その日、敏木斎は昼食を外で食べようと、かぶき町へと来ていた。もともと活気のある町だが、休日のせいか常よりも人が多く賑わいを見せている。その通りの中で、面白い人物の姿が敏木斎の目に留まった。人ごみの中をするすると抜けるように歩いていくと、敏木斎はその人物に声を掛けた。
「よう、兄ちゃん。久し振りじゃの」
振り向いた視線は一瞬彷徨った後、すぐに敏木斎の存在に気付いた。
「じーさん?珍しいとこで会うじゃねーか」
男の名は坂田銀時。先日起こった孫の九兵衛とお妙の結婚騒動の際に、柳生家へと乗り込んできた内の一人で、その強さは敏木斎も認めるところである。遠くでも良く目立つ銀髪のお蔭で、人ごみの中でも敏木斎はすぐに見付けることが出来た。
敏木斎と銀時は並んで歩き出す。
「九兵衛が世話になっとるようじゃの」
「別にンな大層なことしてねーよ。俺はお妙のオマケだし。まあ、いい傾向なんじゃねーの」
「そうかもしれんな」
結局、あの騒ぎ以降も九兵衛の立場は何一つとして変わらなかった。柳生家の家督を継ぐことに関しては、寧ろあの騒動があったからこそ、誰一人として性別のことを言い出そうとはしなかったとも言える。最近の九兵衛は以前より明るい表情を見せるようになり、前にもまして稽古に打ち込むようになった。敏木斎は、今はただ幸せになってくれれば良い、そう思っている。
「それにしても兄ちゃん暇そうじゃな」
「じーさんこそ暇そうじゃねーか」
「わしはとうに隠居の身だわい。昼間っからぷらぷらしてる兄ちゃんと一緒にするでないよ」
「何言ってやがる。俺ァこれから稼ぎに行くんだよ」
「ほう?」
「昨日の新台で大負けしちまったから、今日こそは取戻すんだよ。つーかさ、絶対俺の打ってる台に細工してね?本気で新八に怒られちまったんだけど、あれは店が悪いんだって。なあ、じーさんもそう思うだろ?」
「全然思わん。そうじゃ、暇ならわしにちと付き合ってくれんか?」
「あ?んー、でも今日は結野アナの占いで一位だったし、絶対来る気がすんだよ。悪いけど、またな」
銀時はそう言うと、軽く手を振りそのまま立ち去ろうする。それを見た敏木斎は通り中に聞こえるような大声を張り上げた。
「老い先短い年寄りの頼みを聞いてくれンとは冷たいのー!この薄情モーン!これだから最近の若いモンは」
「だァァァ!ちょ、何やってんのジジィ!」
慌てて敏木斎の口を塞いだが、道行く人の目が一斉に銀時に集まる。その光景は、どこぞの浪人くずれがいたいけな老人に因縁をつけている様にしか見えず、周りのひそひそと囁く声が聞こえてくるようである。銀時は慌てて周囲に向けて弁解した。
「何でもないですからねー!ちょっとこのじーさんお茶目なだけですからっ!」
銀時は引きつった笑みを浮かべつつ、敏木斎を抱えてその場から逃げ出した。
「ジジイ!何しやがんだ!」
「お茶目なんじゃろ、兄ちゃん?」
「すんげぇぶっ飛ばしたいですけど!」
「残念じゃなー、わしの用が終わったらメシでも一緒に食いに行こうかと思ってたのう。もちろんわしの奢りで」
「なっ!そういう事は早く言えよじーさん!仕方ねーな、老い先短いジジィの頼みだ、どこでも付き合うぜ」
奢りでという言葉でころりと態度を変えた銀時に敏木斎は苦笑する。
敏木斎は銀時を連れある場所へと向かった。
* * *
町からそう遠くはない山の麓。敏木斎の後ろを歩く銀時は呆れたように辺りを見回した。辺りには家庭ゴミに始まって家電製品に古タイヤ、建築資材や事故の跡も生々しい車などありとあらゆる物が道沿いに捨てられている。広い道なのだが、人家から遠く交通量も少ないためか、ゴミを捨てに来る者が絶えない。
「なーるほど。じーさんのゴミの調達先なわけね」
「探せばまだまだ使える物があってな。もったいないじゃろ」
「いや、アンタが拾ってたのはどうみてもガラクタなんだけど」
「何を言うとる。使えばゴミではなくなるじゃろ。これからはエコロジーの時代じゃわい」
「ただゴミを溜め込むのをエコとは言わねー」
途中で獣道へと曲がり、山の中へと入る。しばらく歩き、少し開けたところで敏木斎は足を止めた。さすがに、奥まではゴミは捨てられていなかった。
「で、こんな所まで歩かせて何の用だよ?ゴミを運ぶのを手伝え……ってわけでもないみたいだしな」
「そういえば、万事屋とか言っておったな。まあ、それは次の機会じゃ。ちょっと待っておれ」
そう言うと敏木斎は側に生えている大きな木の後ろに回った。それはごく短時間のことで、すぐにある物を手にして銀時の所へ戻った。
「兄ちゃん、わしともう一度戦ってくれんか」
木刀を構える敏木斎の表情は、先程までの飄々とした好々爺の雰囲気は無い。銀時へと向けられる視線には、老いたとはいえ柳生家歴代当主の中でも最強と謳われるだけの迫力と威厳を秘めていた。突きつけられた木刀を前に、銀時は困ったように頭を掻いた。
「いや、じーさん強いの知ってるし。つうか、俺負けたじゃん」
「一対一ではなかったじゃろ」
「だったら、家に帰って孫でも弟子でも好きなだけ相手してもらえばいいだろ。喜んで相手してくれそうじゃん。悪いけど、そういう話なら帰らしてもらうぜ」
またな、と踵を返した銀時だが、
「兄ちゃん、戦に出とったろ」
敏木斎の言葉に足を止め振り返る。
「それも生半可なものではあるまい。地獄のような戦場のど真ん中におった人間じゃ」
「なんのことだか」
肩を竦め一蹴する銀時だったが、敏木斎は更に言い募る。
「とぼけんでもいいわい。その剣筋に体捌き、戦い慣れた瞬時の判断といい、並大抵の事では身に付くまい。幾ら老いぼれたとはいえ、わしの目はそこまで節穴ではないわ」
確信に満ちた口調で告げる敏木斎に退こうという様子はない。
しばし黙ったまま見つめあう二人だったが、やがて銀時が観念したかのようにため息をついた。
「だったら、何だってんだよ」
「さっきも言うたがな、兄ちゃんに手合わせを願いたいだけじゃ。別に勝負を付けたいなどとは思っとらん」
「……アンタ、何をそんなに拘ってるんだ?」
訝しげに問う銀時に、敏木斎はそれはのう、と自嘲気味に呟く。
「わしが侍に憧れておるからじゃよ」
「あぁ?そりゃ一体」
「お喋りはここまでじゃ!いくぞい!」
「あっ!こらジジィ!」
敏木斎は高く飛び上がると、勢いよく木刀を振り下ろした。とっさに攻撃を防いだ銀時だが、その衝撃に眉を顰める。辺りにカンッと木刀の打ち合う音が響く。
「いい加減にしやがれ、ジジィ!」
「ほれほれっ!」
「だぁぁぁ!じーさんの歳だったら、普通に腰のモン差してただろーが!しかも、将軍家お抱えだろ?立派な侍じゃねーか!」
柳生家で銀時を竹林へと誘い込んだように、林の中に入ってしまえば戦況は敏木斎の有利となったのだろうが、あえてそうはしなかった。リーチでは銀時に後れを取る敏木斎だったが、それを補うだけの身軽さでもって攻めていく。
「兄ちゃんの言う通りわしも昔は腰に刀を差しての、一介の侍気取りで歩いておったわい。柳生家は将軍家の剣術指南役として変わらぬ名声を誇っておったし、っと!」
「チッ!なぁ、じーさん!」
「息子も結婚が決まっておったし、当時はわしも老いぼれておらんかったからの。家は息子に任せ、自分は刀に生き剣に死ぬ――そんな人生も良いかと思っておった」
「オイッ!」
銀時は防戦に徹していたが、それは自分からは仕掛けてないというだけであって、決して余裕が無いわけではなかった。一方、敏木斎は銀時の声には耳を傾けようとはせず、まるで何かに取り憑かれたかの如くひたすら攻め続ける。
「全く、好事魔多しとはよく言ったもんじゃ。家を離れようとした矢先のことじゃったわい。天人どもが地球へとやってきたのはのうっ!」
渾身の一撃に一際甲高い音が鳴り響き、敏木斎が跳ねる様に退く。しばらく得物を構えたまま対峙する二人だったが、敏木斎はため息と共に木刀を静かに降ろした。
「――わしもすぐに戦場に向かうつもりでおったよ。天下の一大事にじっとしていられんかったし、将軍家に仕える者として、この国を護らねばならんという使命感もあった。……しかし、そうはならんかった」
「……幕府はさっさと降参しちまったからな」
木刀を腰へと戻し答える銀時の声は素っ気ない。敏木斎はその裏に潜む複雑さを思い、慰めにもならぬと知りつつも言葉を重ねた。
「戦うべしとの要請は来ておったよ。まあ、それもすぐに戦うなとの命令に変わりおったが。……本当にあっという間のことじゃったな」
当時、弱腰な幕府の外交姿勢に一般庶民からも非難の嵐が吹き荒れた。降伏の際には世論も倒幕一色となったが、今では不平等条約を結ばされたとはいえ、あの時点での降伏は最善の選択だったという意見も少なくない。
「だが、門人たちがそんなこと納得出来るわけもない。手を拱いている間にも天人は次々と地球に押し寄せ、各地が戦場と化しているのじゃ。皆、柳生家を去り……そして、ほとんどは戻ってこんかった」
未だに全ての戦死者の名は判明していない。
「――だからの、兄ちゃん」
銀時を見上げた敏木斎は力なく笑う。
「それ以来、わしは自分の事を剣術家だと思っても、侍だと思えたことはないんじゃよ」
それは今もなお帯刀を許されているからこそ、決して言えぬ思いだった。
沈黙する二人の頬を冷たい風が撫で、木々のさざめく音だけが延々と続く。息の詰まる長いような短いような静けさの後、銀時がぽつりと呟いた。
「後悔してんのか?」
「何じゃと?」
「生き残っちまったことをだよ。じーさん、俺と戦いたいんじゃなくて、死んでったヤツらに許しを請いてぇんだろ。そいつらにと同じように戦って死にたかった、とか思ってんじゃねぇのか?」
銀時の言葉に敏木斎は目を瞠り考え込んだが、やがてゆるゆると首を横に振った。
「確かにそうかもしれん。だが……やはりわしは行けんかったよ」
幕府の命に背けば柳生家は取り潰される。だが、それ以上に既に幕府が降伏をしている中、お抱えである柳生家、それも当主が参戦したとなれば、天人から反逆の意志有りと取られかねなかった。敏木斎一人が戦場へと飛び出していくことはいとも容易いことだったが、場合によっては幕府をも道連れにしてしまうことになる。敏木斎は熟考の末に戦へとは参加しないことを決めた。それは柳生家当主としての苦渋の決断だった。
「なら、いいじゃねぇか」
銀時の声に敏木斎は思わず顔を上げる。
「アンタはアンタのやり方でこの国を護ろうとしたんだろ?戦に出てようが出てなかろうが、そんなの関係ねェ。目的も気持ちも同じで、ただ手段が違うだけだろ。そんなじーさんに誰が文句を付けられるかよ。アンタは立派に侍だろうが」
きっぱりと言い切った銀時は、それまでの厳しい表情を和らげ微かに笑う。
「それに、じーさんがいてくれれば心強かっただろうが――たぶん何にも変わんなかったよ」
「兄ちゃん」
「だから、生きてるだけで良しとしようぜ。じーさんの弟子だって、アンタを恨みゃしねーよ」
「……そうだと良いがのう」
目を閉じると、脳裏に様々な出来事が思い出された。
打ち崩された江戸城。空を行き交う船。降伏の宣言。廃刀令。飛び出して行った弟子たち。届かぬ声。人がいなくなった道場。戦死の知らせ。遺体無き帰還。孫の誕生。義娘の死。変わり行く江戸の町。それでも――
――生きている。おめおめと老醜を晒しながらも生きている。
目を開ける瞬間、幽かに懐かしい笑顔を見た気がした。
* * *
冷たい風はいつの間にか止んでいた。
「よし。飯でも食いに行くかの」
「おぉ、ってじーさん木刀置きっ放しでいいのかよ」
「いいんじゃ。あの木の裏は大きな洞があっての、いつもそこに置いておる。いちいち家から持ってくるのも面倒でな。それに、わしには腰に刀を差す資格なんて無いからのう」
「……ま、じーさんがいいならいいけどよ」
来た道を戻りながら、敏木斎がふと振り返った。
「のう、やっぱり兄ちゃんとはもう一度戦いたいのう」
「嫌だっつってんだろ」
「そうか、それは残念じゃ」
そう言った敏木斎の表情は、晴れ晴れとしたものだった。
抜かれなかった刀
2009.11.09