◎21年1月


夜の声を聴くの表紙画像

[導入部]

 十八歳の堤隆太は中学二年の時に学校に行くのをやめた。 高校には進学しなかった。 祖父、父ともに読書家のせいで家には蔵書がどっさりあり、書庫に入り込んで日がな一日読書にふけるのが彼の引きこもり生活だった。 ある日、公園のベンチで本を読んでいると、向かいのベンチに座っていた若い女が、立ち上がるなりカッターで自分の左手首を切り裂いた。 彼女はその姿勢のまま隆太の方に歩み寄ってきた。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 書評家の北上次郎氏激賞の作品だが、私にはそこまでの作品とは感じられなかった。 引きこもりの青年が定時制高校に通い人と触れ合っていく成長小説の趣もあるし、バイトするリサイクルショップに持ち込まれる謎を解決する日常の謎ミステリーの様相もある。 だが本筋はリサイクルショップに集う過去の殺人事件の関係者の絡み合いにあるのだが、その関係者たちの心情がもう一つ胸に迫ってこないのだ。 終盤、説明調の主人公の一人語りも一因かな。


八月の銀の雪の表紙画像

[導入部]

 堀川は都内にある大学の理工学部の四年生。 就活で四十社以上にエントリーしてきたが、八月の時点で内定どころか、二次面接を突破したことすらない。 アパートに帰る前にコンビニに寄るのが習慣だ。 店には相変わらず使えない外国人の女店員がいる。 イートインスペースから若い男に声をかけられた。 二年生のとき、教養科目で一緒だった清田だった。 堀川は一年休学しているので、清田はもう社会人だ。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 前作
「月まで三キロ」と同様、理系の話題が物語に練り込まれた短編5編の作品集。 いずれも主人公がさまざまな苦境にある中、物語の終わりにはそれぞれ前を向いて生きていこうという姿勢が出ている、気持ちの良い話になっている。 地球の構造や伝書バト、珪藻、気象観測凧など理系の話題は興味深く楽しいが、今回の諸作はそれらが前作より前に出ている感じで、一方人間ドラマの方が淡く、やや薄味に感じられたのは残念だった。 直木賞候補作。


ミラクル・クリークの表紙画像

[導入部]

 バージニア州の郊外の町ミラクル・クリーク。 そこで専門技師のパク、妻で事業を補佐するヨン、大学進学を目指す娘のメアリーの韓国人移民一家が高気圧酸素治療施設を運営していた。 その治療はミラクル・サブマリンと呼ぶカプセルの中で、患者は高気圧の密閉空間にいて純酸素を取り込むもの。 自閉スペクトラム症、脳性麻痺、不妊症、神経症等に効果があると謳っている。 その施設で火災が起き二人が焼死する。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 火災は放火と断定され、焼死した少年の母親が逮捕される。 物語は事件から1年後に始まった裁判の様子が大半を占める。 それが被告や韓国人一家、患者関係者ら8人ほどの語りで綴られていく。 語り手たちはそれぞれ心の内に傷と秘密を抱えながら法廷に臨んでおり、彼、彼女らの心の葛藤が読みどころ。 リーガル・ミステリーにして本当に被告が犯人なのかというフーダニットの要素を持つ、読み応えある重厚な作品だ。 エドガー賞等の新人賞受賞作。


ちえもんの表紙画像

[導入部]

 十八世紀半ば、周防国都濃郡櫛ヶ浜村。 村一番の素封家、廻船屋敷の二男、喜右衛門は幼くして他の村へ奉公に出されていた。 色白で痩身だったが腕っ節の強さには関心がなかった。 青瓢箪の若者は、智慧を凝らして一旗揚げる、と偉そうに宣い、奉公先の主人に怒られていた。 一方、浦の網元、中野屋惣左衛門の末子、吉蔵は体格が良く力も強かった。 大網漁が吉蔵の憧れだった。 二人は若衆宿に入る。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 江戸時代、漁村の余計者の二男が、力でなく知恵を使って大商人としてのし上がっていく、スケールの大きな一代記。 ちょっと飯嶋和一の諸作を思い起こさせるような歴史ロマン大作だが、力のある文章はさらに硬質で手強い。 社会・経済情勢や漁法、仕掛けなどの説明がたいへん細かくて、読んでいてなかなか頭に入ってこないのが難点。 それでも後半は抜け荷を扱う緊張感が漂い、沈没したオランダ船の引き揚げに挑むくだりは迫力があり、胸躍らされる。


コンビニ兄弟の表紙画像

[導入部]

 中尾光莉は夫と高一の息子の三人家族。 自分の小遣い稼ぎのためにコンビニ店員のパートを始めた。 テンダネスは九州だけで展開するコンビニチェーン。 北九州市門司区大坂町通りの中ほど、こがね村ビルの一階にテンダネス門司港こがね村店はある。 店長は志波三彦。 背が高く、モデルのような体型の三十歳。 光莉は志波のことをフェロ店長と呼んでいる。 志波はフェロモンを泉の如く垂れ流している。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 人の心を鷲掴みにするようなフェロモンダダ漏れの店長がいるコンビニに集う人たちの人間模様を描く連作短編六話。 夢と仕事の現実に苦しむ塾講師、妻との関係がギクシャクする定年過ぎの男の話など、ちょっとコミカルに描かれていくが、幼馴染みとの関係が辛く苦しむ中3女子を描く第三話が辛さの度合いが半端なく、町田そのこの作品らしい。 全体に前を向いた幕切れで気持ちの良い作品集。 軽いものが多いが、楽しませてくれたので採点は少し甘め。


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