◎17年2月


火竜の山の表紙画像

[導入部]

 岐阜県と富山県の県境にある新羅山は急激に登山者が増え、登山事故も多発していた。 そこに新しく山岳救助隊が設けられ、山梨県警南アルプス警察署地域課の山岳救助隊の救助犬チーム〈K−9〉に、講演とデモンストレーションの依頼が入る。 星野夏美と神崎静奈隊員及び救助犬2頭が狩場署に向かった。 その新羅山は最近火山活動が懸念され、城北大学の榎田教授が現地に観測施設を置いていた。

[採点] ☆☆☆

[寸評]

 南アルプス山岳救助隊シリーズの4作目になるという。 御嶽山を思わせる火山噴火と山岳救助隊の奮闘に児童誘拐事件を絡めて、スピーディな展開で読ませる物語。 臨場感もあって最後まで面白く読めるが、誘拐事件はなくてもよかったかも。 また、大きな地震が発生したのに講演に来ていた市長らがそのまま講演会を見続けたり、K−9の女性隊員二人が所属署に連絡もせず管轄外地域をほぼ独断で動き回ったりというあたりは気になった。


太陽と痛みの表紙画像

[導入部]

 少年は土の穴の中に隠れていた。 穴の口には二本の太い枝が渡され、切り落とした枝で蓋をしてある。 食料を詰めた布袋を抱え、穴にぴったりはまり込み身動きがとれない。 夜明けのオリーブ畑で自分の名前を呼ぶたくさんの声が聞こえる。 やがて太陽が高く昇り、少年は眠り、目を覚ますと日の光は弱まっていた。 枝の覆いを押し上げ、ネズミの他に生き物の気配がないことを確かめると穴から出た。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 場所や動機の説明はなく、巻頭から少年の逃亡劇が綴られていく。 じりじりと照りつける太陽の下で木陰もほとんど無い荒野を進む過酷な旅。 やがてヤギ飼いの老人と出会う。 徐々に状況が少しは分かり始めるが、詳しい状況説明はこの作品では意味が無い。 読者の想像力で物語は膨らむ。 追跡者の不条理な暴力に怯えながら一縷の望みにすがりひたすら進む。 コーマック・マッカーシーとの相似があとがきで触れられるが、確かに近いものはある。


時が見下ろす町の表紙画像

[導入部]

 箱村和江の夫の新造は、痛み止めが効いて介護用ベッドの上で静かに寝息を立て始めた。 それでも面差しは険しい。 夫は抗癌剤の副作用に苦しんでいた。 そこに高校2年の孫娘のさつきがやってきた。 彼女に半日の留守番のアルバイトを頼み、和江は水彩画の教室に行くのだ。 さつきはさっそくスマートフォンでゲームをしている。 市役所前からバスに乗りスケッチ場所であるT山の中腹に向かった。

[採点] ☆☆☆

[寸評]

 書名のとおり、大きな時計が外壁に設置された百貨店を取り巻く町を舞台に繰り広げる連作ミステリー短編8編。 各編が登場人物や場所などを微妙にリンクさせ、最終話が時代を超えて最初の話に繋がるという洒落た構成になっている。 人物や状況設定、話の展開や落としどころも各話多彩で楽しめるし、推理短編としてそれぞれに上手に着地させているという印象だが、切れ味という点では今ひとつで、これはという突出した印象の話もない。


棺の女の表紙画像

[導入部]

 フローラ・デインはボストンのバーでひとりで飲んでいた。 そこにルックスはまあまあ、たくましい体型、服装は平凡な男が横に来て酒をどんどんおごってくれる。 閉店時間になり二人で店を出て狭い路地に入ると突然抱きついてきた。 フローラが笑うと男は彼女の頬を叩き怒声をあげた。 すると目の前から忽然とその男の姿が消えた。 そこには先ほどのバーのバーテンダーが案じるような表情で立っていた。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 過去に誘拐監禁された経験のある女を主人公にしたサスペンスで、監禁されていた当時の様子が時折物語に挿入される。 監禁の描写はかなりハードでリアル。 物語は主人公のフローラのパートと、捜査側のボストン市警殺人課の女性部長刑事のパートが交互に綴られ、切迫したような雰囲気が全編を覆っている。 アメリカのハードサスペンスそのものという物語で退屈はまったくしないが、身震いするような恐ろしい犯罪には距離を置きたくなる。


殺し屋、やってます。の表紙画像

[導入部]

 経営コンサルタントの富澤は副業に殺し屋をしている。 成功報酬は一律650万円。 依頼人と富澤との間には伊勢殿と塚原の二人が介在し、依頼人と殺し屋はお互いの情報を知り得ないようになっている。 今回依頼のあった標的は保育園に勤める浜田瑠璃子という保育士。 富澤はまずその保育士が実在し、見せられた写真の人物かどうか確認する。 その浜田瑠璃子は夜中に出歩く習慣があった。

[採点] ☆☆★

[寸評]

 殺しを職業にするドライな男が主人公の推理短編7編。 殺し屋にとって殺害依頼の動機等の余計な情報は入れないことから、そこから謎が生まれる。 ただこの謎、毎回“頭を何かが走り抜けた”とか“脳に何かが触れた”とかをきっかけに富澤が明晰な推理を展開するのはどうか。 殺しの場面はけっこうリアルだし、富澤には殺しの仕事もちゃんと知る恋人もいたりと、作品全体に不快さを感じる。 いっそのことコミカルに仕立てた方が良かったのでは。


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