大中寺 釈迦如来 開眼の願文
  不可思議なるかな大劫海ごうかい 一切諸如来に供養す普く功徳を以て群生に施し この故に端厳たんごん最も無比なり

 仰ぎ冀い願わくば 真慈伏して昭鑑しょうかんを垂れ給え

 大日本国・静岡県沼津市・澤田山大中寺比丘衆等、朝夕 如来恋慕の心抑えがたくして東京芸術大学名誉教授・籔内佐斗司氏に命じ、慈父と慕い奉る生身の釈迦如来の尊容を彫刻し、令和5年2月11日の令辰に安座開眼し奉る。
 大導師・瑞鹿山主・横田南嶺青松老大師は函嶺を越えて遠く到り化し、勅東海最初の禅林・阿部宗徹無底老大師・多年衆が為に遥かに来たり親しく澤田に臨み範を垂れたもう。
 ああ幸いなるかな、末世の我らをして如来の法乳を口に含めたもうとは。スリランカ、また泰国より遥か蒼空をわたり親しく臨む比丘5名。清浄の比丘・比丘尼30余名、優婆塞うばそく・優婆夷うばいその数を知らず。ここに集い安座開眼の仏事を讃揚し、千秋萬歳、華蔵けぞうの宝刹ほうさつを現じ給う。
 恭しく香華灯燭を献じ、百味の茶菓・珍しゅうを備え、謹んで摩訶般若波羅蜜多心経・延命十句観音経を諷誦す。
 集むるところの功徳は真如実際、荘厳せる無上仏果菩提に回向し奉る。ただ願わくは釈迦牟尼世尊、憂憂ゆうゆう(にんべん)たる群生ぐんじょうをして寂滅の域に入らしめ、蠢蠢しゅんしゅんたる品類をして常楽の庭に赴かしめんことを。さらにこい願わくは十方世界、六道の四生、同じく此の福に霑うるおい、みな妙果にのぼらんことを

十方三世一切の諸仏 諸尊菩薩摩訶薩 摩訶般若波羅蜜

令和5年2月11日

開眼法要 御参列の御礼に代えて

令和5年2月11日 下山光悦 合掌

 この度は釈迦如来像の開眼法要にお出まし頂き、誠にありがとうございました。私ども禅界の棟梁、円覚寺・横田よこた南嶺なんれい老師そして臨済寺・阿部あべ宗徹そうてつ老師のお導きにより無事、開眼の大法要がつとまりました。有難うございました。
 前回、横田南嶺老師にご影向ようごう頂いた時には、不肖入院中で心身衰弱の極みでした。その時から早くも六年が経過しました。生きながらえてこそ叶った、この度の開眼法要です。入院中には医療従事者の手厚い看護を受けつつ、私は光明皇后や認性にんしょう菩薩の病人看護の慈悲行を、折に触れて思い枕を濡らしました。
 そのこともあり、大中寺のお釈迦さまの体内には、光明皇后が大仏様に献納したお薬のリスト『種々しゅじゅ薬帳やくちょう』から四種・諸薬九種を選んで特別にお納めいたしました。病気平癒を祈るお人は、直接お釈迦さまからお薬を頂かれるようにとの思いです。
 この度の開眼供養の準備中、ゆかりの寺々を改めて巡礼致し、御朱印をいただきました。それらゆかりの各寺をつなぐと、わが心の軌跡が見えてきました。実に見させていただきました。
 釈迦如来像の造仏は二十歳のころに発願致し、それから、実に55年の歳月が流れました。
 幼いころから生きたお釈迦さまに、お会いしたいという素朴な願いが強く、上洛してまもなく生身のお釈迦さまがお祀りされている、嵯峨の清凉寺せいりょうじに足が向きました。
 いつの日か、わたしもこの霊像をお造りしたいと思い続けて今日になってしまいました。
 全ては縁の催すところです。人・時・経済の三点が出会わなければ、ことに造仏は始まりません。なかなかその三つが出会うことが難しくいたずらに時間ばかり流れました。
 20代の後半にお出会いを頂いたミホミュージアムの館長・熊倉功夫教授とのふとした談笑のご縁で、東京芸術大学名誉教授・籔内佐斗司先生に長年の思いをお伝えすることが出来ました。
人生には思ってもいないことが起きるものですね。
 本堂の入り口の梁の上に二代前のご住職・釈しゃく大眉たいび老師の書かれた『華蔵』の額が掛かっています。参列のお一人お一人が、かけがえのない花になり、仏さまのみ教えを荘厳して頂きました。奥深い法の蔵の扉が一度に開き、浄土を目の当たりにするようなご法要に、感激一入のものがあります。ご影向、ご随喜に感謝申し上げます。
 このご法要には有難いことに、遠くスリランカや泰国からも蒼空を渡り、馳せ参じていただきました。
 力不足、役不足の不肖、これからは、本尊・不動明王ともども懇ろにお給仕申し上げる所存です。
 発願して半世紀かかりましたが、生身のお釈迦さまが親しく大中寺にお見え下さいました。皆さまは踊躍ゆやく歓喜かんぎの御心をもって、お釈迦さまの開眼法要を見届けて頂きました。
 実に、私は幸せ者です。
 ありがとうございました。

令和5年2月11日 釈迦如来開眼の佳日

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