下阿多古の笑い話
手元にある「ふるさとものがたり天竜」を開くと、数多くの昔話が収録されている。筆者が住む下阿多古関連は約二十の昔話が収録され、トップバッターは「かだうじの出会い」という笑い話である。昨今お笑いブームが起こっていることから、昔話の時間軸から見ても、過去にお笑いブームがあったのかもしれない。少し興味が沸いたから、下阿多古の笑い話を見ていこうと思う。
かだうじの出会い
仕事がきらいで、毎日、ただのんびりとしている怠け者のことを、「かだうじ」という。かだうじは、何もしない。何もやる気がない。もう、どうしようもない怠け者ことだ。
こんな二人が、ぱったり出会ったら。どうなることか。
ここに、二人のかだうじ男がいた。一人は上の方の部落に、もう一人は、下の方の部落に。
春うららかな、ある日のこと。
「今日は、いい日じゃなあ。ひとつ散歩にでも出てみるか。おーい、弁当を作ってくれや。」
上の方の部落の男がそう言って、家の者に、にぎりめしを作らせた。ところが、さすがかだうじ男。その弁当を風呂敷に包んで、持つ気がない。仕方がないので家の者は、弁当を風呂敷に包んで、男の肩にゆわえてやった。
その日、珍しく、下の部落のかだうじ男も、
「今日は、いい日じゃなあ。ひとつ散歩にでも出てみるか。おーい、菅笠を取ってくれや。」
と言ってはみたが、こちらもさすがかだうじ男。自分で笠をかぶる気力がない。仕方がないので家の者は、男の頭に菅笠をかぶせて、あごの下で紐を結んでやった。
さて、上の部落の男は下の方へ、下の部落の男は上の方へ、のたりのたりと歩き始めたから、二人はそのうち、途中でぱったりと出会うことになった。
「おう、お久しぶりじゃのう。」
と、二人は互いに、声をかけ合った。
「ところでお前さん。おれの弁当を肩からおろして、包みをあけてくれんかのう。弁当、半分やるからさあ・・・・。」
と、上の部落の男。
「のー、のー。とんでもねえ。おれは、笠の紐のゆるみを、直す気力もねえんだ。さっきから、笠が落ちそうだもんで、口あいて、あごで支えてるだ。お前さん、おれの紐を、しめ直してくれや。」
と、下の部落の男。
「のー、のー。とんでもねえ。そんじゃあ、ここでだれか通るのでも待って、頼んでみようや。」
「おう、そりゃあ、名案じゃ。」
そこで二人は、道端にどっかと腰をおろしたが、そのうちに、
「寝るほど楽なことはねえ。」
ということになった。
うららかな春の日ざしも、やがて西にかたむき始めたが、二人はやっぱりそこに寝っころがったまま、
「早くだれか、こないかなあ。」
と、人の来るのを待っていた。
※このおはなしと、よく似た怠け者の笑い話は、昔からあちこちで語られてはいるが、「かだうじの出会い」は、下阿多古の昔話として地元に長く伝わってきたものである。
笑い話である。といっても腹を抱えて笑うようなものでなく、どこかほのぼのとした笑いである。
かだうじの出会いと似た昔話は全国に点在しており特段珍しい昔話ではない。しかし、かだうじの出会いの最後に「※このおはなしと、よく似た怠け者の笑い話は、昔からあちこちで語られてはいるが、「かだうじの出会い」は、下阿多古の昔話として地元に長く伝わってきたものである。」と注釈が添えられている。ということから、かだうじの出会いの中には下阿多古独特の内容が含まれていると思う。下阿多古の視点を含めながらかだうじの出会いを考察していきたい。
考察においては、日本の昔話をまとめた日本昔話大成や日本昔話通観などを参考にさせて頂いた。「かだうじの出会い」は、全国的には「無精くらべ」という題名で通っており、日本各地に類話がみられる。そのため多くの研究者が無精くらべに関する研究を行っている。重複するところは避け論を進めていきたい。
一.かだうじ
題名にある「かだうじ」である。かだうじとは無精者のことである。全国の無精くらべの題名としては、無精くらべ、不精くらべ、ものぐさ同士、ものぐさくらべ、無精同士、二人の怠け者とあり、かだうじのような方言が昔話名になっているものはない。その一方、登場人物には、骨惜しみな息子(岩手)、かばねやみな男(宮城)、からぼねやみ男(秋田)、せやみの爺(秋田)、ずくなし(長野)、なまかわ者(岐阜)、よだきごろ(宮崎)、ふゅっごおどん(鹿児島)と様々な表現で無精者が登場する。無精くらべは全国に点在しているが、方言で表記されるということはその地域に根付いた昔話であると言える。無精くらべが全国的な広がりを見せる中で、題名に方言が使われることにより、その土地固有の昔話にもなっており、「下阿多古の昔話として地元に長く伝わってきたもの」というのもかなり的を射ていると思う。下阿多古には「おんぶしょ地蔵」という昔話がある。「おんぶして」が「おんぶしょ」に訛り、そのまま昔話の題名になっており、方言の使用方法において、かだうじの出会いと類似性が認められることは非常に興味深い。
二.散歩
上の方の部落のかだうじは、「今日は、いい日じゃなあ。ひとつ散歩にでも出てみるか。おーい、弁当を作ってくれや。」と言い、下の方の部落のかだうじは「今日は、いい日じゃなあ。ひとつ散歩にでも出てみるか。おーい、菅笠を取ってくれや。」と言って散歩に出かけた。それに対して、無精くらべに登場する全国の無精者は、特に目的もなく歩いているケースが多い。日本昔話通観に収録されている無精くらべの半数には目的が記されていない。明確に記されている無精くらべは、勘当(岩手、秋田、山形)、修行(岩手)、旅(宮城、埼玉、岡山、広島、山口、香川)、神社参り(福岡)がある。散歩に出るというのはかだうじの出会いだけである。勘当、修行、旅、神社参りと比較すると、散歩というのは非常に身近に感じる。より身近な昔話として認識されていたのではないかと思う。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、散歩とは、気晴らしや健康などのためにぶらぶらと歩くことである。散歩というのは、多くの場合、自宅や滞在している場所の周辺を、とりとめもなく、ぶらぶらと歩くことを言う。親が子に対して親子の縁を切る勘当とは大きく異なる。修行(修業ではない)や神社参りは宗教色が強い。散歩と比較すると、勘当や修行は重みが違う。また旅は散歩よりも長い距離の移動を意味し、散歩とは大きさが異なる。こういったことから、かだうじの出会いは他の無精くらべと比較すると、良い意味で非常に軽い昔話になっている。
また散歩といえば「ちい散歩」。テレビで見た方もいるだろう。「ちい散歩」は二〇〇六年四月三日から二〇一二年五月四日までテレビ朝日で放送された紀行番組(散歩番組)・情報番組・通販番組であり、俳優・地井武男の冠番組である。タイトルの通り「散歩」に着目した番組であり、メイン企画は、東京近郊のスポットを地井武男が訪れ、散歩する内容。散歩中にその土地の店に立ち寄ったりして交流を深めながら、街の紹介をしていくものだった。非常に気軽に見ることができた番組であった。「気軽に」というのは、番組中に誰かが死ぬようなサスペンスドラマではなく、誰かが損をする番組でもなく、誰かが嫌な気持ちになるようなものではないということである。安心して、リラックスして見ることができる数少ないテレビ番組である。散歩とはこのように気軽なものだ。かだうじの出会いも当時の方々にとってより身近に感じる話だったのだろう。
三.にぎりめし
にぎりめしは、おにぎりやおむすびとも呼ばれている。ご飯を三角形や俵型にした食べ物である。携行性に優れ手づかみで食べられることから、日本で古くから今日に至るまで重宝されている。今日ではコンビニエンスストアやスーパーマーケットでも販売されている。携行する必要がない居酒屋や定食屋でも提供されるほど、日本の食文化に定着している。
上の方の部落のかだうじもこれに漏れず、散歩の携行食としてにぎりめしを持って行った。水戸黄門などの時代劇を見ると、貧しい農民が代官に年貢を取り立てられ、日々の食糧さえ確保できない描写がある。昔のイメージはこんなものである。
しかしかだうじの出会いでは日々の食糧さえ確保できない描写は消え失せ、かだうじでも食べていけるほどの食糧があり、農業地域としての下阿多古の力を示している。ふるさとものがたり天竜には「上野の古代遺跡」も収録されており、「上野遺跡からは、縄文時代の次にむかえた弥生時代の、弥生式土器も発見されている。その前期のものと言われる“温賀川式土器”の壷の破片や、中期の土器片が少数ながら出土されており、山で囲まれたせまい土地にあっても、阿多古川を中心とした稲作農業への試みが、当時すでになされていたことを裏付けている。」との記述がある。この農業地域としての底力がかだうじでも生きていける土壌を生んでいる。
また、かだうじの出会いは良い時代の下阿多古を表していると思う。同じ下阿多古の昔話には、疫病が流行した当時を物語る八郎神社縁起、室町時代の侍の対立を描いた青谷の越立さまなどがある。八郎神社縁起では、村人が疫病に倒れていく様が生々しく描写され、その疫病にどのように立ち向かったのかが描写されている。当時の大変さが手に取るように分かる。また戦国室町時代の三河吉良氏と尾張斯波氏による抗争が青谷の越立さまという形で伝承されており、落武者と落人狩りの様子が生々しく描写されている。今でこそのどかな下阿多古であるが、昔話を読み解けば悲惨な時代も見えてくる。八郎神社縁起、青谷の越立さまは、おおらかさの塊のようなかだうじの出会いとは大きく異なっている。下阿多古にも良い時代もあれば悪い時代もある。
四.素性
日本各地の無精くらべには登場人物の素性が記載されていない。かだうじの出会いでは上の方の部落、下の方の部落との記載がある。全国的に見てもこのような記載がある無精くらべは少ない。日本昔話通観に収録されている無精くらべでは西の村東の村(山梨県)、下の関上の関(広島県)、御荘城下(愛媛)、国分清水(鹿児島)の四つのみ記載がある。この中の御荘城下(愛媛)、国分清水(鹿児島)は地名であり、昔話としてはより具体性を持っている。一方西の村東の村(山梨県)、下の関上の関(広島県)は地名ではなく位置を示している。向かって西か東か、また下か上か。かだうじの出会いの上下は地名ではなくもちろん位置のことだ。
かだうじの出会いの上の方の部落、下の方の部落とは、阿多古川の上流下流のことを意味するだろう。阿多古川は熊から上阿多古、下阿多古を通り天竜川に通じている。阿多古川流域の人々は昔から阿多古川と共に生きてきた。前述した通り阿多古川を中心とした稲作農業も繁栄してきた。現代においても夏になれば多くの人が涼を求めて阿多古川に遊びに来る。アユ釣りや渓流釣りに興じる者もいる。川に沿って人も物も動く。阿多古川と切っても切り離せない下阿多古の状況が昔話にも大いに反映されているのではないかと思う。
天竜の昔話には川に密接した昔話が多い。阿多古筋だけでも、流の渕のかっぱの子(上阿多古)、瀬戸渕の水神様(上阿多古)、笛の好きな竜神さま(上阿多古)、乳母が滝と乳母の懐そして遠矢場(上阿多古)、釜渕の大蛇退治(熊)、大日山と竜神(熊)、こり取り渕(熊)といった昔話がふるさとものがたり天竜に掲載されている。阿多古川の恵みを授かることもあれば、日照りに苦しむこともあり、昔話に描写されている。昔話のこれらの描写は、阿多古川と共に生きてきた証明でもある。
五.久しぶり
上の方の部落のかだうじと下の方の部落のかだうじが出会った際、久しぶりじゃのうと言っている。このような表現は全国の無精くらべにはない表現である。かだうじの出会い以外の無精くらべでは、二人の登場人物は初めて会うという設定になっている。唯一長野では友人が出現するが、他の無精くらべとは異なり笠が出てこない。純粋な無精くらべとは異なっている。
久しぶりじゃのうという会話から、かだうじの出会いにおいて上の方の部落のかだうじと下の方の部落のかだうじはもともと知り合いであったことがわかる。他の無精くらべでは初めて会う人にお願いをするという形になっており唐突感を否めないが、かだうじの出会いにおいては知り合いにお願いをするという形になっており違和感は全くない。
「ところでお前さん。おれの弁当を肩からおろして、包みをあけてくれんかのう。弁当、半分やるからさあ・・・・。」
「のー、のー。とんでもねえ。おれは、笠の紐のゆるみを、直す気力もねえんだ。さっきから、笠が落ちそうだもんで、口あいて、あごで支えてるだ。お前さん、おれの紐を、しめ直してくれや。」
二人のかだうじが行動を起こすことはなかった。行動を起こすにはエネルギーが必要だ。対局性のあるところにこそエネルギーは流れ、まったく同等のものの間にはエネルギーが流れることはない。例えば、電気はプラスからマイナスへ流れ、風は気圧が高い方から低い方へ流れる。上の方の部落のかだうじと下の方の部落のかだうじのエネルギーが同等のためエネルギーの交流が起きない。弁当の包みも笠の紐もエネルギー的にみると変わらないということになる。
ほとんどの無精くらべはここで終了となる。これから先に話が進むのは、全国の無精くらべの中でもかだうじの出会いのみである。
さらに話が進むと「ここでだれか通るのでも待って、頼んでみようや。」と二人で意気投合し道端に腰をおろし、そのうちに「寝るほど楽なことはねえ。」、「早くだれか、こないかなあ。」ということになった。結果は出ていない。誰かが来て弁当の包みを開け、笠の紐のゆるみを直してくれたのか。それとも誰も来なかったのか。
今回主に題材として使用したのは「ふるさとものがたり天竜」の「かだうじの出会い」である。これとは別に下阿多古老人クラブ連合会の「下阿多古の昔話」にもかだうじの出会いは収録されている。大方の内容は「ふるさとものがたり天竜」と「下阿多古の昔話」ともに違いはないが、最後の部分は微妙に異なっている。「下阿多古の昔話」のかだうじの最後の言葉は「そりゃあ困ったなあ、じゃ此処らで一服して誰れか通りがかりの人を待つとしようか、その内には誰れか来るだろう。」「ほう、こりゃ貴公に似合わぬ妙案だ。優しい女の人でも通ったら、弁当も笠の紐も、どうにかなるだろう。どっこいしょ。」となっている。まだ来ぬ優しい女の人を期待しているのだ。こういった表現は他の無精くらべにはないものだ。
臨床心理学者河合隼雄は著書昔話の深層の中で、怠けとは退行の一種であり、更に退行には病的なものと創造的なものがあるとしている。詳述は避けるが、退行が永続化し反転現象が生じないものが病的退行で、次の統合が生じるだけの自我の強さを持っているのが創造的退行である。全国の無精くらべでは反転現象が全く起きず二人の無精者が行き詰ったまま話は終わってしまう。それに対してかだうじの出会いでは反転現象が生じ、女性との統合を示唆する言葉が出ている。これらを解明するヒントとなる昔話として三年寝太郎がある。この昔話も無精者の話である。
六.三年寝太郎
これにはいろいろなバリエーションがあるが代表的なあらすじを以下に紹介する。
昔あるところに二軒の家が並んでいた。東の家は大尽(だいじん)であったが西の家は貧乏であった。西の家では父親が死んで、母親とひとり息子がくらしていた。ところが、この息子が怠け者で食っては寝てばかり、「くっちゃね」と呼ばれていた。この怠け者の男が二十一歳になると大活躍を始める。神主の格好をして東の大尽の家にしのびこみ、神棚の上に隠れる。そして、夕飯時に飛び降りて、おれはところの氏神だ、きさまのところの娘と西の家の息子とは夫婦にしろ、と告げる。これが、まんまと成功して、彼は大尽の娘と結婚し、家も上等に建てなおしてもらったという。
三年寝太郎の主人公であるくっちゃねも、われわれのかだうじ同様無精者であった。くっちゃねは、臨床心理学者河合隼雄のいう創造的退行の通り、三年の月日を経て自我に反転現象が生じ女性も富も手に入れることができた。われわれのかだうじは女性との出会いを期待したところで終了しているが、三年寝太郎のように女性や富を得る話につながっているのかもしれない。それはかだうじの出会いには終わりの合図がないからだ。全国の無精くらべの中には、昔話が終了するにあたり、どっとはれ(これでお終い、めでたしめでたしという意味:秋田)、昔こっぷり(結びの言葉:岡山)という終わりの合図が使われているものがある。最近の有名人でも、ビートたけしは「ちゃんちゃん」、いかりや長介は「なーんてな」、内田裕也は「ロックンロール」、ポケットモンスターのニャースは「ナアーンテニャ」という言葉を使い、話の終わりを明言している。他の無精くらべにある終わりの合図が、かだうじの出会いにはないということは、かだうじの出会いの話にはまだ先があることを示唆しているのではないかと思う。
さて、ここで疑問が生じる。くっちゃねが一人であるのに対して、かだうじは二人いるということである。これについては、二人のかだうじは、@上の方の部落−下の方の部落、A弁当−笠というように対になっていること、また前述した通りエネルギーが同等で行動が起きなかったということから、二人のかだうじは、深層心理学的には一人なのではないかと推論できる。上の方の部落のかだうじから見たら下の方の部落のかだうじは精神分析学者ユングの言う影(シャドー)にあたり、逆もまたしかりである。二人のかだうじが出会ったことにより、自我の統合が図られたと解釈することができる。一人のかだうじの中で生じている昔話がかだうじの出会いだとすれば、かだうじの出会いが単なる笑い話ではないことがわかってくる。われわれのかだうじは単なる無精ではなく、三年寝太郎のくっちゃね同様男性と女性の結合の前に生じる無精であると解釈できる。全国の無精くらべに登場する無精者が病的退行であるのに対して、われわれのかだうじは創造的退行であった。ここが全国の無精くらべとかだうじの出会いとの最大の相違点である。それゆえ題名も無精くらべではなく独特の題名であるかだうじの出会いになっているのだろう。何故全国の無精くらべとかだうじの出会いにこのような差が生じるかについては、下阿多古在住の身からすれば、下阿多古独特の何かがあるのだろうと思うのだが、さっぱり思いつかない。時間の制約もあることから、これに関しては今後の宿題にしよう。小学生のころから、宿題に対して敬意を払ったことはあまりないが。
七.まとめ
かだうじの出会いは全国的には無精くらべと言われ各地に類話が見られる。日本各地にみられる昔話であれば、地域性などはないのかもしれないが、かだうじの出会いを細かく見ていくと、下阿多古独特の内容が多分に含まれており、地域性豊かな独立した昔話であるといえる。
文献
ふるさとものがたり天竜 上阿多古草ぶえ会
下阿多古の昔話 下阿多古老人クラブ連合会
昔話と日本人の心 河合隼雄 岩波書店
昔話の深層 河合隼雄 福音館書店
日本昔話大成 関啓吾 角川書店
日本昔話通観 稲田浩二、小澤俊夫責任編集 同朋舎
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
広辞苑
大辞泉