「澤田山大中寺」の石標の除幕
2016年(平成28年)07月05日
不思議なことに開創以来700年、大中寺には寺の名を刻んだ石標なるものがなかった。そんなこともあり、タクシーの運転手が玄関にきて「ここは大中寺ですね」と念を押すかのように尋ねてきたことがあった。 三島駅で大中寺へ行って下さいと言ったら「何も書いてないお寺ですね」と聞き返されたと教えてくれたお茶の仲間がいた。何も名前が書かれていない功名もあるものだと妙に得心して今日に至っている。 今までも石標を建てるために入江相政侍従長やセンチュリーミュウジアムの小松茂美さんに書をお願いしようとしたり、実際にお願いしたことがあった。しかし縁が熟さず実現に至らなかった。 縁は本当に不思議なもので、人生には思わぬ出会いが待ち受けているものである。30年来の友人の一人に英米文学者であり詩人であった加島祥造先生がいた。加島先生の晩年に山野エミールさんと私は大中寺で出会う機会があった。山野さんは先生の作品のフアンであり、読者でもある気鋭の実業家である。 奥様であるシャロンさんのお母さまと安倍洋子刀自は隣近所の間柄であられ、よくよく親しくされていたそうである。そんなわけで山野さんに出会い安倍晋三総理のお母さまに出会うまでに時間がかからなかった。 誤解を恐れずに言えば、お母さまは、常に自然体で実に品格に溢れた女性とお見受けした。ご本人から溢れる雰囲気は彼女が歩んで来られた人生が作り出したそれであると思わずにいられない。私はそんな時、お人柄の余徳を頂いた幸せに浸るのである。 「三島大社」の御字は父君の岸信介元総理がお書きになられている。「澤田山大中寺」の石標は元総理のお嬢様であられる安倍洋子刀自にお書き頂くことが出来た。 石はイタリアの白い大理石である。この石に「澤田山大中寺」と刻むことで、イタリアのフィレンツェと縁が深い山野エミールさんに感謝の気持ちを表したかったのである。 大中寺の700年の歴史に、また一つの歴史を重ねる幸せを思うこの頃である。 「澤田山大中寺」の石標の除幕に寄せて みづみづと筆を運びし跡さえて木漏れ日しるす白き石標 岡田幸三師(松昌軒雪花悠月居士)供養花会
2007年(平成19年)10月20日
お正月本堂室礼 立花
2006年(平成18年)01月01日
花人 岡田幸三氏をお招きし、立て花(立花)をご披露頂きました。 第36回 明月会
2005年(平成17年)10月22日
花人 岡田幸三氏及び一門(同仁の会)による花会です。「花道の真・行・草に遊ぶ集い」と題し、立て花(立花 砂の物)、生花(流儀花 天地人三才の)、茶の湯の花 の三つの花の姿をご披露頂きました。 |
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