◎2月


ゆびさきに魔法の表紙画像

[導入部]

 東京の私鉄沿線、弥生新町駅前の商店街で、月島美佐がネイルサロン「月と星」を開いたのは四年前。 施術用の椅子は二つ、ネイリストは現在月島のみという小さな店だが、常連客もそれなりについて、売り上げは安定している。 入居している木造長屋は一階に二軒の店舗が入っている。 駅寄りが「月と星」、角がわが居酒屋「あと一杯」で、居酒屋は五十がらみの松永という男が一人で切り盛りしていた。 松永はどうもネイルに偏見があるらしい。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 珍しい、ネイリストを主人公にした小説。 ネイル全般について作者は徹底的に取材したらしく、ネイルの施術・技法などが非常に詳しく、かつ丁寧に描かれており、まさに王道の“お仕事”小説になっている。 それはそれで興味深く読んだが、一方、物語の面白さという点では、登場人物誰もが毒の無い人たちによる終始静かな展開で、もうちょっと紆余曲折というか派手な場面やドタバタがあってもよかったのに、と感じた。 予想通りに話は進み、意外性なく落ち着いたという印象だ。


一場の夢と消えの表紙画像

[導入部]

 杉森信盛の父は馬廻り三百石取りの武士だったが早くに浪人して京へ上り、倅三人の落ち着く先を見届けた今は隠居暮らし。 信盛の兄は江戸に出仕、弟は医家へ養子に行った。 信盛は恵観禅閣の西加茂の山荘で仕えていたが、幼い頃から物覚えがよく、書物は一度読めばあらかた記憶に残るので、それを恵観に認められ雑用かたがた書庫番の役目を与えられていた。 しかし恵観が他界し、今は三井寺の別所となる近松寺で寺奴の真似事をしている。

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 江戸時代の前期、人形浄瑠璃や歌舞伎の作者として活躍した近松門左衛門の生涯を描いた時代小説。 「国性爺合戦」「曽根崎心中」「心中天網島」などといった有名な芝居が制作過程から詳しく、近松の一生を丁寧になぞっていくだけでなく、近松自身や身近で起こったさまざまなエピソードが盛り込まれ、たいへん面白い。 大尽と呼ばれる金持ちが身請けした太夫と落ちぶれ果てていく話など壮絶なものも。 男女の愛憎や人間の業まで鮮やかに表現した見事な作品だと思った。


罪名、一万年愛すの表紙画像

[導入部]

 横浜で私立探偵をしている遠刈田蘭平。 ある夏の午後、彼の事務所を九州の有名一族の三代目を名乗る青年・梅田豊大が訪ねてきた。 この梅田一族の祖は今回の依頼人の祖父にあたる男で、呉服問屋での下働きから身を起こし梅田丸百貨店を開いて財をなした。 事業拡大を続けていたが、バブル崩壊後に不景気の煽りを受け、今現在は福岡天神の本店一カ所のみとなっている。 梅田豊大は「一万年愛す」というルビーの宝石を探してほしいと言う。

[採点] ☆☆☆★

[寸評]

 作者が初めて挑む本格ミステリーということだが、物語はたしかに終盤近くまでは推理劇として進行する。 時価三十五億という宝石の行方と、有名一族の創業者が過去に関わったと疑われる主婦失踪事件の真相の二軸のミステリータッチでテンポよく面白く進んでいく。 ところが終盤に物語はそれまでの現実的な話からトンデモな設定と展開となり、驚かされ少々混乱。 そして最後は愛の物語となる。 なお祖父の戦後の苦難の話は感動的で、若い読者には新鮮なものかもしれない。


箱庭クロニクルの表紙画像

[導入部]

 戦争が始まる前のころ、シュウコは京橋の邦文タイピストの学校へ通っていた。 当時タイピストは職業婦人の憧れの仕事のひとつだった。 シュウコは高女を卒業してから、他の同級生と同様に、結婚したり親が決めた道に進むのは嫌だった。 彼女は三姉妹の末っ子でわがままを聞いてもらえたというのもある。 邦文タイプライターは長方形の大きな文字盤が画板のように鎮座し、彼女はその字の洪水のような風景に驚いた。 (「ベルを鳴らして」)

[採点] ☆☆☆☆

[寸評]

 内容が全く異なる六編の短篇集。 微かなファンタジー色やミステリー味を含んだヴァラエティ豊かな作品集で、どの物語も自在に編み上げられた印象で、文章も良く、水準以上の面白さ。 特に冒頭の「ベルを鳴らして」は日本推理作家協会賞短編部門を受賞した作品だが、女性の生き方が潔く、時代の雰囲気も巧みに描かれていて素晴らしいと思った。 また「名前をつけてやる」という短編は、社内での商品名称コンペを巡って、多彩な人物描写と軽快なテンポで楽しめた。


ウナギの罠の表紙画像

[導入部]

 エーミル・ベックマンはスウェーデン南部にある水力発電所の監視員兼整備士。 家は滝のそばにあり、そこにはウナギ漁のための小部屋のような罠が仕掛けられている。 ある日の午前二時、エーミルの妻ウッラは眠れず外を見るとウナギの罠のあたりで懐中電灯らしき光がちらちら揺れているのを見る。 誰かが発電所にいたずらでもしているのではと、夫を見に行かせる。 エーミルはウナギの罠の中で大地主のフレドネルが死んでいるのを発見する。

[採点] ☆☆☆

[寸評]

 昨年末の各種ミステリーベストテンでランクインしていた作品。 1967年の作品ということで古典だが古さはさほど感じない。 とにかく登場人物が多くて、スウェーデン人の名前に馴染みがなく、さらに同じ人物が姓で書かれたり名で書かれたりで頭が混乱してしまい、なかなか話に入れなかった。 終盤の密室謎解きはよくできていると思ったが、逆に本当に実行できるのかと疑問にも感じた。 推理ものとしてより、さまざまな人物による田舎町での群像劇として面白かった。


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