Onedaywar



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 濛々と黒煙が道路に立ち込め、辺りと空を埋め尽くしかけていた。オレンジの火がフラッシュの如く輝き、小規模な爆発を起こす。
 炎上するタンクローリーを消防車が取り囲み、必死の消化活動を続けていた。銀に反射する消防服が慌しく、けれど連携してホースから放水している。完全に火焔に包まれたタンクローリーの運転席は覗えず、運転手の安否は不明だった。
 怒号が飛び交う。野次馬達は近づこうとして消防士に静止され、遠巻きに携帯のカメラなどを向けていた。傍らでは警官が目撃者である中年の主婦から話を聞いている最中だった。
 大きなタンクローリーが路上駐車なんてしているから、おかしいと思って眺めてたのよ。そしたら突然、ウインカーもつけずに急発進して……。丁度可愛らしい女の子がそこの横断歩道を渡っていた最中だったのよ。高校生ぐらいかしら。髪が長くて、おっとりした感じの子だったの。スタイルも良くて、いい所の子だと思うわ。車は、その女の子を潰す勢いで暴走してきて――。
 女の子? 轢かれた人がいるんですか、と警官が身を乗りだした。主婦はばつが悪そうに首を振った。見てらんなかったから、目を閉じちゃったわ。あとはわからないのよ。ブレーキ音なんてしなかったし、凄い音がして、次に爆弾が落ちたみたいだった。見たら、電柱をタンクローリーがなぎ倒して、横倒しになった挙句爆発したのよ。あたしだってもう少し近くにいたら、吹き飛ばされてた。そのくらい凄い爆風だったのよ。
 主婦は現場近くに落ちて来た、と一つのリボンを警官に突き出した。
 これ、多分――横断歩道の女の子がつけてたリボンよ。


 最悪だ――士郎は足元を泥濘に取られたように、たたらを踏みかけた。実際には影を縛られているので、身動き一つできないでいるのだが、確かに視界が揺れた。
「その後はどうしたのです?」
「どうしたもクソもあるもんか。念話が送られてきたのはたった一度さ。桜達を発見したので排除するってさ。でもあの役立たず、豪語するだけして本当に何も出来なかった。1時間ぐらいした後で、体の負荷が消えちまった。アーチャーの奴、負けて消滅しやがったんだ!」
 代行者と慎二の会話も右から左へと抜けるようで、士郎は助けを求める様に凛へ視線を向けた。凛は、顔の表情を変えていない辺り気丈ではあったが、蒼褪めた顔色までは隠せてはいなかった。
 凛は無言で士郎と視線を合わせた。アンタじゃないわよね? と確認しているようだった。士郎はかすかに頷いた。しかし、この段に及んでは聖杯の破壊という罪状などどうでもいい。
 士郎が宝具を投影出来る、と白日の元に晒されてしまったのだ。
 代行者が片手を上げて、まだ喚こうとする慎二を制した。
「もう結構ですよ。充分事の次第は理解しましたから。さて、何か反論はありますか? そう、例えば――」
 青空と同じ色を湛えた瞳が、無表情に士郎を捉えた。
「衛宮士郎。貴方は何故、サーヴァントと一戦交え、生き残れたのですか。しかも英霊の武器を複製するなど」
 やはり、来た。士郎は口を開いたが、あまりに喉が渇いていたので声が出なかった。室内の咽るような暑さの為だけではない。緊張と、想像される『これから』が士郎から生気を搾り取っていったのだ。
「ぁ――いや、俺は違」
 言葉が詰まる。虚偽は許さない、と代行者は無言で告げていた。彼女の迫力が士郎を押し潰しかけている。
 士郎の異能に興味を示すのは、何も魔術師だけではない。『宝具すら一定の再現が可能であるプロセス』に関心を持つのは、確かに魔術師だけであろうが、『宝具をも複製する結果』に注目する者なら他にも存在する。
 例えば――日々、異端と呼ばれる人間や超越種と矛先を交える聖堂教会。彼等の概念武装の収集への熱意は半端ではないと思われる。人を超える幻想を打ち倒すには、やはり相当の神秘を以ってしなければならない。具体的に言えば、数百年の歴史を有する武具、伝説の生物に由来する角や爪などである。  勿論数があるものではない。非常に希少な物である。神話伝承で英雄が振るった武器など、現存するのは指折り数える程度だろう。
 それを一時的にとはいえ、複製し得る。画期的、劇的なまでの情況の好転だろう。世界を駆けまわって概念武装を用意する必要はなくなり、無数に貴重な武器を振るえるのだから。
 聖堂教会にとって、その成果を前にしては、一人の人生や人格など省みるに足らない筈だ。
 果たして眼前の代行者の目的は、本当に聖杯を破壊した下手人を捕らえることなのか。もしかして、最初から俺が狙いだったのでは。遠坂から耳にタコが出来るほど注意された。アンタはね、文字通り『生きた道具』にされかねないの。もし身に宿した魔術が他人に知られたのなら。
「待ちなさいよ」
 張りのある、瑞々しい声に閉塞した士郎の視界がぱっと晴れた。
 振り向けば凛が代行者を強く睨みつけていた。
「宝具をウチの駄目弟子が投影した? ちょっと待って。ありえないわよ、そんな馬鹿げた話。貴方も素人じゃないでしょう。宝具は魔法の域にある神秘よ。人の手に負いかねる重みがある幻想。そんなもの、投影できる筈がないじゃない」
「では、彼の証言はどうしますか? 全て嘘だと?」
「ふん、諦めが悪いんだよ、遠坂。僕は見たんだぞ? 死にかけもした。衛宮のおかげで聖杯を手に入れられなかった! ここの神父だって監視してた。大体、この僕が自分の恥を晒したんだ。ウソな訳ないだろう!」
「慎二は黙ってて。――教会が敵視する魔術師よ、こいつも。アンタ、代行者のくせに自分が見聞きしたものよりも、見知らぬ魔術師の言を信用するっての」
「先の手合わせの件ですか」
 ふむ。代行者は腕を組み、右手を口元に当ててしばし考え込んだ。
「まあ、確かに貴方も衛宮士郎君も"一般の戦闘技術“よりはまし、といった程度でした。規模を限定されたとはいえ、サーヴァントとは英霊。彼が真っ向から争って勝てるとは思えません」
 普通よりはましって……俺は兎も角、遠坂までが? 士郎は呆れた。代行者の目利きにではなく、彼女の力量にだ。士郎は未熟だが、本気の殺し合いを何度も生き抜いた。一度の実戦は千の演習に勝る。士郎の実力だって見下げたものではないのだ。なのにこの、同い年くらいの代行者は士郎、凛ともども『多少はまし』な程度だとする。
 どんな奴なんだ、コイツ――。士郎が呆気に取られている中、「しかし」と代行者は続けた。
「彼は、私の黒鍵を複製――投影して見せましたね? しかも一瞬で」
「――っ、黒鍵と宝具じゃ天と地の差があるでしょう。士郎の魔術の特性が『投影』であるのを認めるのは、師として吝かではないわ。実戦に使用可能な投影。ええ、本当に珍しいわね。普通、投影なんて失われた物資の一時的な代わりを用意するだけのものだものね。――けど、士郎にだって限度はある。常識で考えなさいよ、対象は宝具なのよ?」
 滑らかに反論する凛は一息ついて、ぎろりと慎二を横目で睨んだ。
「それにね、慎二が使役したサーヴァントは、私の相棒であったの。アイツならね、幾ら変質してしまったとしても穢れた聖杯を前にして、素通りなんでできない。私からしてみれば、大聖杯なんてモノの存在自体驚きだけど、自信を持って言えるわ。アイツなら絶対にぶっ壊しちゃうわよ。そんなもの見つけたら」
 あ、と士郎は思わず漏らした。剣製の件が露見してしまったと慌てるだけで、聖杯の破壊――大聖杯とやらについて考えるのを忘れてしまっていた。まさかそんなモノがあるなんて。目から鱗が落ちた気分だった。聖杯が霊体であるなら、霊を呼ぶ儀式、機構が必要であるのは当然だ。
 しかし。冬木の管理者である遠坂が知らない祭場を、どうして桜が知っていたんだろう。
 代行者が言った。
「間桐慎二の証言を全否定するわけですね。彼の証言単体には、確かに証拠はありません。ですが教会の一員たる監督者が確認しているのですが? 彼の話は監督者の記録と一致している」
「たったそれだけで妥当な信頼性を得られるとは思わないわね。慎二の話には数点、あやふやな点があるわ。例えば『御爺様』、間桐臓硯の殺害に関してよ。ただ殺したとしか言ってない。全く具体的じゃないわ。ねえ、本当に祖父の命を絶ったのかしら、間桐君?」
「な、なんだぁ? どこまで僕を虚仮にして、疑えば気がすむんだ! 爺は僕が、アーチャーに殺らせた。双子の短剣でばらばらにして、遺体は燃させた。場所は屋敷の地下だ!」
「ふうん。アーチャーがねえ。泥で性格が捻れたとしても、本当にアイツが、令呪の命令もなしに?」
「こ、この……! いい加減に言いがかりは」
「仮に!」
 一喝する凛の鋭い語気に、慎二はひっと息を飲んだ。
「仮によ? アンタは確かに間桐臓硯へアーチャーを嗾けたとする。けれど、アーチャーがそう見せかけた可能性は吟味した? 臓硯が生き延びているかも、とは考えなかった?」
「――は? おい、変な事を言うな、よ」
「私はここの管理者よ? 間桐臓硯という古参の魔術師がどんな人だったか知ってる。随分しぶとい奴だったみたいね。アンタのほうが良く知ってそうだけど」
「そ……それは、さ」
「臓硯が実は生存しているかもしれない。監督者の件だってそうよ。いくらでも揺らぐわ。あの神父さん、悪いけど凡庸よね? 人格には優れていそうだったけど。聖杯戦争は暫らく起きないだろうって見込んで、インターバル期間を任せるためだけに派遣したって辺りじゃないの? 監督者は本番において、サーヴァントを従えるマスター相手にルールを守らせるのが仕事。申し訳ないけど、あの神父じゃ務まらない。綺礼はあんなだったけど、凄腕の代行者だったしね」
「――遠坂凛。あなたはつまり、監督者の記憶或いは意識が改変された可能性を主張するのですか」
 代行者の態度はこの上なく冷たい。凛は臆さず首肯した。
 一方士郎は、固唾を飲んで凛の弁舌を見守っている――振りをして、内心呆れていた。
 よくもまあ、あんなにハッタリを繰り返せるな。流石は遠坂、口喧嘩で負けた経験がない女だ。ラインを通じて伝わったのか、凛がちらりと士郎を流し見た。怒っているようでもあり、ウインクしそうな茶目っ気もあった。
 まず「アーチャーが独断で聖杯を破壊した」、これは明らかに嘘である。サーヴァントは自身を召還した聖杯を破壊できないのだ。サーヴァントの存在も聖杯成就という儀式の一部故である。聖杯にそんな自己矛盾、許されないのだ。もし覆すなら、令呪をもってするしかない。だが案外知られていない事実のようだった。
 次に「凛は間桐臓硯を知っている」、これも大部分出鱈目だ。名前くらいは把握していたのかもしれない。だが士郎は凛に「間桐にはもうちゃんとした魔術師はいない」とか聞いた憶えがある。ましてしぶとい等、間桐蔵硯なる相手の特徴などわかっていたかどうか。なのに慎二に抽象的な物言いで同意を求め、頷かせる辺りもう詐欺の手管に近いんじゃないか、と士郎は思った。
 最後に『間桐臓硯』という、この場においては仮想に近い魔術師を作り上げ、暗躍を匂わせる。慎二が言うには、第五回を隠れて監視していたらしい、ただでさえ怪しい人物だ。都合が良い箇所だけ相手の弁を利用して、監督者の信頼性を外部から揺さぶる。
 凛は挙げられた仮説に他の可能性を持ち出して、ただ反論しているだけであり、論の根拠は実の所まったくないのだ。詭弁もいいところだが、代行者側が決定的な資料を示さない点をしっかり突いていた。
 凛は自分の正統性を信じきっているかのように胸を張っていた。ハッタリだなんておくびにも出していない。士郎はもう尊敬するしかない。
 代行者は軽く嘆息してみせた。彼女も凛の弁舌が詭弁だと判っているのだろう。
「よく囀りますね。その気の強さ、知り合いの妹さんを思い出しますよ、まったく」
 苦笑混じりの顔は、厳格な代行者がはじめて見せた、柔らかいものだった。曇り空がゆっくり晴れたみたいな、人を安堵させる微笑。士郎は相手が自分を危機に晒している張本人だと一瞬忘れてしまった。
 隣から形のない針が一ダース投げかけられた気がして、気を引き締め直す。
 ともかくこれでやや持ち直した。そもそもだ。もし決定的証拠があるなら、こんな裁判なんて茶番は起こりようがない。相手は聖堂教会、その武闘派。怪しきは罰する連中だ。迂遠な手段を取るのは、彼女も事件について確信を持っていないって事なんだ。だから遠坂の詭弁が通じるのか。士郎はやっと頭が回ってきた気がした。
「では、結論はもう一人の証言者を待ってからになりますね」
 聖壇に両手を突いた代行者は、空気を引き締めるよう宣言した。
「……まさか、桜にまで不意打ちくらわす気じゃないだろうな?」
「彼女には正式に召喚状を送りました。衛宮士郎、遠坂凛両名も出席していると告げて」
「――っ! お前、俺達を人質に桜を強迫したのかよ!」
 最初から俺達を監禁するつもりだったのか。先ほど笑顔に見惚れたのを士郎は後悔した。コイツ、やっぱり悪名高い代行者の一人なんだ。遣り口が汚い。
「まあ、ありていに言えばそうです。彼女も聖杯破壊の容疑者、しかも実行犯の一人ですから。……彼女が召還に応じなければ、容疑を肯定したことになりますしね」
「『囚人のジレンマ』もどき? 趣味が悪いわね……」
 凛も士郎と同じ感想なのか、不快げに吐き捨てた。
 代行者は士郎たちの非難など気にした風もなかった。ただ瞼を閉じて、
「遅いですね」
「はっ。あの愚図のことだから、逃げたんじゃないの? 可哀想に衛宮、お前見捨てられたかもよ」
「俺は潔白だし、桜は言わずもがな無実だ。どうして逃げる必要があるんだよ。だいたい慎二、お前はどうして桜と一緒に来ないんだよ」
「バッカだなあ、衛宮。僕に逆らった桜が、どうして家に戻れるんだよ」
「――ちょっと待てよ、じゃあこの数日、桜は何処で」
「知らないね。お前んちじゃないなら、野宿じゃないの?」
「な、野宿? 桜は女の子だぞ! 一体なんでそんな」
「知らないって言ってるだろ。僕が聞きたいよ、どうしてあの役立たずはお前の家にいないんだ?」
「――桜」
 思わず士郎は言葉に詰まった。どうしてか。ほんの少しだけ心当たりがあった。桜はあの日、靴も履かずに家から走り去ってしまったんだ。
「……」
 凛は項垂れ気味に黙りこくっていた。
 不意に沈殿した熱気の中、遠くからサイレンの音が響き渡った。重なり合う数からして、結構な数の消防車、パトカーが出ているらしかった。
 士郎は胸騒ぎがした。不安げに眉を寄せる。その横顔を慎二がひっそりと笑いながら眺めていた。



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