秋も深まり、平成8年も残り2ヶ月と、改めて月日の過ぎゆく速さを身に沁みて感じていた11月2日。=スリランカ初代大統領、ジャヤワルデネ氏 死去=という読売の朝刊の小さな見出しが目に止まりました。
氏は、1952年の米サンフランシスコでの対日講和会議の演説で、セイロン代表として、「憎しみは憎しみによってやまず、愛によってやむ」という法句経の聖句を引用して対日賠償請求権の放棄を宣言したことで知られる大の親日家でした。89年昭和天皇の大喪の礼にも参列されたことを思い出します。 当時の吉田茂全権代表(首相)は回想録「回想十年」で「『日本の知巳ここにあり』という思いを禁じ得なかった」と書いているそうです。 「大信心は仏性なり 仏性すなわち如来なり」という言葉がありますが、私は、実に仏道において大信心の人であると、かねがね尊敬していました。 翌、11月3日の同紙に、=故スリランカ大統領、遺言で角膜、日本へ=という小さな見出しを再び目にしました。 親日家であった元大統領は、生前医師団に対し、亡くなったら自分の角膜を日本の目の不自由な人のために役立ててほしいと、遺言していたということです。片方は日本の目の不自由な方へ角膜移植され、もう片方はスリランカ人のため活用されるという記事です。因に氏は、90歳の高齢で亡くなりました。 話は25年も前に、遡りますが、私は仏蹟巡礼の途次、スリランカを旅して、キャンディ市の仏歯寺へおまいりし、夕べの市街をそぞろ歩いたことがあります。暗い道路の上に幾つもの灯明皿に火をともす一人の男性が坐っていました。聞くに、今日は彼の好きだったスリランカの政治家の命日である。その人のために108の灯明をともしているというのです。熱帯の夕闇を破ってゆらめく灯明は、彼の思の丈を伝えて、余りあるものがありました。 私は若くもあり、巡礼という旅の一夜のことでもありました。両頬から熱い涙が流れ下るのを止めようもなく、本当に心打たれたものです。 今日のスリランカに於ても、ジャヤワルデネ元大統領のため、灯明をともす人が必ず現れるであろうと思います。スリランカとは“美しい国”という意味をもつと教えられました。 ジャヤワルデネ元大統領が示された無我の行為は、「善き人の香は、風に逆いて流れる」という聖句そのままに、時と場所を越えて語りつがれて行くことでしょう。 実は、こんな感動と勇気を与えてくれたジャヤワルデネ氏に、日本で灯明をともすひとりでありたいと、密に思っているところです。 ともしびを高くかかげて我まえをゆく人のありさよなかの道 読人しらず 平成8年11月3日 下 山 光 悦 |
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