アトリエ訪問 画家 石黒賢一郎
「マスクの肖像」
油彩(F50) 2001 芸術のテロリスト・石黒賢一郎 ◆取材は台風の接近中 東京郊外にある石黒賢一郎氏のアトリエを訪問したのは、今夜にでも大型の台風18号が、近畿から東海にかけて上陸するという10月8日。初取材で少し不安なうえに、黄昏て日野市の南平駅に初めて降り立つという、まさに初めて尽くしの一日でした。 「CONTADOR」
◆お生まれとご両親混合技法(P10) 2004 ところで石黒さんは浜名郡新居町に、昭和42年に誕生。お父様は体育の先生、お母様は小学校の美術専門の先生でした。小学校時代は、よくお母様に連れられて写生大会にいかれたそうです。中学では野球部、高校ではテニス部に入部、美術部ではなかったとか。しかし蛙の子であった石黒さんは三浪して多摩美に進学し、宮崎進・今井信吾両教授に師事されました。そこで具象のグループに入り油絵画家・石黒賢一郎氏が誕生することになります。 「村はずれ」 ◆作品のモチーフ油彩(M10) 1998 最初は風景画を描いていて、他人から風景画家と呼ばれるのがいやだったとか。後には伝統的なデッサンを学ぶためスペインに渡り、そこで静物画に目覚めたそうです。 タリバンがバーミアンの大仏を破壊したことでガスマスクを着けた自画像が生まれました。絵になりにくいモチーフを敢て選んで作品としていることは何を意味するのでしょうか。アトリエにはエンジンやメーターが無造作に置かれ、棚にはフィギュアや仮面ライダーのマスクも飾られて、無機質な臭いが立ち込めていました。それらはやがて作家に咀嚼されて作品の中に産み落とされるのでしょう。作家の心中は深い闇であるように感じました。 ◆作品から流れ出るパワー 石黒さんの作品は、スーパーリアリズムとでも言うべき緻密で、執拗なまでの描きこみで表現されていて驚かずにはいられません。ここまで描くのかという執拗さ。光が当たれば当たるほど闇が際立つように、描けば描くほど石黒作品には隠された情念とも言うべき攻撃性が見えてくるような気がするのです。額縁の外に石黒という美のテロリストが今か今かと出番を待ち受けているようにも読み取れるのでした。メーターはメーターでも放射能の測定器、ガイガーカウンターだったのです。 「MUJER」
◆芸術のテロリスト混合技法(P30) 2006 私には彼を測る物差しを持ち合わせていません。しかし、ここまで描いて飽くことを知らない作家はざらにいるものではないのではと思います。従来の花鳥風月の紐では括りきれない作家が静岡に誕生しました。石黒さんに車で送っていただき降り立った高幡不動の駅で見た雲行きは、夜半に吹くであろう強風を内に秘めて漂い、いやが上にも石黒さんの作品が持つ底知れぬ力を意識せざるを得ませんでした。 石黒さんはこれから、絵だけではなく立体作品にも手を染めていきたいと語っていました。正にこれから目が離せない作家の一人になるのではないのでしょうか。 会報会員 下 山 光 悦
石黒賢一郎さんプロフィール 1967 静岡県生まれ 1992 多摩美術大学美術学部絵画科油画専攻卒業 1994 多摩美術大学大学院終了 2001 文化庁芸術家派遣在外研修員〔2年〕に推挙されスペインへ 2001 〔アカデミア・ペーニア修学〕 2002 コンプルテンセ大学修学 2004 個展〔日動画廊〕 2007 個展〔松坂屋名古屋本店〕 2009 個展〔アートフェア東京2009ギャラリー小暮ブース〕 今回の取材では、浜松の(株)アルティックスで、季刊「アーツ」を編集している友人の橋本房代氏にお世話になりました。 静岡県立美術館友の会誌:プロムナード 2009年 冬 NO.70 掲載 |
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