◎10月


笑う森の表紙画像

[導入部]

 小樹海と呼ばれ、自殺の名所にもなりつつある神森。 そこのトレッキングコースに母親と遊びに来ていた五歳の男児の行方が分からなくなった。 行方不明から一週間が過ぎ、捜索隊が縮小される中、消防団員の田村は警杖で藪や灌木の中をつついていた。 そのとき、緩斜面を覆っている笹藪がざわりと揺れた。 あたりを探すと、夫婦の巨樹の地表近くの根が交錯してできた空洞から一対の瞳がこちらを見上げているの気づいた。 手配写真の子どもだ。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 樹海で行方不明となり一週間ぶりに保護された男児。 衰弱しているが命に別状はなく、水や食べ物も口にしていたらしい。 男児の叔父が失踪中の空白の一週間の調査に乗り出す。 神森に入り偶然男児と関わることになった、それぞれに事情を抱えた四人の男女の話がたいへん面白い。 深刻な話から笑える話、ハードボイルドまで多彩に、思いがけない展開の連続だがしっかり伏線を張りめぐらした物語で、エンタメ作品として楽しませる。 母親とネット中傷犯との対決は胸のすく思い。


死はすぐそばにの表紙画像

[導入部]

 テムズ川沿いのリヴァービュー・クロース、6軒の家の住人が穏やかに暮らす高級住宅地。 その最も大きな家に引っ越してきた金融業者ジャイルズ・ケンワージーに元から住んでいた住人は不満を募らせていた。 騒音、度重なるパーティ、醜悪なキャンピングカー、バーベキューの煙、私道を我が物顔に使い、今度はプールを建設しようとしていた。 そこで今夜、住人の一人アダム・シュトラウスの家で住人全員が参加する話し合いが予定された。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 元刑事の探偵ホーソーンが事件の謎を解く犯人当てミステリー・シリーズの第5作。 今までの4作も良かったが、今回も期待通りの面白さだった。 取り扱うのは5年前に起きた過去の事件というのが珍しい。 これを作者自身の語り手ホロヴィッツが三人称視点で描く作中作的な物語と、ホロヴィッツ自身による現在の調査の記述が交互に語られるという趣向。 じりじり明かされるホーソーンの過去が相変わらずのお楽しみで、ちょっとほろ苦い幕切れも予想を覆がえされて良い。


惣十郎浮世始末の表紙画像

[導入部]

 北町奉行所定町廻同心の服部惣十郎は、火事の騒ぎを聞きつけ八丁堀から出張ってきた。 目の前で激しく燃えている興済堂は、浅草阿部川町に古くから店を構える薬種問屋だ。 鎮火の手柄争いをしているを組とる組の仲裁に入っていると、小者の佐吉が家主と御店者らしき若い男を連れてきた。 若者は興済堂の手代の信太と名乗り、当主の四代目藤一郎と番頭の姿が見えないという。 鎮火後、中を検めると仏で見つかった番頭は縄で縛られていた。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 天保の改革期の江戸を舞台とした捕物帖ミステリー。 新聞連載ものということでかなりの長さだが、物語の最初に出た謎を最後まで引っ張りつつ、間にいくつかの事件を挟んで飽きさせない。 最後は想像もしない展開になった。 正義感が強く女心には疎い主人公のキャラに好感。 そのほか登場人物は多いが、巧みに描き分けられている。 時代小説としての風情も感じられるし、老親の介護や組織のしがらみなどの現代に通じるテーマも織り込まれて興味深い。 シリーズ化を望む。


バリ山行の表紙画像

[導入部]

 古くなった建物の改修を専門とする会社に転職して二年の波多は、当初無理をして顔を出していた社内の付き合いの飲みも億劫に感じて断るようになっていた。 その口実に、娘や妻に熱を出させ、母親を要介護者にした。 そうやって上司や同僚の誘いを断り、まっすぐ家に帰った。 そんなとき、社内で登山に誘われる。 社内の電子掲示板に「春の六甲登山」というタイトルのトピックが出され、アウトドアに興味があった波多は参加希望を出す。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 芥川賞受賞作。 “バリ”はバリエーションルートの略で、通常の登山道でない道を行くもの。 主人公は会社の業績が傾きかけていくような状況の中で、危険行為にも当たるようなバリ山行に徐々にのめり込んでいく。 主人公の葛藤、生きていく上での焦燥感や募る不安の中、生の実感を求めて山に入り込んでいく姿がよく表現されている。 まさに彷徨うような山行の場面は臨場感たっぷりで読ませる。 会社の状況、社内のさまざまな人間関係の描写もとてもリアルに感じられた。


狂った宴の表紙画像

[導入部]

 イギリス連邦からの独立が間近の西アフリカの小国アルバーティア。 この国で近々初の国家元首選挙が行われる。 名うての選挙コンサルタントのシャルテルは、広告代理店の若手広告マン、アップショーと組んで、この国の第二党・国民進歩党の党首チーフ・アコモロを選挙で勝たせるキャンペーンを請け負う。 選挙戦の戦略と管理、広報を行うのだ。 他の有力候補は二人。 ひとりは大手広告代理店が、もうひとりはCIAが裏で推していた。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 アフリカの小国での首相選挙を舞台に、辣腕の選挙請負人によるあの手この手の工作が描かれる。 ロス・トーマスらしい軽快なユーモアに満ちた人物描写と会話が楽しめるコン・ゲーム的な物語。 戦略はもっと手段を選ばないような汚い裏工作が出てくるのかと思ったが、それほどでもなかった。 他候補とのつばぜり合いといった展開もあまりなく、思惑通りに進みすぎな感じも。 軽い政治コメディーとして楽しめたが、ちょっと長いかな。 それでも終盤の急展開には驚かされた。


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