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妻 籠 宿

奈良井宿

旧中山道3宿の旅

2007.10.15〜16

東京・日本橋から京都・三条大橋まで、旧中山道は69次、約534q。
大名の参勤交代、皇女和宮降下の行列もこの道を江戸へ旅した。
「木曽路はすべて山の中である」(夜明け前)と島崎藤村が書いてるが、
木曽11宿は木曽谷を超える中山道で一番の難所の宿場だった。
滋賀県草津宿で東海道に合流する。

平日の宿場町は静寂で、「時がゆっくり流れている町」を感じる。

(3/木曽11宿)

奈良井駅の駐車場に車を置いて歩き始めた。
大きな黒い庇(ひさし)が目をひく。
出梁造りというそうだが、1階と2階の間に、
波形の猿頭と言われる棧木が見える小屋
根を金具で吊っている。
黒い細かい格子、大板戸、独特の町並み
は静寂(月曜定休)。時々通りすぎる車が
現実に引き戻す。
軒のせめ合いで、狭い道路に大きな日影
ができ、不思議な風情を醸していた。

馬 籠 宿



宿の朝食前に散策に出た。
畑仕事に向かうらしい老人に
ご苦労さん」と声を掛けられた。
そういえば、行き交うとき会釈をしてくれるのは地元の方のもてなしの心なのだろう。
坂の途中で写真を撮っていて、車が背後にいることに気づかず、連れに注意された。
クラクションも鳴らさず待っていてくれたそうだ。
旅の終わりは、これから向かう駒ヶ岳千畳敷カール。

奈良井宿から妻籠宿に向かう途中、上松(あ
げまつ)
宿近くの「寝覚の床」を見学した..
ここは、昔話「浦島太郎」伝説の地で、竜宮
城から戻って目覚めたという場所だそうだ。
木曽川の巨岩が林立していて、伝説が生ま
れてきそうな佇まい。

サムネイルをクリックしてご覧下さい

高札場の古い墨文字のかすれ、「枡形」(宿
場は一種の要塞で、街道を2度直角に曲げ、
外敵が侵入しない役割・町史跡案内板)
画像右の石段、突き当たりで直角に曲がる。

コスモスや秋明菊が風に揺れていた。
金木犀の香りに辺りを探せば小高い場所に
大きな金、銀の木犀の大樹があった。

奈良井宿と趣の違った町並みである。ともり
始めた灯りのほの暗さと静寂に昔の旅人
になったような一瞬の錯覚。

枡形(ますがた

高札場のある場所に、「妻籠へ」の矢印標識があった。7キロ余りの距離を歩く人も多いらしい。
ここから恵那山と周囲の山々が見渡せる。眼下に中津川の町が見下ろせる。
平成の大合併で馬籠は中津川市になったそうだ。

町並みは約1q、「奈良井千軒」といわれたそうだ

         漆器のお店が多く、
         前回はお椀を買って今も使っている

妻籠は500メートルほどの町並みで、坂の上に高札場、更に上に、口留番所、鯉岩と看板のある
史蹟があった。ここまで登ってUターン、町並みに下った。
ここは「重要伝統的建物群保存地区」だそだ。中央本線、国道から離れた位置にあったことが、
妻篭の町並みを昔のまま保存させたのだろうと言われている。

明治、大正時代に大火があり、
大部分の建物が焼失したそうだ
600メートルほどの石畳の町並み
は昭和になって再現された。
町並みの途中に島崎藤村の生
家跡に「藤村記念館」がある。
色付いた山柿がたくさん実をつ
けていた。

京へ 五十二里半 江戸へ 八十里半

馬籠の道しるべに書いてありました。

(1里は約3、9q)