妙心寺の管長さまを戒師に仰ぐ『大授戒会』のご案内
昭和47年(1973)の12月8日のことです。私は、先師・友道和尚に願い出て、インド亜大陸の仏蹟の巡礼に一人で旅立ちました。初めての海外への長旅を心配された静子夫人は、羽田空港まで見送りにきてくださいました。25歳の齢でした。インドの仏跡を巡礼してから、翌年の2月にアフガンのカブールに降り立ち、同14日にバーミアンの大仏の大きな足元に膝まづき、感涙にむせんでお詣りをいたしました。
昭和46年に皇太子両殿下は、国賓としてアフガンを訪問されました。まだアフガンに国王が在位されて平和な時代でした。その時、美智子皇后は、大仏を拝し『バーミアンの月ほのあかく石仏はみかお貌そ削がれて立ち給いけり』と御歌を詠まれています。その後タリバンに破壊された大仏を『知らずしてわれも撃ちしや春たくるバーミヤンの野に仏いま在さず』と再び詠まれました。よほど美智子さまは大仏に強い印象を持たれたのでしょう。 ところで掘立小屋が並ぶようなバーミヤン街道のバザールは、唐代に玄奘三蔵が通った道に開けていました。裸のロバにカマスの袋を振り分けた荷を背負わせ、古タイヤで作ったサンダルを履いた人が行き交う街道です。その寒村の一本道に立った時、私の所まで流れてきた仏の教えは、この変哲もない道を流れてきたのだという思いが涌き上がりました。今日までのすべてが、私を仏法へ誘ってくださったのです。 お釈迦さまから流れ出た仏法の「泉」はアフガンの砂漠を越え、パミールの雪山を分け入って長い長い旅にでました。インドに涌き出でた「泉」が大地を湿しながら奔流となって駆けたであろう田舎道の真ん中に立って、来し方インドを思い、遠く日本へ続く一筋の篤き法の流れを偲んで街道の前後に合掌いたしました。でこぼこ道に両手を押しやり、仏の教えを伝えてくださった総てに感謝合掌をしたことが思い出されます。 ところで来年の10月6日、7日、8日の三が日には、大中寺を会場にして妙心寺の管長さまを戒師に仰ぎ、禅宗最高の厳儀『授戒会』が勤修されます。静岡東教区 (藤枝から熱海に及ぶ178カ寺) の主催で会期中750名の参加を予定しています。お釈迦さまのみ教えの「泉=法乳」を伝える管長さまから、参列者が直接仏法の「泉=法乳」をお授け頂くことの出来る勝縁が『授戒会』です。皆さまには、お釈迦さま以来、代々の祖師方へ一度として途切れることなく伝えられた「泉=法乳」を管長さまから直接お受け頂き、より力強く、明るい未来を歩まれますよう願っております。ここに授戒会を迎える住職の熱い思いを披歴した次第です。 大中寺住職 下山光悦 合掌
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