◎20年6月


希望のゆくえの表紙画像

[導入部]

 弟の柳瀬希望はマンションの管理会社に勤めている。 一昨日、弟はとあるマンションの理事会に出席する予定だった。 ところがそのマンションでボヤ騒ぎが発生し、弟が住人の女性と一緒に駅へ走って行くところを誰かが見たという。 女性はボヤ騒ぎを起こした部屋の住人だった。 それから弟は電話にも出なくなり昨日は会社を無断欠勤していた。 母親に頼まれ、兄の柳瀬誠実は弟のひとり暮らしのマンションを訪れる。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 兄が行方知れずとなった弟を捜して、彼と交流があったと思われる人物を訪ねていく。 会社の同僚、昔つき合っていた彼女、幼稚園の先生等々、物語は順にその人たちの語りで綴られていく。 弟はどんな人間だったのか。 それでも明確な人物像はなかなか見えてこない。 先への希望も持たない、空っぽの人間。 それは弟だけでなく、兄自身もだ。 いわゆるいやな感じの人がたくさん登場するのだが、不明瞭さに満ちたミステリー仕立ての物語はなかなか楽しめた。


御社のチャラ男の表紙画像

[導入部]

 ジョルジュ食品の営業担当の岡野繁夫は、その日の最後の訪問先から事務所に戻ってきた。 そこで社員の山田さんが窃盗で逮捕されたことを聞く。 社長は警察に行ったという。 三芳部長はとっくに帰った。 三芳部長のことをチャラ男と名付けたのは山田さんだった。 三芳部長が入社したのは四、五年前、まだ四十代になったばかりで、社長の知り合いの息子かなにか、ヘッドハントされて来たその日から部長だ。

[採点] ☆☆☆

[寸評]

 コメディータッチのお仕事小説かと思ったら、舞台となる食品会社でチャラ男こと三芳部長の同僚らによる、仕事や人間関係や生き方などについての独白が15編+最終章という内容だった。 さすがに作者のものの捉え方、それを言葉にする力は見事だが、この作品を単純に面白さという点でみるとどうだろう。 それそれの独白にも即共感とはいかなかった。 チャラ男の捉え方が作者と私では異なっていたのか、だいたい三芳部長はそんなにチャラくなかったな。


あの本は読まれているかの表紙画像

[導入部]

 1949年、ソ連。 オリガは秘密警察に連行された。 オリガを乗せた車は秘密警察の本部・ルビャンカに入った。 彼女は妊娠していた。 相手は詩人で作家のボリス・パステルナーク。 オリガは尋問を受ける。 ボリスの書いている小説「ドクトル・ジバゴ」について。 小説は反ソ思想ではないというが受け容れられない。 そして反体制作家の作品を褒めそやしたとして、矯正収容所で五年間の懲役の有罪宣告が下る。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 冷戦時代を舞台に、小説「ドクトル・ジバゴ」を著したパステルナークの苦闘を愛人オリガの視点で描く章と、ソ連で禁書とされた小説をソ連国内へ送り込むCIAの女性たちを描く章が交互に綴られる。 スパイものとしてのスリルやサスペンスの妙味は意外と薄いが、全体としてスケールの大きな読み応え充分の歴史物語になっている。 とりわけ試練に満ちたソ連パートは、全編にラーラのテーマが流れているような哀愁のある大河小説の趣を持って素晴らしい。


おれの目を撃った男は死んだの表紙画像

[導入部]

 あたしはラヴィーニア。 兄のジャクソンがあたしを迎えにきた。 あたしはビルおじさんとジョシーおばさんの家で暮らしていた。 夜中にはいとこのサイが寝室にやってくるのが怖かった。 ジャクソンはあたしを馬上へ放りあげるとひとりで家に入っていった。 そして銃声と、次いでいびつな叫びとわめき声、すすり泣きが聞こえた。 ジャクソンはドアを開け、臆病な腰抜けを殺してやったと言った。 (よくある西部の物語)

[採点] ☆☆☆

[寸評]

 さまざまな時代を背景に、人間の暴力や欲望、差別を描いた10編の短編からなる多様な作品集。 いずれも話の途中で自由に時制をまたいでいたり、哲学的な台詞があったり、読み手の想像力に任せた部分も多い書き方で、読むのは少々手強いものが多かった。 中では短編小説に与えられるO・ヘンリー賞受賞の冒頭の「よくある西部の物語」が印象に残った。 この作品集を評価する向きがあるのは理解できるが、全体としては私には合わなかったな。


水を縫うの表紙画像

[導入部]

 松岡清澄は高校の入学式を終えて教室に入った。 自己紹介で「縫いものが好きなので手芸部に入るかもしれない」と言うと教室の空気が微妙に変化した気がした。 ホームルームが終わり帰ろうとすると後ろの席の宮多雄大が袖のボタンを机の金具に引っかけたらしい。 ソーイングセットからはさみを出し糸を切ってやる。 宮多は人懐こく、LINE交換を申し出てくる。 家族以外とLINEをするのは初めてかもしれない。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 今月は寺地はるな二冊目。 裁縫好きの高校生が一応主人公だが、六章立ての物語はそれぞれの語り手を、清澄、清澄の姉、母、祖母、離婚した父が勤める縫製工場の社長と変え、清澄で終える。 両親が離婚した家の家族の物語。 姉弟間や親子間などにそれなりの確執はあるが、基本的に悪い人は出てこない、互いを思いやる家族の優しい良い話で、それがちょっと物足りなくもある。 各自が自分らしく生きる姿が清々しく、爽やかな印象の作品だ。


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