不思議な掛け算
ここ数年、昔話を題材にして天竜文芸に投稿してきたが、懲りもせず今年も投稿しようと思う。題材を探すために、大切に金庫に保管している愛読書「ふるさとものがたり天竜」を取り出そう。金庫を開ける前に、まず蔵に行き、蔵を開けなければならない。そして金庫を開けるにも一苦労だ。鍵だけでなく暗証番号も必要である。暗証番号はいつか忘れそうだ。金庫の中には桐の箱がたくさんあり、一番下にある最も大きな桐の箱を取り出す。そして桐の箱をそうっと開けると、ようやく「ふるさとものがたり天竜」が出てきた。
パラパラとページをめくると、
八頭表
権現
という昔話が目に入ってきた。筆者が住む天竜区青谷に伝わる昔話だ。身近だけではない、何かを感じさせる昔話である。蔵や金庫、桐の箱はフィクションだとしても、八頭表権現はフィクションではないらしい。
八頭表
権現
むかしのことである。
阿多古の里の青谷村にそびえる山の中に、八つの頭を持ったおろちが住んでいた。
いつのころからか、そのおろちは、夜な夜な村におりてきて、村人に危害を加えるようになった。
そこで村人は、おろちの怒りを沈めようと、祠を建てて、「八頭表権現」、または“八頭表さま”と呼んでおまつりするようになった。
そして今もその祠は、青谷の道路脇に、おまつりされている。
八頭表権現はふるさとものがたり天竜に集話されている昔話の中でも最も短い昔話の一つである。しかしこの短い昔話の中には様々なことが記されている。それらを見て行こう。そして、八頭表権現を読んだ方は皆等しく感じただろう。ヤマタノオロチ伝説に似ていると。
ヤマタノオロチ伝説
高天原を追放されたスサノオノミコトは出雲国に降り立った。現在の斐伊川の上流で、川を流れる箸を見つけた。気になってさらに上流に向かうと、そこには老夫婦と若い娘がいた。
老夫婦は山の神ヤマヅミノカミの子で、この地を治める国神のアシナヅチとテナヅチ、娘はクシナダヒメと名乗った。
老夫婦が泣いているので理由を尋ねると、高志(現在の北陸地方とされる)からヤマタノオロチが毎年やってきて、娘を食ってしまうので、八人いた娘がクシナダヒメだけになってしまったという。ヤマタノオロチとは、ほおずきのように真っ赤な目で、八つの頭と尾を持ち、木々に覆われた体は大きく、八つの尾根を越えるほど、腹からは常に赤い血をしたたらせている恐ろしい怪物だ。
スサノオはアマテラスオオミカミの弟であることを告げ、娘をくれるなら怪物を退治しようと持ちかける。夫婦の了承を得たスサノオは、クシナダヒメを櫛に変えてみずからの髪に刺した。夫婦には垣根を作って八つの門を置き、それぞれの門に強い酒を置いておくよう命じる。
そして現れたヤマタノオロチは門に置かれた強い酒をまんまと飲み、酔いが回って眠ってしまった。スサノオはすかさず剣でヤマタノオロチの八つの首を斬った。この時、ヤマタノオロチの尾の中から出てきた太刀が、のちに草薙の剣と呼ばれるものである。見事に怪物を退治したスサノオは約束通りクシナダヒメを妻とし、須賀の地に宮を築いたという。この時に幾重にも立ち上がる雲を見てスサノオが詠んだのが、
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」という有名な歌である。
本格新一A 大蛇退治
八頭表権現とヤマタノオロチ伝説は共通点が多くみられるため、まずはヤマタノオロチ伝説について考えてみる。
ヤマタノオロチ伝説においてスサノオノミコトを高天原から追放したのは天照皇大神(アマテラスオオミカミ)である。「下阿多古の昔話」(下阿多古老人クラブ連合会)によると、青谷地区にある神明宮の祭神は天照皇大神であり、境内社の祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)である。青谷地区とヤマタノオロチ伝説との関連性が示唆され非常に興味深い。いきなり脱線してしまい申し訳ない。
ヤマタノオロチ伝説に関しては先行研究が多く存在するため参考にさせていただく。そして先行研究の考察をまとめると以下の通りになる。
・ヤマタノオロチは出雲の斐伊川の氾濫(洪水)の象徴である。
・八つの頭と尾は氾濫(洪水)による被害の大きさを表している。
・クシナダヒメは、日本書紀では奇稲田姫(くしいなだひめ)と記載され稲と田の漢字があることから、ヤマタノオロチ伝説は田んぼを守る神話である。
・ヤマタノオロチの真っ赤な目や、木々に覆われた体、腹からは常に赤い血をしたたらせている、尾の中から草薙の剣が出たことなどから製鉄文化との関連が示唆されている。
・八つの門は治水を意味する。
ヤマタノオロチ伝説研究における解釈を概観すると以上になる。たしかに洪水と関連がありそうな感じがする。濁流が山を越えて(いくつもの沢や支流が連なって)押し寄せる姿はまさに八つの頭を持ったオロチのように見える。そして当然のことながら、これらの解釈の中で八頭表権現に通じていそうなものは、八つの頭や洪水であろう。これらを順に見て行く。
ヤマタノオロチは八つの頭と尾をもっているが、日本全国にはヤマタノオロチと同様に複数の頭と尾をもつ竜が存在する。
愛知県豊田市には双頭の龍伝説がある。明勝寺本堂正面の欄間には「一軀双身の龍」と呼ばれる彫り物があり、欄間から外したところ矢作川が大洪水を起こしたという昔話が伝えられている。欄間から外しただけで矢作川が大洪水を起こすとは、双頭竜の力は壮大である。神奈川県江の島には五頭龍伝説がある。現在の鎌倉市の大きな湖に、乱暴な五頭龍が棲みつき、火の雨を降らしたり山を崩したりして近隣の村人たちを困らせていた。その後、弁財天と誓い(結婚)をなして山と化し、人々を災害から守り、国家安泰の神「五頭龍大神」となった。また同じ神奈川県において、芦ノ湖周辺に九頭龍伝説がある。ヤマタノオロチを凌ぎ、一つの胴体に九つの頭が生え、口から毒を吐く巨大な毒龍で、暴風雨を呼び、湖に起こした大波で湖岸の村を襲い、人々を苦しめていたが、萬巻上人により封印された。九頭竜という名前で多くの人が思い浮かべるのが、福井県にある九頭竜であろう。むかし荒島岳に九つの頭を持った竜がいたが、荒島の神に諭されて山を下り、川に棲むようになった。神は代償として、年に三匁の金を川へ流してやろうと約束をした。九頭竜川の鮎に金色の模様があるのは、そのせいだという。その一方で九頭竜川は崩川(くずれがわ)という説もある。筆者は岐阜県との県境に近い九頭竜川沿いを通ったことがあるが、崩川そのものであり、現在も砂防工事が進行中であった。この崩れた砂礫が土石流として下流地域を襲うのだろう。
双頭竜から九頭竜までの多頭竜を調べてみると、洪水などの自然災害と関連が深いことが分かる。調べた限りではあるが、多頭竜にいい奴(竜)はいなかった。後に改心する竜はいたが。
昔話とはだいぶ離れてしまうが、特撮映画ではゴジラの敵としてキングギドラという三つの頭を持つ怪獣が登場する。キングギドラは三頭龍ともいえる姿形をしておりヤマタノオロチ伝説にも通じている。その強さも強大で、ゴジラ・ラドン・モスラの三匹が力を合わせてようやく倒すことが出来た。キングギドラの三つの頭はそれぞれゴジラ・ラドン・モスラの力に匹敵するともいえよう。そしてキングギドラはロシアや東欧に伝承される三頭竜ズメイがモデルといわれている。
忘れられがちであるが、ヤマタノオロチは八つの頭だけでなく八つの尾を持っている。週刊少年ジャンプに連載されていた漫画「NARUTO-ナルト-」には、頭ではなく尾を複数持つ怪獣である
尾
獣
が登場する。
尾
獣
は一尾から九尾までおり、一尾守鶴(しゅかく)、二尾又旅(またたび)、三尾磯撫(いそぶ)、四尾孫悟空(そんごくう)、五尾穆王(こくおう)、六尾犀犬(さいけん)、七尾重明(ちょうめい)、八尾牛鬼(ぎゅうき)、九尾九喇嘛(くらま)という。八尾曰く「九尾は勝手に尾の数で尾獣の力を決めるため、一尾と九尾は犬猿の仲」らしく、九尾とは「バカ狐」「クソ狸」と呼び合うほど互いに忌み嫌っている。尾の数は力の強さの象徴であり、ヤマタノオロチ伝説の「八つの頭と尾は氾濫(洪水)による被害の大きさを表している」と共通性が高いと感じる。「NARUTO
-ナルト-」はアジア各地の民話や伝承、宗教のオマージュを巧みに取り組んだ世界観のもと描かれているため、昔話との親和性が高いようであり、現代版昔話と言える(この表現だと、今なのか昔なのか、なんか矛盾しているように感じるが)。
昔話と違い、特撮映画や漫画は現代のものであるが、人間が作り出し物には違いはない。特撮映画や漫画には明確な作者がいて、作者が持つ知識や世界観を含めたパーソナリティが色濃く反映されている。時を経ることで多くの人間によって伝承された、いわば普遍的無意識の産物であるのが昔話で、個人の意識の中で作り出されたのが特撮映画や漫画であろう。特撮映画や漫画は詳細な記録が残されているため、昔話のように伝承により後世に伝えられることはないため、普遍的無意識的なものにはなり得ない。しかし昔話にとってかわる存在になる可能性はあると思われる。
話が脱線してしまったが、昔話や伝説、特撮映画や漫画を読み解くと、数が強さを表しているようだ。どうやら頭や尾が多いことは強さの象徴であることが明確になった。そこでヤマタノオロチの八に注目する。日本においては、八は漠然と数が大きいことを示すのに使われている。例えば八島、八雲、八咫鏡、八重桜の八である。同様に、八を用いた八十(やそ)、百八十(ももやそ)、八百万(やおよろず)も「数が大きい」という意味で使われている。このような考え方によれば、ヤマタノオロチの頭の数は、「数が大きい」という意味であり、洪水などの被害も大きいということを意味している。また十を全体とする数え方では、「ほぼ全体に近い」という意味で
九が用いられる。例えば、「十中八九」である。漫画「NARUTO
-ナルト-」における尾獣はこういった考えによるものであり、九尾九喇嘛(くらま)はほぼ全体に近い強さを持っていることになる。また一尾から九尾の集合体である十尾という尾獣も存在し、まさに「十中八九」という言葉がよく当てはまる。こういったことから八つの頭を持つ八頭表権現も、ヤマタノオロチ同様、その強大さから八が使われていると思われる。
八頭表権現の強大さとは一体なんだろう?それはヤマタノオロチ伝説同様洪水を指すと思われる。八頭表権現の舞台である青谷村には阿多古川が流れている。阿多古川は昔から洪水を引き起こしてきた。
古
のことは存じていないが、昭和四十九年七月七日に起こった七夕豪雨では甚大な被害が生じたことは知っている。筆者の自宅も洪水に飲み込まれた。筆者は当時四歳であったが、避難する前に「アルプスの少女ハイジ」をテレビで見ていたことや洪水が自宅へ押し寄せる前に祖父と父が一階にある畳や家具などを二階へ上げたこと、泥水の中を徒歩で避難した時の様子(筆者や姉は自力で歩き、一歳の弟は父が抱きかかえ)や避難経路(自宅の西を通って上へ移動)、避難先(近所の家)、避難先での様子(最初に掛けられた言葉)も覚えている。四歳の子供の記憶に鮮明に残るほど洪水の被害は強烈だったのだ。小学六年生の時には、阿多古川の氾濫により、下阿多古小学校のグランドが二回浸水した。記録を全て遡れば、天竜文芸の制限文字数を超えてしまうことは容易に想像できるため、これ以上言及しないが、洪水は阿多古川周辺の土地や建物だけでなく、時には人の命も奪ったと思われる。人をも食らうヤマタノオロチ伝説そのものである。
「下阿多古の石仏等の調査」(下阿多古老人クラブ連合会)に、祠としての
八頭表
権現
が掲載されている。こちらは
八頭表
権現
ではなく八頭表権現(やつおもてごんげん)と記載されている。よってこれ以降、昔話を
八頭表
権現
(昔話)、祠を
八頭表
権現
(祠)と記載することにする。文献には「青谷橋の上を小堀谷線入口より二百メートル程の地点 大石春雄宅前 大正の末期頃恐慌があり、農山村も凶作が続き、時に八頭表の山が鳴り神の祟りだといって祠を立て祀ったという。ここは急な山の下の位置にあり小堀谷の鍾乳洞から続いた洞窟を石や水が音を立てて流れるのではないかと近くの人たちは信じている。」と記載されている。現地に赴き
八頭表
権現
(祠)を探すと道路脇にお祀りされていた。すぐ横を小さな川(沢)が流れている。地図等で川(沢)の名前を探したが見つからなかった。
八頭表
権現
(祠)近くに住む友人に聞いたところ「さあや」(小さい沢という意味)と呼んでいるとのことであり名前はないらしい。よって本稿においては「さあや」を、とりあえず
八頭表
川
(仮)と命名する。
八頭表
川
(仮)を地図で確認すると落差一二〇メートルを流路二〇〇メートルで流れている。いや落ちているという表現が正しい。実際に
八頭表
川
(仮)を徒歩で遡ってみると非常に険しかった。またV字渓谷になっており、少し遡っただけで、崩れている個所も確認できた。大雨が降れば、この落差を雨水が濁流となりヤマタノオロチが如く襲ってくると思われる。また
八頭表
川
(仮)を地図で確認すると、源流は小堀谷の鍾乳洞の方角にあり、「小堀谷の鍾乳洞から続いた洞窟を石や水が音を立てて流れる」というのも信憑性が高い。そして
八頭表
川
(仮)を一〇〇メートル程遡った所で砂防堰堤に行く手を阻まれた。この砂防堰堤は砂防・治水を目的に造られたものであり、ヤマタノオロチ伝説に出てくる門に値するものであろう。このように
八頭表
川
(仮)は洪水、というより土石流が起こりうる川であり、土石流危険河川に指定されている。砂防堰堤の存在は土石流が起こりうる可能性の高さを意味している。阿多古にはこのような土石流危険渓流は他にも存在する。しかし
八頭表
権現
(昔話)のようなヤマタノオロチ伝説はここにしか存在しない。何故だろうか。
八頭表
権現
(祠)がある新田(しんでん)地区は、阿多古川の畔、河岸段丘上にある。阿多古川は熊から上阿多古、下阿多古を通り天竜川に通じているが、上野から両島にかけての氾濫原は広い。青谷に入り氾濫原は狭くなるが、青谷橋付近にある新田地区上流の氾濫原は最も狭くなっている。新田地区は、洪水が発生した時に、上流で溜まった水が流れ出す場所である。青谷橋下流で阿多古川は左岸方向に蛇行する。右岸にある新田地区は阿多古川の濁流が激突する環境にある。そのため新田地区と阿多古川は高さ約五メートルの崖で隔てられている。新田地区は大雨の際は
八頭表
川
(仮)の土石流と阿多古川の洪水に脅かされることになる。単なる土石流ではなく、小堀谷の鍾乳洞の存在、阿多古川の洪水が重なる環境から
八頭表
権現
(昔話)が生まれたのではないかと思う。正面からは土石流、背後からは洪水の危険があることから多頭竜、また被害の大きさから八が使われたのではないかと思う。新田地区の道路は青谷橋から
八頭表
川
(仮)を横断し小堀谷地区へ通じている。青谷橋付近では阿多古川と接近しているが、徐々に高度が高くなり阿多古川から離れていく。その間に家屋が存在するが、多くは新田地区に偏っている。今でこそ上水道が完備されているが、上水道が完備される前は、新田地区の人々は
八頭表
川
(仮)から生活用水を得ていたのではないかと思われる。阿多古川と新田地区は高さ五メートルの崖で隔てられており、阿多古川から水をくみ上げるには相当の労力が必要である。上から流れてくる水を利用する方が労力は小さい。水は必ず高いところから低いところから流れる。地球の重力が働いているからだ。地球上の物体は重力という物理の法則から逃れることはできない。ということから昔の新田地区の人々は阿多古川ではなく
八頭表
川
(仮)から水を得ていたと思われる。
下
(阿多古川)から水をくみ上げるよりも、
上
(
八頭表
川
(仮))から水を得る方がたやすい。だから水を得やすい新田地区に家屋が多く存在する。「下阿多古の石仏等の調査」に「大正の末期頃恐慌があり、農山村も凶作が続き、時に八頭表の山が鳴り神の祟りだといって祠を立て祀ったという。」との記載がある。この時水が枯れたのではないだろうか。水が枯れ、凶作となり、神の祟りに通じたのではないかと推測する。水が枯れるということは一大事であり、生命に危険が生じる。また記述には「農山村も凶作が続き」とあり、これは新田地区だけではなくもっと広範囲(少なくとも下阿多古)が水枯れによる凶作の被害にあっていたのではないかと推測できる。とすると、水枯れは
八頭表
川
(仮)だけの話ではなく、下阿多古を縦貫する阿多古川も指すのではないだろうか。「下阿多古の昔話」には二百五、六十年前に
旱
ばつがあったことも記録されている。阿多古川と
八頭表
川
(仮)の水量を比較すると、比較にならないほど阿多古川の水量が多い。二百五、六十年前の
旱
ばつにおいては「水があるのは東光寺渕、増仙寺渕、千尋渕、争動渕位のもので、それはそれは水に困りました。」と記載されている。干ばつの記録としてはこちらが記載されているため、大正の末期頃の水枯れではここまでではないにしろ、阿多古川の水量が減り、水量が少ない
八頭表
川
(仮)の水が枯れたと思われる。
八頭表
川
(仮)は土石流危険河川に指定されているほどの急峻であるため、水枯れにより水分を失った土石が崩落した。崩落した音が「八頭表の山が鳴り」になり「神の祟り」に通じたのではないかと思う。
八頭表
川
(仮)や阿多古川は土石流や洪水・氾濫により生命・身体・財産を奪うだけではなく、前述した通り生命の源になっている。水がなければ生命を維持することはできない。水そのものや氾濫によって周辺に造られた肥沃な土地、その肥沃な土地を利用しての田畑、新田地区や阿多古の住民は阿多古川の恩恵を受けてきた。改めて言うと
八頭表
権現
(祠)がある地名は新田(しんでん)なのだ。文字通り新しく田んぼが出来た場所という意味である。現在こそ田んぼは確認できないが、その地名から田んぼの存在が分かる。田んぼを通じ生命を育んできた証である。このことから
八頭表
川
(仮)は生と死の二面性を持ち合わせている。このような二面性、言葉を変えれば矛盾。この世には様々な矛盾が存在するが、生きていくうえでは矛盾に対処しなければならない。
八頭表
川
(仮)の水は大切であるが、土石流としての
八頭表
川
(仮)はなくなってほしいという願い。これを解消しなければならない。そのために村人は、
八頭表
川
(仮)は神様(
八頭表
権現
(祠))、
八頭表
川
(仮)の土石流は「八つの頭を持ったおろち」と別人格にした。別人格にすることで心理的均衡を保った。言っていることがよく分からない方もいると思うので、心理学におけるバランス理論を用いて説明する。
バランス理論とは、三人以上の対人関係における(事物を含む)、その三人の間の認知関係のバランスを保とうとする心の動きのことである。アメリカの心理学者であるフリッツ・ハイダーによって提唱された心理学の理論である。バランス理論は、PhOhXモデルにより説明するのが分かりやすい。
認知の主体である人をPとし、Pと関係のある他者をO、認知の対象である事物をXとする。PのOに対する認識、PのXに対する認識、そしてOのXに対する認識の中で、好意的な認識を「+」、否定的な認識を「−」で表す。P→O、P→X、O→Xの3つの認識が全て良好である(全て「+」)場合や、3つの認識の中で好意的な認識(「+」)が1つのみであり、残り2つは否定的な(「−」)場合といった3つの認識の符号の積がプラス(「+」×「+」×「+」)や「+」×「−」×「−」)である時の認知体系は均衡がとれているとなる。一方で、3つの認識が全て「−」(否定的)となる場合や、3つのうち好意的な認識(「+」)が2つ、残り1つは否定的(「−」)な場合といった3つの認識の符号の積がマイナス(「+」×「+」×「−」や「−」×「−」×「−」)である時の認知体系は不均衡となる。認知の主体であるPは、認知体系が不均衡である時、不快感を覚える。そのため、Pは認知体系の不均衡を解消するために、Oに対する認識、Xに対する認識、OのXに対する認識のいずれかを変更しようとする。例えば、P→OとP→Xが「+」、O→Xが「−」である時、Pは、他者Oまたは事物Xに否定的な認識を持つようになったり、OのXに対する認識を改めようとする心理作用が働く。どの方策が採用されるかについては、少ないコスト(決してお金のことではない)で変化させやすいものが選ばれることが多い。例えば、Pを私、Oを同級生、Xをサッカーとする。認知体系の均衡が取れているのは、私も同級生も共にサッカーを好んでいる(あるいは共に嫌っている)ために、私が同級生を好んでいる時である。また私はサッカーを好んでいるが同級生はサッカーを嫌っている(あるいは、私はサッカーを嫌っているが同級生はサッカーを好んでいる)ために、私が同級生を嫌っている時である。つまり、好みが一致するために同級生を好いている時と、好みが不一致のために同級生を嫌っている時に、認知体系は均衡になる。逆に、認知体系が不均衡なのは、私も同級生も共にサッカーを好んでいる(あるいは共に嫌っている)のに、私が同級生を嫌っている時、そして私はサッカーを好んでいるが同級生はサッカーを嫌っている(あるいは、私はサッカーを嫌っているが同級生はサッカーを好んでいる)のに、私が同級生を好んでいる時である。つまり、好みが一致するにもかかわらず同級生を嫌っている時と、好みが不一致にもかかわらず同級生を好いている時に、認知体系は不均衡になる。不均衡を解消するためには、私が同級生に対する評価を変えたり、サッカーに対する好みを変えたり、同級生のサッカーに対する好みを変えさせようとする心理的作用が働く。なお筆者は恋愛相談の専門家として、「恋愛関係、特に三角関係といわれる場合における心の動きは心理的不均衡になる」ことを付け加えておく。
このバランス理論を踏まえて
八頭表
権現
(昔話)を見て行こう。バランス理論のPhOhXモデルに照らすと、P村人hO
八頭表
川
(仮)hX土石流になる。
八頭表
川
(仮)は生命の源であるから、P村人→O
八頭表
川
(仮)は「+」になる。
八頭表
川
(仮)は土石流と同じものであるから、O
八頭表
川
(仮)→X土石流は「+」になる。心理的均衡状態にするには、P村人→X土石流は「+」となる。しかし村人は土石流による被害などにより嫌悪感を抱いているため本来はP村人→X土石流は「−」となる。これでは心理的不均衡状態になる。心理的不均衡状態を解消するためにはP村人→O
八頭表
川
(仮)、もしくは、O
八頭表
川
(仮)→X土石流を「−」にしなければならない。そこで村人は、
八頭表
川
(仮)は
八頭表
川
(仮)、土石流は
八頭表
川
(仮)ではなく「八つの頭を持ったおろち」と別人格を持たせ、
八頭表
川
(仮)と土石流を別物にした。そうすることでP村人→O
八頭表
川
(仮)「+」、O
八頭表
川
(仮)→X土石流(おろち)「−」、P村人→X土石流(おろち)「−」とし、全ての符号の積がプラスになり(「+」×「−」×「−」)、心理的均衡状態を保つことが出来たと解釈できる。村人が
八頭表
川
(仮)と共に生きていくためには、
八頭表
川
(仮)の良い面も悪い面も享受するしかない。良い面と悪い面を別人格にすることで心理的均衡状態を作り出した。よっておろちとは、
八頭表
川
(仮)のもう一つの顔であり、村人により作り出された産物ということになる。この不思議な掛け算によって、おろちの正体を突き止めることが出来た。なお、バランス理論において
八頭表
川
(仮)を阿多古川、土石流を洪水に置き換えても全く同じことである。このように心理的均衡状態を保つために、一つのものに二つの意味を見出し、それぞれに人格を持たせ心理的均衡状態を作り出すことは人間の本能であると言える。以上から、村人の心の中で災害を擬人化したものではあるが、おろちは実在するということになり、
八頭表
権現
(昔話)はフィクションではないという結論になる。
下阿多古の石仏等の調査によれば、
八頭表
権現
(祠)がある場所近くには青谷の腰立て様(池上)、五輪様(殿奥)という供養塔があり、三社祭として毎年お祭りが催されている。青谷の腰立て様と五輪様にも、それぞれ伝えられる昔ばなしがあり、
八頭表
権現
(祠)周辺は昔話の宝庫になっていることは大変興味深い。三社祭は冬から春へと季節が変わる時期、三月初旬に行われる。三月初旬はもう春であり、雪や氷が溶け、植物が芽を出す時期である。寒さが次第に緩み、草木が萌え芽ぐみ、花々がつぼみをつけはじめる。まさに命が芽吹く時期である。命を育む
八頭表
川
(仮)に感謝するとともに、おろちへの警戒を促すのだろう。
何故、
八頭表
権現
(昔話)やヤマタノオロチ伝説に興味を抱いたのかと考えていたら記憶が蘇ってきた。筆者は大学時代に築地松の調査(ゼミの調査合宿)でヤマタノオロチ伝説の舞台である斐伊川周辺を訪れていたのだ。築地松は防風林だと記憶していたため記憶がつながらなかったが、当時の資料を改めて見直すと、斐伊川周辺の家屋は水防のために周囲に土居をめぐらせ、その土居を安定させ維持するために松を植えて根を張らす方法をとったと記載されている。これが築地松であり、築地松は水防の役割が一番だったのだ。築地松は防風林と記憶していたため、なかなか記憶が結びつかなかったが、最後で記憶がつながった。フィールド調査で築地松の構造を見学したり家主にアンケートを実施し、天井川である斐伊川を見学したことを思い出した。天井川とは洪水の歴史だったのだ。不思議な掛け算であるバランス理論も築地松も大学時代に学んだことがここで役立った。三十年の時を経て、様々なことが繋がったことは非常に感慨深い。
さて今年も何とか原稿を書き上げることが出来た。使用した「ふるさとものがたり天竜」を元に戻そう。桐の箱に入れて金庫がある蔵へ持っていく。ずっとにぎやかだった蔵が、原稿を書き上げた瞬間、静寂に包まれた。来年「ふるさとものがたり天竜」の出番が来るまで蔵の中で静かに時を刻むのだろう。蔵の錠前を閉め空を見上げると夏の青空が広がっていた。
参考文献
ふるさとものがたり天竜
下阿多古の昔話
下阿多古の昔話続編 下阿多古の石仏等の調査 下阿多古老人クラブ連合会1998年
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本昔話大成 関啓吾 角川書店
日本昔話通観 稲田浩二、小澤俊夫責任編集 同朋舎
日本怪異伝説事典 朝里樹監修 えいとえふ著 2020年 笠間書院
ヤマタノオロチ伝説から紐解く古代出雲国の実態。たたら製鉄・ヒッタイト王国との関係
- 歴史ロマンの旅 (history-romance.com)
『日本の伝説』第46巻
若狭・越前の伝説(角川書店
1980年)
仏像を川に流すと、九つ頭の竜が出現…
福井県の「九頭竜川」伝説 (msn.com)