえ。まるで学校へでも行くように、むきんなってあるいてるじゃないか。うちんなかとちがって、森はこんなに浮々とおもしろいのになあ。」と言いました。

 赤ずきんは目をあげました。そして、日の光が木の間をもれてあっちこっちと踊りをおどっていたり、どこもかしこもきれいな花でいっぱいなのを見ると、「とりたての花束をおもやげにあげたら、おばあさま、きっとお喜びんなることよ。こんなに早いんですもの、だいじょうぶ、おくれずにむこうへ行かれるわ」と、考えて、森の横道へ入り込んで、いろいろの花をさがしはじめました。

 お花を一本手折ると、もっとさきへ行ったらこれよりきれいなのがあるのだろうと思って、花から花を追いかけて、森の奥へ奥へとはいりこみました。

 ところで、おおかみのほうは、そのまま、まっすぐにおばあさんのおうちへ行って、とんとんと戸をたたきました。

「どなたかの。」

「赤ずきんよ。お菓子とぶどう酒をもってきたの。あけてちょうだいな。」

「かまわないから、把手を押しておくれ。」というおばあさんの声がしました。「おばあさんはよわってて、起きられないからね。」

 おおかみは把手をぐいっと押しました。戸がぴんとあきました。狼は一言も言わず、いきなりおばあさんの寝床へ行って、おばあさんを、ぐいぐい、鵜呑みにしてしまいました。それから、おばあさんの着物を着て、おばあさんのずきんをかぶって、おばあさんの寝床へもぐりこんでカーテンをひいておきました。

 赤ずきんは赤ずきんで、花から花へと歩き回っていましたが、集めるだけ集めて、もう一本も持てなくなると、やっとおばあさんのことを思い出して、おばあさんのとこへ行くことにしました。

 行ってみると、おもての戸があいていたので、赤ずきんは、不思議に思いました。それからお部屋へ入ると、中の様子が、なんだかいつもと変わっているような気がして、「まあ、どうしたのだろ、今日に限って、なんだか気味が悪いこと。いつもは、おばあさまんとこへくるとうれしいのにねえ。」と考えました。

「おはようございます。」と、大きな声をしてみましたが、なんの返事もありません。

 すぐ、ねだいのところへ行ってカーテンをあけてみましたら、おばあさんが、ずきんを顔のほうまでかぶって、奇妙な格好をして寝ていました。

「あらまあ、おばあさま。おばあさまのお耳、おっそろしく大きいのねえ。」

「だから、おまえの言うことが、よくきこえるのにさ。」

「まあ、あばあさま、おばあさまの目、ずいぶん大きいのねえ。」

「これでなきゃ、おまえがよく見えやしないやあね。」

「まあ、おばあさま、おばあさまのお手々、ばかばかしく大きいのねえ。」

「これでなきゃ、おまえをうまくつかめやしないやあね。」

「だけどねえ、おばあさま、おばあさまのお口の大きいこと、あたし、びっくりしちゃったわ。」

「これでなきゃ、おまえをうまくたべられやしないやあね。」

 こう言ったか言わないうちに、狼は、寝床から一足とびに跳びだしてきて、かわいそうに、赤ずきんを、ぱくりと飲み込んでしまいました。

 狼は食べたいだけ食べて、お腹の虫が、ぐうぐういわなくなったので、また寝床へもぐりこむと、そのまま寝込んでしまって、ばかばかしく大きないびきをかきだしました。

 おなじみの狩人が、その時ちょうどこの家の前を通り合わせて「ばあさまが、べらぼうないびきをかいているぞ、どうかしたのじゃないか、見てやらずばなるまい。」と考えました。それで、お部屋へ入って、寝台の前へくると、かねて目をつけてる狼が布団にくるまっているのが見えました。

「こんちくしょうめ、こんなとこにいやがる。長いこと捜させやがったわい。」

 狩人はこう言って、鉄砲をほっぺたへあてて狙いをつけようとしましたが、その時、狼のやろう、ばあさまを食べたのじゃないかな、それに、まだ命が助かるかもしれないぞと思いついたので、鉄砲を撃つのをやめにして、はさみを手にとって、ぐうぐう寝ている狼のお腹を、じょきじょき、切り出しました。

 2,3べん切ったら、目のさめるような真っ赤なずきんが見えました。それからまた2,3べん、じょきじょきとやりましたら、女の子が飛び出して、

「ああ、びっくりしたこと!狼のお腹ん中、真っ暗なのねえ。」と、大きな声をしました。

 それから、その次には、年をとった赤ずきんのおばあさんもお腹から出てきました。おばあさんは、生きてはいましたが、呼吸も絶え絶えでした。

 それはそうと、赤ずきんは、大きな石っころをいくつもいくつも、すばしっこく持ってきて、みんなでそれを狼のお腹の中へ詰め込んだのです。

 狼は目を覚まして、一足飛びに逃げ出そうとしました。けれども、お腹の石ころが重たいので、すぐべたべたと倒れて死んでしまいました。

 これを見て、3人ともまずこれでいいと安心しました。狩人は狼の毛皮を剥ぎ取って、それをお土産に持って帰りました。おばあさんは、赤ずきんの持ってきてくれた上等のお菓子を食べたりぶどう酒を飲んだりして、元気を盛り返しました。それから赤ずきんは、「おかあさんがいけないとおっしゃるのに、自分一人で森の脇道へ入り込むようなことは、生涯2度とふたたびやるまい。」と考えました。

 

 この物語を福祉の目で解釈すると、利用者へサービスを提供するために必要なことを意味している。施設職員は基本的にいいサービスを提供したいと考えているが、自分自身の中で重労働が待っている。

赤ずきんの物語自体一個人の中でのことと解釈できる。登場人物である赤ずきんは自分自身、お母さんは母性、狼はグレートマザー、狩人は父性、そしておばあさんはサービス対象者であると解釈できる。

母性であるお母さんは赤ずきんに言った。「赤ずきんや、ちょいとおいで。ここにね、大きな上等のお菓子が一つと、ぶどう酒が一本あるの。これ、おばあさまのとこへもってってちょうだい。おばあさまは、御病気でよわってらっしゃるでしょ、こういうもの、おくすりになるのよ。さあ、暑くならないうちに行ってらっしゃい。それからね、外へ出たらおでんばしないで歩くのですよ、わき路へはいっちゃ、だめよ、そんなことすると、ころんで、瓶ををこわしますよ、ね、おばあさまへあげるものがなくなっちまうでしょ。それからね、おばあさまのおへやへはいったら、お早うございますって言うのを忘れちゃいけないことよ。はいってすぐに、そこいらじゅう、きょろきょろ、見まわしたりなんかしちゃいけませんよ。」お母さんは大きな上等のお菓子とぶどう酒をもってってと指示するが、大きな上等のお菓子とぶどう酒は福祉サービスと解釈することが出来る。対象者はおばあさんである。福祉の現場ではサービス対象者にあたる。おばあさんは村から30分ぐらいかかる森の中に住んでいる。森というのは一般的に無意識と解釈されることが多い。この場合も無意識と解釈することが出来る。おばあさんは森の中に住んでいる、心理学的に解釈すると、サービス対象者であるおばあさんは無意識の中に住んでいると解釈できる。お母さんは母性である。母性とは愛する対象に向けて愛情を注ぐことである。一般的に母は愛する対象である子供に愛情を注ぐ。この物語においては、母性は愛する対象であるおばあさんに愛情を注ぐために、上等のお菓子とぶどう酒を提供する。お母さんは実在するのではなく象徴であると解釈できる。もしお母さんが象徴ではなく実在するならば、赤ずきんにサービス提供を頼むのではなく、自分で上等のお菓子とぶどう酒をおばあさんへ持っていくのではないか。母性であり、象徴としてお母さんという言葉を使用していると思われる。

赤ずきん(自分自身)はよりよいサービスを提供するためにおばあさんの家へ出掛けた。赤ずきんはおばあさんの家へ行く途中で狼に出会う。狼はグレートマザーと解釈できる存在である。狼は赤ずきんを食べてしまおうと計画を立てる。狼の懸念はおばあさんの存在であった。赤ずきんを食べるためには、先回りしおばあさんを食べてしまわなければならない必要があった。グレートマザーである狼は自分自身である赤ずきんを飲み込んでしまう存在である。福祉の現場においては、「仕事において精神的な楽をしたい。」などの願望がこれにあたる。

@面倒なことがあると、無視してしまう・・・・責任回避

A利用者の声を聞かない・・・・毎回同じ話を聞かされると、面倒くさくなり話を聞かなくなってしまう。

B個人を尊重しない・・・・要望が出ると、集団原理を持ち出す。「集団生活だからがまんしなさい。」、「あなただけではないんだよ。」

 このような狼に飲み込まれてしまうと、福祉施設職員としてのアイデンティティを失ってしまう。特に施設経験が長い職員ほど狼に飲み込まれてしまう場合が多い。自分が楽をするために、今の自分を守るために仕事をするようになる。他の言い方をすれば、サービス対象者のための仕事ではなく、自分を守るための仕事になってしまう。狼は自分自身だけでなく、サービス対象者であるおばあさんも飲み込んでしまう。グレートマザーの暴走である。こうなるともう何がなんだかわからなくなってしまう。自分自身もサービス対象者も飲み込まれてしまって、何のために仕事をしているのか分からなくなる。

 狼の懸念はおばあさんの存在であると前述したがどのような意味だろうか。狼がおばあさんを飲み込むということは、福祉の現場では職員がサービス対象者を飲み込むということである。職員自身に非があっても、サービス対象者に責任を転嫁してしまう。その方が心理的に楽だからだ。赤ずきんよりも先におばあさんを飲み込む必要性があったのは、このような心理的によるものといえる。

 さてここで狩人の登場である。父性の象徴である狩人は暴走してしまった狼から赤ずきんとおばあさんを助け出す。グレートマザーからの開放である。自分自身ではどうすることも出来なくなった赤ずきんは父性の力を借りて、自分を取り戻すのである。父性はグレートマザーのように暴走しない。自分自身がピンチのときにだけ現れる頼もしい存在である。父性である狩人は赤ずきんとおばあさんを助け出す。自分自身とサービス対象者の統合である。ここでようやくおばあさんに上等のお菓子とぶどう酒を上げることが出来た。福祉施設においてはサービス対象者にサービスを提供するという意味になる。サービスを提供するには自分自身の中で母性や父性の力を借りて、上記@〜Bのようなグレートマザーと対決しなければならない。重労働である。

 さて狼であるが、狩人によってお腹へ石を詰め込まれた。石は死を意味する。生きていたものが死ぬと最終的に化石になってしまう。狼が目を覚ました後に死んだことは、石が死に直結することの証明でもある。グレートマザーである狼は父性である狩人に殺されてしまった。しかし本当に殺されてしまったのか?グレートマザーは殺されなかったのではないか。もし本当に死んでしまったのならば、お腹を切ったときに死んでしまったのではないか。狼は目を覚ました後倒れて死んでいる。一回は目を覚ましているのだ。この死は本当の死ではなく、無意識の中に閉じ込められることを意味するのではないか。狼は一度目を覚まし、意識の中に入り、その後石ころにより無意識に閉じ込められたと解釈できる。石ころを用いて、象徴的に死という言葉を使っているのではないかと思う。

 福祉施設において、サービス提供を行うためには、自分自身の中でグレートマザーと対決することが必要である。意識下における自分自身だけではグレートマザーに飲み込まれてしまう恐れがあるため、父性、母性との協力が必要である。実際の場面では、「楽する気持ち」、「職員主体の福祉施設」、といったグレートマザーをどれだけ捨て去る(無意識下へ閉じ込めることが出来るか)ことが出来るかがカギとなってくる。


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