◎18年3月


火定の表紙画像

[導入部]

 天平の時代。 二十一歳の蜂田名代は、京内の病人の収容・治療を行う施薬院に務めていた。 施薬院は孤児や飢人を救済する悲田院と共に、現皇后・藤原光明子によって設立された令外官だ。 諸国では近年、干魃と水害が頻発しており、京に流れ込む流民は日毎に増加し、病者も増え、施薬院の長室(病棟)は常に満員続き。 名代は病人のために粥を炊き薬を煎じるばかりの日々にほとほと嫌気が差していた。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 天平の時代の奈良の都を舞台に、天然痘の猛威に翻弄される中で、うごめく人間たち、為すすべない医師らの奮闘を描いた歴史ドラマ。 ほぼ全編にわたって、疫病がもたらす悲惨な社会状況が描かれるが、その中で妬み、嫉み、恨みなどといった心の闇・俗な感情に振り回される人間のドラマが展開する。 そしてそんな小さな人間どもを嘲笑うかのように丸ごと押し流す、恐ろしい疾病の脅威がとにかく凄い。 直木賞受賞がならなかったのが不思議な力作だ。


それまでの明日の表紙画像

[導入部]

 沢崎は西新宿のはずれのうらぶれた通りで“渡辺探偵事務所”の看板を掲げている私立探偵。 11月初旬の夕方、五十代半ばの男が事務所を訪れた。 望月皓一と名乗る来訪者は、よく知られている金融会社の新宿支店長。 会社ですでに融資が内定している赤坂の料亭の女将の私生活を調査してほしいとの依頼で、沢崎は承諾し探偵料の前金を受け取る。 それが望月皓一に会った最初で最後の日になった。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 なんと原ォの14年ぶりの新作。 もはやあきらめていた新作を読むことができて、とにかくもうそれだけで満足した感じ。 相変わらずの抑制された文体にはしびれるが、ややノスタルジー感を覚えてしまうのは仕方ないか。 冒頭の話の掴みがとても良く、わくわくさせてくれる。 その後の展開は読み手を戸惑わせるほど広がり、またかなり入り組んでいるのはいつもの原ォらしいが、社会問題や政界絡み、汚職といった大仰なテーマを持ち出さないところはいい。


ワニの町へ来たスパイの表紙画像

[導入部]

 CIAの秘密工作員レディングは中東潜入中に殺害対象者リストに載っていない男を殺してしまう。 そしてどうやらCIA内部からの情報リークにより身元がばれ、殺された男の兄の武器商人がレディングの首に賞金をかけた。 CIA長官は彼女に、自分の姪が最近母方の大おばから相続したルイジアナの家に身を隠すよう命じる。 姪にはこの夏をヨーロッパで過ごさせることにし、レディングが姪のふりをするのだ。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 田舎町に一時身を隠しに来たはずの現役女スパイが到着早々からとんでもない騒動に巻き込まれ、というわけで適度なユーモアと軽快なテンポの、いわゆるコージーミステリー。 町を取り仕切る老婦人たちとの交流が面白く、登場人物は少なめで良く整理され、次々に主人公が危難に見舞われ、飽きさせない展開で気楽に楽しめる。 あれっ、これで終わりなの、と思ったら、シリーズものとしてアメリカでは大人気で、すでに10作を数えているそうです。


架空の犬と嘘をつく猫の表紙画像

[導入部]

 羽猫山吹は八歳。 姉の紅は、この家にはまともな大人がひとりもいないと言い、山吹もなかばそれに同意する。 おととい担任から、家の人に渡すように言われたプリントも引出しに入ったまま。 父は羽猫工務店の社長だが明らかにやる気が無い。 母は弟の青磁が亡くなってから人が変わってしまった。 祖父は商才もないのにむやみに新しい商売を始めたがる。 比較的まともな祖母はインドに行っていて留守だ。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 なかば崩壊した家族の長男である主人公の8歳から38歳まで、5年ごとの姿を描いていく7章立ての家族小説。 嘘で取り繕われたようなひどい状況の家族の話だが、主人公の性格からか、じんわりとした優しさが感じられる。 家族各々のキャラクターが端的・明確に描き分けられ、かなり変化に富んだ展開で面白く読める。 犬を飼えるような家ではないので、架空の犬の頭を撫でているなんて切なすぎるな。 各時代30ページ程度なのは物足りない。


風神の手の表紙画像

[導入部]

 15歳の藤下歩実は母の奈津実と鏡影館という写真館に向かっていた。 わたしたちが暮らしているのは下上町で、北側のへりにある西取川を越えるとここ上上町に入る。 鏡影館は死んだあとで祭壇や仏壇に飾るための遺影専門の写真館だ。 遺影を撮りに行くことはほかの家族には秘密にしている。 店には早くに着き棚に並んでいる写真を見ていると、母は一枚のおじいさんの写真を見てはっと息をのんだ。

[採点] ☆☆☆

[寸評]

 地方の町の護岸工事に関連して起きた事件によって大きく人生が変わった人たちを描くミステリー。 まったく関連性のないような話が時を前後して語られていくうちに、少しずつ繋がりが見えてきて最後は一気にという流れ。 それぞれの話は独立して読んでも面白い。 出来事の繋がりは確かによく練られていると思うが、繋がりが判明していく終盤は話の“つくり”が見えてしまうし、結局根っからの悪人はいないという設定も悪くはないが面白味に欠けた。


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