仏の教えは願いの教え
今年は妙心寺で開山無相大師(むそうだいし)の650年のお祭りが催され、根方地区の五ヶ寺でバス三台に分乗し参拝を致しました。その折に宿泊した比叡山(ひえいざん)の会館で、伊崎寺(いさきじ)の上原行照(うえはらぎょうしょう)大阿闍梨(だいあじゃり)の法話を拝聴する機会がありました。その時のご縁もあり、9月に光永円道(みつながえんどう)大阿闍梨(だいあじゃり)から京都御所 土足参内(どそくさんだい) 随喜(ずいき)の御案内を頂き、10月12日に小御所(こごしょ)へ昇殿(しょうでん)参拝の栄に浴しました。土足参内は一千日の回峰行(かいほうぎょう)〔地球一周を歩いた距離に相当すると言われている〕を済ませた行者にだけ許された〔戦後13人目〕、天台宗第一の厳儀(ごんぎ)といわれているものです。当日は実に爽やかに晴れ渡った秋空で、雲を捜すのが難しいような日和でした。御所の東に位置する清浄華院(しょうじょうけいん)から天台のお座主(ざす)〔管長〕の乗られた殿上輿(でんじょうこし)を先頭に、光永円道大阿闍梨を1000人の信者や有縁の随喜の方々が包み込むように、小御所までの道程2キロを時代絵巻さながらに進みました。
怪我の功名とでも言うのでしょうか、私は事務手続きの手違いで遅くなって小御所(こごしょ)へ昇殿させて頂きました。その為に、通された廊下から源氏物語絵巻そのままの襖を通して、玉座(ぎょくざ)を前に玉躰(ぎょくたい)の安穏を至心に祈る光永円道大阿闍梨の清らかなお姿をつぶさに拝することができました。未だ34歳の大阿闍梨の若々しい祈りの声は、御所に響きわたり勿体なさに感涙を催しました。 その日の光景は、夜のNHKニュースでも配信されましたのでご覧になられた方もおありだろうと思います。ニュースでは日本の平和を祈ったと一言紹介されていましたが、正しくは『日本の象徴としての陛下のご健康と皇室のいやさかをご祈念し、日本国の平安を祈った』と伝えるべきであったと思います。 京都の丑寅(うしとら)の方角に位置した比叡山は、伝教大師最澄(でんきょうだいしさいちょう)によって王城守護(おうじょうしゅご)のお寺として建てられ、当初から日本の鎮めとしてその役割を担ってきました。私たちが知ると知らずに関わらず、国の平安と幸せを祈り続けておられるのが比叡山の本懐ということです。 先の昭和さまが天皇として数百年ぶりに比叡山にお詣された折に、時のお座主に伝えた一言は「いつも祈ってくれてありがとう」であったといいます。 阿闍梨さんの住坊・比叡山中の明王堂(みょうおうどう)の黒板に書かれてあった歌 詣りくる人の願の満ち足れとただひとすじに祈るあけくれ 平成21年12月 下 山 光 悦 加持すみて御所まかずればわが前を白き阿闍梨の歩みまします |
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