習わぬ弟子
火葬場へ向かう岡田悠照先生の霊きゅう車が衣笠の御自宅をあとにし、静かに十字路を右折して視界から消えた時、幾度も大中寺で花の奉仕をしていただいた日々が思いだされて、何ともお世話になったものだと感慨ひとしおのものがあった。
式場の法音寺の書院で法衣から洋服に着替え、伊東の「花もり」の御主人森野進さんと玄関で一緒になると、向かいにある岡田先生のお庭を拝見しようと森野さんが言う。私は先生の在世中、一度もお宅をお訪ねしたことはなかった。にもかかわらず、御住所は衣笠街道町と聞いたとたんに、衣笠の丘陵地に建てられた京都風のお宅の全景がありありと頭に浮かんできたことを覚えているが、こうして初めて先生のお宅をお訪ねてしてみると、その時頭に浮かんできたお宅のたたずまいと全くといっていいほど変わらなかった。 それでも、腕の良い庭師が毎年手入れをしているであろう形の良い門かぶりの松や、季節はとうに過ぎ去ってもたわわに実をつけた南天の垣根にはすこし驚かされた。それらのどれもこれもが、京の古民家のおもかげをそのままに再現して、さながら旧知の友人を迎えるように初めての客を迎えていたのである。 続いて、現役のつるべ井戸のある路地を抜けて裏庭に歩を進めると、すでに5、6人のお弟子達の姿が、かつて花材としていくたびも鋏を使わせてもらったであろう枯淡な植木の間に見え隠れしていた。庭は岡田先生の姿そのもので、辺幅を飾らぬ味わいであった。お弟子達がいるのに、主の他界を意識していたためであろうか、あたりには実に森閑とした時が流れていたが、不思議なことに、主が何十年もの間ほとんど木や花の命と化して育ててきた庭は、まるで主そのものの顔をして私の前に広がっていたのである。 そのうち、私達は近くに居合わせたお弟子達に、玄関の奥にある茶室「黙庵」に案内してもらった。この部屋で先生と一対一の花の手ほどきをうけたとか、人数の多い時には次の間を使って稽古が行われたとか、弟子の方々の静かで時を惜しむかのような会話が続いた。 私はその時ふと、先生に一度も花を習ったことがなかったことに気づかされた。長年親しくお付き合いさせて頂いていたのに私から立花を教えて下さいとは言わなかったし、先生は先生で習ったらどうですかとも申されなかった。ただ私は先生に花の所望をし、拝見しただけで満足していた。そういえば、お釈迦さまの在世中、お弟子方はそのお姿を拝しただけで幸せであったろうと思う。悩みがあっても、お会いしただけで満ち足りてしまったことだろうと思う。私の岡田先生の花に対する思いにも、どこかにそんな場合に似たような充足感があったのではあるまいか。 げんに、私が花を生けてくださいと申し上げると、先生はいつも二つ返事で引き受けて下さった。岡田先生の花鋏を持たれた手は、私の三本目の手であった。日本の花の精神と技量と学問を一身に具現した方であった先生の花を拝見しているうちに、将軍義政と対座した世阿弥の平常心の権化のような風貌がひょっこり私の頭に浮かんできたこともある。それでいて、私が所望する花は、私が一番むつかしいと思う花ばかりであった。杜若と菖蒲を同時に生けていただいたり、松竹梅を一瓶づつ生けて頂いたりもした。本堂の不動明王の前で、ジュリアード出身の物集女純子さんのバイオリン演奏をバックに生けて頂いたこともあるが、芸術としての領域は変わっても驚くほど東洋と西洋の伝統はマッチし、弦の音色は立花の真と一体となった感じがしたものだ。 また、平成9年2月15日の梅園百周年を記念した観梅の折り、三笠宮両殿下お成りの間の花を所望した時には、その話を耳にした日からどのような趣向の花を生けようかと、夜眠られなくなったとも言われた。それ程、真摯に時と人と場に向きあわれた人であったが、入江為守筆の大幅の掛け軸の梅を借景にして生けられた梅の立花に、妃殿下が「この花はどなたが生けられたの」と御下問された時、即座に私が先生をお呼びして妃殿下に御紹介すると、先生は花の前で居住いを正して「まずこの花の見所は」と御説明を始められた。その一言一言を発するまで、どれほどの思いが一瓶の立花に凝縮していたことだろうか。長年花に携わり生涯の仕事とされた先生にとっても最も感激された一刻であったのではないかと思う。 ともあれ、これではもう岡田先生から花を習うことはできない。それでは、どうして先生がまだお元気な間に習っておかなかったのか。どうも自分には、多少はひとよりよく物事が見えるようなところがある反面、誰もが当然だと思っている事に全く気づかないようなおかしな傾向があるようだ。私は今更ながら、そんな自問自答をくりかえさざるをえなかったが、そういう私をありのままに受け入れて下さった先生が近来稀に見る風狂の人であり、傑出した花人であることを確信したのも、その時であった。 おかげで私はいまになって、もしお許し頂ければ、岡田悠照弟子名簿に習わぬ弟子下山光悦と一行だけ記して頂きたいと考えている。 眼底に残れる花の数々を君が姿と思ふ夕暮れ 今日よりは君にまみゆる思ひもて野辺の花にも会わむと思ふ 松昌軒雪花悠月居士 不生不滅の心を 来るもなし去れるもあらじ衣笠に花ぞくぞくと今をにほへる 平成18年5月 下 山 光 悦 |
||
Copyright © 2002-2008 Daichuji All rights reserved. |