相続ということ
私は、日本の経済成長と歩を合わせて大人になったような世代です。青春時代は、去年より今年、今年より来年と、つま先上がりの好景気に恵まれていました。しかし、当時は徐々に景気が良くなってきたとはいえ、我家では外食もしないし、ましてや連れ添って旅行に出かける習慣もありませんでした。田舎暮らしは日本国中、大同小異だったかもしれません。そんな中で小学生の頃に、家族で温泉旅館に出かけたことが一回だけあります。遠方への日帰り旅行は、父に連れられ、兄と上野動物園へ出かけた記憶だけです。
そんな私でしたから、高校を卒業して間もなく始まった京都での生活は、大きなカルチャーショックの連続でした。味覚と言えば母の味しか知らない自分でした。そのため京都のうどんの汁の色は、お湯のように感じました。お茶は緑と思っていた自分にとって、薄茶色の番茶は想像外であり、ラーメンを中華そばと呼ぶのにも驚きでした。今になればカルチャーショックこそが、青春時代の偉大な教師だったと思います。 京都生活は、文化の違いもさることながら親元を離れたショックが大きかったと思います。私が通った京都の大谷大学は東本願寺の大学です。その為、お東の末寺の多い北陸や三河出身の同級生が、数の上で目立っていたように思いました。彼等の出身地はまさしくお念仏の本場です。 その頃は友人の間で、お念仏の話や信心の話をすることが当たり前の雰囲気があり、立っても座っても法座に臨んでいるような状態でした。友人たちは、会話の中でよく「お念仏を相続する」という言葉を遣い、自分の信心を度々披瀝していました。「遺産の相続」のようにしか相続という言葉を遣ったことが無かった私は、驚きと共に浄土真宗の信心の底力を感じたものです。 私たちは年末年始にかけ、総てを新年に橋渡しするわけですが、この一連の年中行事もまた立派な相続に他なりません。お飾りには相続の象徴として、ゆずり葉が付き物です。ゆずり葉とはよく言ったもので、新芽が用意万端整ってから元の葉が離れ落ちます。まさしく命のバトンタッチです。 お陰さまで例年お寺では、みなさまからの献灯で足元の明るい庭に、新年の抱負を胸にした除夜のお客さまをお迎えしています。灯火から灯火へ移し替えて尽きることの無い灯明のように、信心を、そして伝統文化を次代にしっかり相続して、新年を迎えたいと思います。 平成20年 師走 |
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