は じ め に  
たいした動機もなく始めたスキューバダイビングそして水中写真であったが、気がついてみると、 休日の時間とエネルギーの大半をこれに注ぎ込むことになっていた。
初めて海に潜った時、まず海水が想像以上にショッパイものだと感じ、 潜り終わって、一歩、一歩と体が海水からで出るに従い、それまで無重力 状態に慣れた両足に体重がズシッ、ズシッと乗ってくるのを感じて、これが 重力だと思った。魚のことは何も覚えていない。
私が、ホームグラウンドとしている三保は、お世辞にもきれいとは言 えない海である。透明度は平均すると2〜3mである。一度潜れば、ほとん どのダイバーは、もう二度と潜らないに違いない。
こんな私が、こんな海に夢中になってしまったのは、そこに棲む生物の 生態写真を撮ることがおもしろかったから、この一点に尽きる。
魚類は陸上動物に比べると行動が単純、本能だけで生きている、と思い 込んでいた。ところが実際に彼らの生活をのぞいてみると、陸上動物と変わら ぬ複雑な社会があった。子育ては季節を選び、時間帯を選び、場所を選び、 思いもよらぬ子育法を生み出し、自分で巣作りをし、助け合い、自分や子供を 守るために威嚇し、擬態をし、生きるために捕食する。これらを見ていると本 能の一言では納得できなくなる。喜怒哀楽、意志、知能があると思わざるを得 ないのである。このことは、驚きであった。
そんな彼らの生活シーンを、写真に記録することは簡単ではないが、うま くいった時はいい気分である。例えれば、バッターがピッチャーの投げる
ボールの予想が的中し、ホームランを打った時の気分かもしれない。ピッチ ャーに勝った、しかし、ピッチャーに対しては親しみと友情が生まれる。少し大げさ かもしれないが、魚の行動がずばり的中し、思いどおりの写真が撮れた時には、こ れと似た気持ちになる。
こうして撮った写真の中から、気に入ったものはその都度プリントし、ダイビ ングショップの壁に飾っていただいた。それらをアルバムにまとめたところ、本にし てみたらと言ってくださる方がいた。私自身も何かの形でまとめ、区切りにしたいと 思う気持ちがあった。
しかし問題はどういう性格の本にするかということであった。大いに迷った末 「海洋生物が教えてくれた生きるということ」をテーマにしようと決めた。大袈裟な テーマで少し照れる気もあるが、やはりこれしかない。そして、永遠のテーマでもあ る。
かれらは何も言わず、一生懸命に、ひたむきに、淡々と生きている。その様子を 見ていると、キザな言い方をすれば、生きるとはどういうことか教えてくれている気が した。このことは言葉で言い表わすのは難しい。かれらのありのままを写した写真でこ れを表現できたらと思う。
したがってこれは芸術写真でもなく、魚類図鑑でもない。「海洋生物の生態記録 写真」である。
私の感じたことを、本書を手にされた方に少しでも感じていただくことができる なら、これ以上うれしいことはありません。
1998年 新春
三保真崎海岸にて