AUGUST

◎21年8月


過ぎにし夏、マーズ・ヒルでの表紙画像

[導入部]

 母親が乳がんに冒されていることを知ってしまった少女ムーニーと、アーティストでHIV陽性の父親を持つ少年ジェイソン。 二人はメイン州の海岸沿いのスピリチュアリストのコミュニティ、マーズ・ヒルで12歳のときに出会った。 ここでは周りに家族連れはおらず、二人以外に子供は見当たらなかった。 二人は不安を抱えたまま、寄り添い合って夏を過ごした。 ジェイソンはここにいる人々をヒッピーの群れだと思っていた。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 表題作など4つの中短編が収められた作品集。 いずれもSFのネビュラ賞や世界幻想文学大賞を受賞している作品だが、といってもSFというよりはちょっと不可思議な成分の入った叙情的な物語集という感じ。 表題作の少年少女の目を通して見た夏の情景もいいし、2作目の「イイリア」はいとこ同士の恋に悩むふたりが演劇や歌への思いを募らせていく物語で情感たっぷり。 最後の奇想天外な模型飛行機の小さな奇跡の物語は躍動感のある面白さを持っていた。


へんこつの表紙画像

[導入部]

 文政三年(1820年)6月。 季節は勢いのある夏の盛りを迎えた。 大坂で五本の指に数えられる豪商・杣屋徳兵衛の一人息子の久代助は、本町通に面した店の主として、主に女性が身を装うために使う小間物を扱っていた。 久代助は女癖の悪さを伝える噂が絶えなかった。 その日、店の暖簾をかき分けて現れた男は、店の主を出せと言う。 身の丈六尺を超える大男で、三尺を優に超える大身の刀を差している。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 大坂は東町奉行所の与力、大塩平八郎を主人公に据えたハードボイルドタッチの時代ミステリー。 獲物を狙う虎の目のような平八郎は、巷の犯罪はもとより、奉行所内の不正も許さないという姿勢を崩さない。 物語は、情け容赦ない非道な六道丸という盗賊との激しい戦いと、官に食い入る豪商と癒着した上役を強引に追いつめていく平八郎の活躍が描かれる。 終始スピーディーな展開で、派手な剣劇場面もあり、死人も多く出るが、豪快な面白さの作品だ。


わたしたちが光の速さで進めないならの表紙画像

[導入部]

 宇宙ステーションでは、老女アンナがスレンフォニア惑星系の第三惑星に向かう宇宙船の出航を長らく待ち続けていた。 スペースデブリの廃棄と回収のためにそこに出向いた社員とアンナは会話を交わす。 第三惑星にはアンナの夫と息子がいると言う。 アンナは、ワープ航法の実用化による宇宙開拓時代の幕開けの頃、人体をコールドスリープさせるディープフリージング技術の研究に携わっていた。 (表題作)

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 韓国人女性作家によるSF作品集。 表題作など3、40ページの短編7編。 理系修士という作者による作品はどれもしっかりSFしているが、けっして難解なハードSFではなく、雰囲気はファンタジックで叙情的というか感傷的という感じの筆致だ。 地球外知的生命体とのファーストコンタクトを描いた「スペクトラム」、地球外生命体が数万年前から人類の新生児の体内に宿っていたという設定の「共生仮説」等、7作いずれもSF的センスの良さを感じさせる良作。


台北プライベートアイの表紙画像

[導入部]

 台北に住む大学教授で劇作家だった呉誠は、妻がカナダにいる高齢の両親と一緒に暮らすことになり一人残された。 そして呉誠は50歳を前にして教職を辞め、演劇界とも縁を切った。 うらぶれた臥龍街に引っ越し、中古四階建てマンションの門のわきに「私立探偵」の看板を掲げた。 林という夫人が相談にやってきた。 ある日を境に、娘が父親をまるで仇を見るような目つきで見るようになり話もしなくなったと言う。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 台湾人作家による自称私立探偵を主人公にしたハードボイルド風味のミステリー。 私立探偵といっても調査案件は前半早い段階で終わる1件のみで、あとは主人公が連続殺人事件に巻き込まれ、犯人と疑われてしまう。 そこで冤罪を晴らすために真犯人を捜し出そうとするもの。 偏屈な主人公が減らず口を叩くのは定石通りだが、前半は話に脱線が多く少し読みづらい。 殺人犯として疑われて以降はスムーズに話は進み、スリルのある展開で楽しめた。


スモールワールズの表紙画像

[導入部]

 美和の手には妊娠判定薬。 すがすがしいほど何のサインもない。 また「今月の子宝」に外れた。 結婚祝いに夫の貴史の両親が買ってくれた2LDKのマンションの一室は「いつかの子どもの部屋」としてもう八年もスタンバイしていた。 そこには腰高のキャビネットの上に四十五センチの水槽があり、ネオンテトラの群れが現状この部屋のあるじだった。 夜、貴史が帰ってくると「また駄目だった」と報告する。 (ネオンテトラ)

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 共通のテーマとかはなく、構成もジャンルも印象も異なる多彩な短編6編。 中では「魔王の帰還」が一番凄いか。 とにかく姉のキャラが図抜けているし、おまけにちょっとほろっとさせるラストもたいへん見事な一作だ。 往復書簡だけで構成された「花うた」も短編として面白い趣向だし、やる気のないひとり暮らしの教師のもとに十五年ぶりに娘が“男”になって訪ねてくる「愛を適量」も短編ではもったいないほど中身がある。 直木賞は候補となったが受賞は逃した。


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