◎2021年2月


心淋し川の表紙画像

[導入部]

 江戸の片隅、千駄木町の一角は、心町(うらまち)と呼ばれていた。 小さな汚い川が流れ、その両脇に立ち腐れたような長屋が四つ五つ固まっている。 ちほはそこに両親と住んでいる。 仕立屋の志野屋から裁縫を請け負い、五日に一度ほど納めに行く。 ちほは何年やっても針仕事は好きになれない。 針目を改める志野屋の手代にはいつもねちねちと嫌みをこぼされる。 そんな志野屋で上絵師の元吉と知り合う。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 吹きだまりのような長屋を舞台に、そこに住む人々を描き、時代物らしい風情を感じさせる連作短編六編。 喜び、悲しみ、希望、あきらめ、いつの世も変わらぬ人々の思いが情味を持って描かれている。 四人の囲われ女が同じ軒下に住む第二話など、設定も話の展開もいずれもそこそこ面白い。 最後の一編は前五編をまとめるように驚きも加えたなかなか巧みな構成。 先頃直木賞を受賞した。 「欠点のないところが欠点」という選考委員・北方謙三の講評には納得。


ババヤガの夜の表紙画像

[導入部]

 新道依子はバイトを終え歌舞伎町を歩いていると、酔ったチンピラがすれ違いざまに尻を叩いた。 即座に踵を返し、その男の足を払い顔からアスファルトにぶち落とす。 すると明らかにガラの悪い男たちが現れ新道の進路を塞いできた。 新道は次々に男たちを倒すが、後頭部をビール瓶で殴られ倒れる。 そして車に乗せられ連れ込まれたのは、関東最大の暴力団興津組の直参である内樹會の会長の邸宅だった。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 幼い頃から祖父に鍛え上げられた女ファイターが、無理やり暴力団の会長の娘の警護役につかされる。 冒頭から荒っぽいファイト場面が繰り広げられ、以後も物語はスピード感を持って最後まで突っ走るバイオレンスアクションもの。 女ファイターというのが痛快で、喧嘩上等のド派手なファイトが凄い。 200ページに満たない短い作品だが、後半には叙述トリックめいたひねりも加えられている。 後半の展開はスピードが速すぎて、もう少し読みたかったところ。


日没の表紙画像

[導入部]

 作家のマッツ夢井が自宅の郵便受けを覗くと青い封筒が入っていた。 差出人は総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会とある。 中から出てきたのは「召喚状」と書いた一枚の紙。 貴殿の作品に関する読者からの提訴により審議会出席を要請したが、返答がないので出頭を要請するという。 出頭日は明後日、場所は千葉県の海辺の町にある駅の改札口だった。 担当編集者に電話して訊いてみるが、要領を得ない。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 作家が国家により表現の自由を奪われる、近未来への警句ともとれるディストピアもの。 主人公は風俗を乱すような作品を書いているとして、断崖に立つ海辺の療養所に収容され、囚人並みの扱いを受ける。 理不尽な拘束により徐々に壊れていく主人公の姿が非常に怖い。 自由を奪われて反発と恭順を繰り返すような、執拗に追い込まれていく心理の描き方がいかにも桐野夏生らしい。 心理スリラーとして、怖いもの見たさでページを捲ってしまうような物語。


十の輪をくぐるの表紙画像

[導入部]

 墨田区のスポーツ関連会社に勤める佐藤泰介は、妻の由佳子、高校生の娘の萌子、母の万津子と暮らしている。 母は八十歳を目前にくも膜下出血で倒れてから認知症を発症した。 一日の中でも意識がはっきりしたり、ぼんやりソファから動かなかったり症状はまだらに出るようだ。 食事も取らずテレビを見つめたままの母が、オリンピックのスポンサー企業のCMを見ている時、突然「私は・・・東洋の魔女」と言った。

[採点] ☆☆☆

[寸評]

 二つの東京五輪とバレーボールをキーに描く、娘の萌子を含む親子三代の物語。 泰介を主とした現在パートと母の結婚前後の時代の回想パートが交互に語られる。 泰介にしろ万津子の夫にしろ、ろくな男が出てこない。 とりわけ夫のDVに苦しめられ、その事故死後は郷里の親族に疎まれ、の回想パートがつらい話ばかりで胸苦しい。 ドラマチックな物語だが、ADHDと診断された後の泰介の変貌ぶりも含め、後半はいい話でまとめすぎたような感がある。


ホテル・ネヴァーシンクの表紙画像

[導入部]

 1931年1月、ニューヨーク州、キャッツキル山地の山あいにそびえる大邸宅が競売に付された。 地元実業界のドン、フォーリーが窮乏の果ての負債整理のためだった。 バスルーム付きの93の部屋、三つの舞踏場、ふたつのダイニングルーム、劇場、プールなどを備えた大きな屋敷。 落札したのは地元で民宿を営むユダヤ人のシコルスキー。 彼は屋敷の名称を“ネヴァーシンク”に改め、7月に最初の宿泊客が到着した。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 ホテル周辺で起きる子供たちの行方不明事件というミステリー味を持った、ネヴァーシンクという名のホテルの一代記。 事件の謎は最後には解明されるが、作品のミステリー色は薄い。 ホテルの誕生から終焉の歴史の中で、命を持ったホテルを舞台に関係者たちの物語がそれぞれ数年を隔て15章ほど語られていくのがメイン。 いずれの話も単独で面白い。 事件の解明を司るエンディングの章もミステリアスな雰囲気で語られ、この物語の締めくくりらしい。


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