聖徳太子二歳像(南無仏太子)の開眼法要
今年、大中寺は、円覚寺開山・元の無学祖元禅師の法孫にあたる夢窓国師のご縁を頂いてから、丁度、700年の年に相当します。このお目出度い年の記念の一つとするべく、聖徳太子の二歳の姿をお造りし、梅園内にある太子堂(防空壕の残材で戦後に先代がお造りした)の改築を進めてきました。 すでに昨年の9月10日には、彫刻家・土屋仁応氏による聖徳太子二歳像の鑿入れ式をすませました。 聖徳太子が二つの年に、東を向いて「南無仏」と唱えたところ、その可愛い両手のなかにお釈迦さまが(仏舎利)出現したという伝説があります。 仏教が日本に伝来して50年に満たない時代に仏の道を篤くご信心になられ、矜持をもって隣国との外交に臨み、未来をみつめた太子は、今日まで残る法隆寺や四天王寺、そして中宮寺等、数々のお寺を建てられました。大変にお徳が高く、聡明なお方であったことが、歴史書に記されています。 そのため太子は、後世になって和国の教主(日本のお釈迦さま)であると称えられた程です。また法隆寺の建築に手を染められた太子は、日本に建築の技術を伝えた人でもあり、職人の守り本尊としての信仰を集めてまいりました。 このたび下記のように、めでたく開眼のお式を務めたく、お導師に太子のお母さまのお寺である奈良・中宮寺門跡・日野西光尊尼公さまをお迎え申し上げました。 私としては、特に多くの子供たちに太子とご縁を結んで頂き、太子にあやかって聡明で徳高き人柄を持った人として、大きく成長して頂きたいと念願しています。 皆さまには、ご随喜いただき太子のお徳を頂かれますよう、ここにご案内いたします。 平成24年2月 下 山 光 悦 時 平成24年3月18日(日)午前11時 人 お導師 中宮寺門跡・日野西光尊 尼公さま 献 香 大道坊好胤庵 高田稚子氏 ピアノ 赤松林太郎氏 所 大中寺本堂 飛鳥時代(7世紀)の染色工芸品である天寿国曼荼羅繍帳は、聖徳太子の死去を悼んで、妃である、橘大郎女が太子の浄土でのありさまを偲び作らせたものです。この扇面の絵はその作品をモチーフにして画家・畠中光享氏がこの度のご案内のために、描いたものです。 |
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