情けは人のためではなく自身にめぐる
沼津では戦国時代の末期に、三枚橋城〔現沼津東急ホテル付近〕が作られ、18世紀後半には沼津城〔大手町付近〕が作られました。しかし時代が異なるとはいえほぼ同じ場所に二つの城があったことを知る市民は、意外に少ないようです。
江戸時代に入り大久保忠佐(ただすけ)が、三枚橋城のお殿様になりましたが、大久保家は残念なことに世継ぎに恵まれず、忠佐一代でお家断絶になりました。 瘧 塚
『大久保忠佐は、慶長6年〔1601〕に三枚橋城二万石を領して沼津の殿様になりました。忠佐の子・忠兼(ただかね)に一人の乳母(うば)がいました。乳母は罪あって殿様・忠佐の怒りにふれ、こともあろうに馬上に裸で縛られ市中を引き回されることがありました。その時に本陣(ほんじん)の清水家の当主・助左衛門(すけざえもん)〔現在の下本町〕は、彼女の哀れで痛ましい姿を見、着ていた羽織を脱ぎ与えて体を覆(おお)ってやりました。乳母は感涙にむせんで助左衛門に、「死して後にもこのご恩は、決して忘れません」と言いました。それを聞いた警固の人々は、大いに驚き事の次第を城主に伝えたところ、数日後に城主は、助左衛門を召し、「そなたが乳母に寄せた哀れみの情は誠に奇特である。城の内外を問わず何事でも思い寄せることがあれば、遠慮なく申し出よ」と賞賛し、時節の着物を下賜しました。乳母はその後に千本松原にて処刑されましたが、引き取り手のない亡骸(なきがら)を本陣の主人・清水助左衛門が乞い、城の西にあたる子持川(こもちがわ)の辺りに葬り、その上に標(しるべ)の大石を据え置きました。これを瘧塚という』
ざっとこのような話でした。心月妙光信女 慶長17年〔1612〕4月17日と戒名と命日が伝わっています。この時以来400年、清水家では毎年香華を手向けこの乳母を弔い今に及んでいるということですが、件(くだん)の職員は「どういう訳か清水家の人達はみなさん品がいい人達なんですよ」と結ばれました。 長々と書き連ねましたが、何気なく職員が漏した最後の一言に、私は心動かされました。沼津にこんな話が伝わっていたことに驚くと共に、封建時代に人間愛を貫いた〔本陣の主人だから出来たことかもしれませんが〕人が沼津にいた事実に市民として誇らしく思ったものです。 清水家の当主は乳母に何を見、また乳母は乳母で清水家の当主に何を見たのでしょうか。 不思議なことに大久保家では息子の忠兼が早世し、乳母を処刑した翌年の慶長18年〔1613〕には城主・忠佐が亡くなりました。弟の彦左衛門忠教(ひこざえもんただのり)〔一心太助で著名な彦左衛門は同一の人物〕も養子となることを拒んだために、大久保家は断絶して三枚橋城も廃城となりました。 私たち仏教徒は、親族の亡き後に幾度かの仏事を行います。その折には先人に、お供養の香花・灯燭・茶果をお供えしお経を唱え、菩提を弔いご回向を致します。 私はこの頃、法事の席上でご回向を読み上げながら、私がご回向しているのではなく、先人〔仏さま〕によって回向されているのではないかと、強く思うようになりました。大中寺の先代である私の師・高橋友道和尚は、「仏さまはお尻を向けてはいない、いつも私に向かって手を合わせておられる」と言っていました。 「子供ができて、初めて親をさせてもらっています」とか、「子供のお陰で、親の修行ができました」と言うことを耳にしますが、私もそれと似たような心境を味わっています。 清水家の当主は乳母に自分の姿を見、乳母は清水家の当主に自分を重ねたであろうことは、想像に難くありません。正に合わせ鏡ですね。「清水家の人たちは、みんな品がいい人達なんです」という一言は、清水家の当主が乳母にかけた情けは、乳母によって清水家の当主が教えられた人の道であったことを確認させてくれました。 只(ただ)仏と仏という言葉がお経にありますが、彼我一如(ひがいちにょ)の世界を見させて頂きました。時には合わせ鏡の手入れをして、私を支えかつ抱いてくださっている大いなる力を見つめ、先人の足跡(あしあと)を偲びたく思います。 長い生命の歴史からすれば、私の命はそれこそ葉に宿る露のような短い時間です。「目に見える世界は目に見えない世界の上に存在しているのだ」といいますが、そうであればいよいよ目に見えない世界に篤い思いを寄せて、今生(こんじょう)を歩みたいものです。 ※嫗石は現在、本字宮町の西光寺の墓域に移され祀られています。この文を書くのにあたり、西光寺の島本尚史師及び沼津市文化財センターの山本恵一氏にご教示頂きました。紙面を借りて御礼を申し上げます。なお清水助左衛門の子孫は、東京にお住まいだそうです。 【参 照】 ・沼津史料 付 沼津宿案内記 中卷。 沼津市史叢書八 沼津市教育委員会 平成十三年発行 ・「瘧塚の由来」の碑文 昭和五十二年十月 清水家後裔者一同建立 沼津市仏教会会報掲載 |
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