江戸の中でも五本の指に入る名の知れた大店の天満屋の娘のお春は、芝居小屋・森田座の気鋭の役者・今村扇五郎に入れあげている。
お春は、誰にも告げたことはないけれど、今村扇五郎の女房になると心に決めていた。
しかし、その枠にはすでにひとりの女が居座っていた。
名前はお栄。
『役者女房評判記』によれば、顔は残念、身形は貧相、性格は分からずの加点はなし。
お春は憤慨した。
扇様の女房なら極上上吉でなければいけないのに。
[寸評]
江戸の芝居小屋を舞台とした六編の連作集。
それぞれ、大店のお嬢、小屋で饅頭を売る饅頭屋、衣装の仕立屋、小屋前で客を呼び込む木戸芸者、鬘師、そして扇五郎の女房を語り手として、常軌を逸したような芝居者の世界が描かれる。
ミステリー仕立てで最後まで引っ張るが、なんと言っても、“江戸っ子でぃ”といった感じの文章・台詞回しが最初はちと読みにくいが、実に小気味よく、良いテンポで読ませる。
看板役者・今村扇五郎の生き様に凄みがある。
山田風太郎賞を受賞。
船橋和世は幼い頃は聞き分けがよく手がかからず、いつも明るく向日葵のような子だったが、言動が変わったのは中学生になってからで、思春期が終わっても、成人して社会に出ても、愛らしさは戻ってこなかったと祖父母は嘆いていた。
人並みに結婚したが、結婚生活は二年にも満たず、妊娠が分かったのは離婚後で、和世は独りで出産した。
和世は息子にも世間並みでない人生を強要した。
その第一が太郎という名前だった。
(「彼の名は」)
[寸評]
いじめ、小児性愛、引きこもり、ゲーム中毒、不法滞在、ヤングケアラーなど、令和の現代に見られる社会問題を題材に上手く取り込み、作者らしい騙しのテクニックで楽しませる八編のミステリー短篇集。
いずれも叙述トリックを使いしっかり組み立てられた物語で、話の展開も早く、スラスラ読めて面白いと思ったが、驚きの幕切れもそれはないだろうというものがいくつか見られた。
中では、ゲーム依存の大学生と認知症の老女が出てくる「君は認知障害で」が良かった。
兼松書房の労務課勤務・浜野文乃は45歳。
離婚してから10数年、一人暮らしで毎日同じ時間に出勤退勤し、毎日同じようなご飯と動画を詰め込み、毎日同じような時間に眠りにつき目覚める、という一日を繰り返すルーティン人生だ。
ある日、文芸編集部の平木さんの自宅へ行き様子を見てきてくれないかと部長に頼まれる。
平木さんはスケボーで転んで二週間在宅勤務をしていたが、在宅勤務延長を乞うメールが編集長あてに届いたのだ。
[寸評]
ルーティンに生きてきた女性が新しい世界に踏み込んでいく。
物語としては、離婚後は平凡に生きてきた40代の女性が、同僚のパリピ編集者に導かれて出会ったパンクバンドのボーカルとつき合うような、つき合わないような関係になり・・・、といったそれだけの話なのだが、読んでいて癖になる面白さ。
とにかく金原ひとみの紡ぐ文章は語彙がとても豊富かつユニークで、圧倒される思い。
ただ、主人公のお相手となるボーカルがちょっといい人すぎるかな、とは思った。
劉雅弦は私立探偵。
ある日、十五、六歳の少女が探偵事務所の戸を叩いた。
服装から聖徳蘭女学校の生徒だと分かった。
彼女は葛令儀の名刺を出す。
地元の大物、葛天錫の姪だ。
葛天錫には息子も娘もおらず、彼女というただひとりの姪しかいない。
葛令儀は失踪した級友の捜索を依頼してくる。
級友の名は岑樹萱。
二週間学校に来ていない。
家は映画館を経営していたが倒産したらしく、電話しても出かけていっても応答はないと言う。
[寸評]
1930年代中華民国期の中国を舞台とした、タフな女私立探偵が主人公の華文ミステリー。
作者自身あとがきで、ロス・マクドナルドに深い影響を受けたと書いているが、本作は洗練されたハードボイルドタッチに全編彩られている。
物語は思いがけぬ展開を挟みながらほぼ一直線に進んでいくので、混乱することはない。
長さも短めでほど良く、読みやすくて楽しめる。
女性の登場人物が多く百合要素もありで、全体にモノクローム色を感じさせる雰囲気のある作品と感じた。
三十五歳の清藤澄奈は東京モノレール株式会社の総務部に属している。
今回、テレビドラマの話が来た。
モノレール絡みのドラマをつくりたいのだという。
日時を決め、先方のテレビ局の方を招くと、訪ねてきたのはプロデューサーとシナリオライターだった。
部長と共に応対すると、深夜帯に放送するドラマの企画で、全四回の連ドラだと言う。
なぜモノレールなのかと尋ねると、特徴がある、インパクトが大きいとプロデューサーは答えた。
[寸評]
東京モノレールの会社に勤務する総務部社員や乗務員、駅社員など四人が各々主人公となって語る四編と、『東京モノライフ』としてテレビドラマ化された話で構成される短篇集。
この構成には工夫があり、なかなか面白い。
しかし内容はと言えば、あまりにもなにも起きないというか、説明的な文章がくどくど繰り返されるだけで、淡々としていてドラマチックな展開はほとんどない。
相変わらずの作者らしい素直な語り口は好印象だが、もう少し物語に起伏がほしかったところ。
[導入部]
[採点] ☆☆☆☆
[導入部]
[採点] ☆☆☆★
[導入部]
[採点] ☆☆☆☆
[導入部]
[採点] ☆☆☆☆
[導入部]
[採点] ☆☆☆
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