すっかり秋めいた風が吹くようになり、辺りも段々と赤く染まった夕方、万事屋の台所では新八が手際よく夕飯の支度をしていた。割烹着姿が良く似合うと評判の少年は、味噌汁の味見をするとにっこりと笑った。
「うん、これで良し」
その味に満足したらしい新八は、まな板と包丁を用意すると冷蔵庫へと向かった。その背中にぺたぺたと足音が聞こえてくる。
「新八ー、今日の夕飯はー?」
「秋刀魚です。あと、大根葉のお味噌汁」
「また秋刀魚かよ。昨日食べたばっかだろ?」
銀時の言う通り、このところ万事屋の食卓には連続して秋刀魚が並んでいた。だが、万事屋の家計がいかに火の車か知っているはずの銀時の言葉にぎらりと新八の眼鏡が光る。
「だったら、まずパチンコ行くの止めてもらえますかねぇぇぇ!」
「ちょ、新ちゃん?目が怖いんですけど」
「当たり前でしょう!僕だって、そろそろ別の物が食べたいんです!でも、このままじゃ、秋刀魚すら買えなくなるんですよ!銀さん、分かってるんですか?!」
「わ、分かってるって!だから、明日の仕事取ってきただろ?!な?」
新八の勢いに押された銀時が、諸手を上げながら後ずさる。そんな様子を見てか、新八がふうとため息をついた。
「まあ、仕事があれば何とかなるでしょうし、頑張りましょうってことで、今日はデザートがあります」
「え?」
思いもかけぬ展開に銀時が目をぱちぱちとさせていると、新八が冷蔵庫から良く冷えた梨を二つ取り出し、銀時の前に掲げた。
「おー!どうしたんだよコレ!」
「お登勢さんから戴いたんです。貰い物だけど、食べきれないからって。銀さんも後でお礼言っといてくださいね」
「おぉ。何だよ、ばーさん今日会ったけど、んなこと一言もいってなかったぜ」
「銀さんが知ったら、どうせ一人で食べちゃうからでしょ」
「んなことしねーって」
「そんな事言って、いつだか僕宛のケーキ神楽ちゃんと二人で食べちゃったのはどこのどなたでしたかね」
「うっ、新ちゃんまだ根に持ってんの?」
「食べ物、特に甘いものに関しては全然信用してません。さ、切るんでどいてください」
「ぱっつあんよー!」
まだ訴えたそうな銀時にさっさと背を向けた新八は、トントンと慣れた手付きで梨を切っていく。半分に、また半分。芯を取り皮を剥くスピードもなかなかのもので、あっという間に一つが切り終わってしまった。
「……ふうん」
背後からその様子を眺めていた銀時は、感心したような不思議がるような微妙な声を上げた。それを耳聡く聞きつけた新八は、二つ目の梨に伸ばしていた手を止め振り返った。
「どうかしました?」
「いや……ちょっとそれ貸してみ?」
「はぁ、いいですけど」
包丁を銀時に渡し、場所を空ける。何をするのかと新八が見ていると、梨に手にした銀時は、包丁は固定したままで梨を回しながら、するすると皮を剥いていく。リボンのように繋がった皮がまな板に輪を書くようにしながら溜まっていった。
「おーっし、出来た!」
全て皮を剥ききった後は、新八と同じように四等分、芯を取るとさらにもう半分に切って皿に盛った。新八が切った分と併せて、山盛りになっている。
この状況が分からないのは新八である。訝しげな目を銀時に向けた。
「何ですかそれ、皮を繋いで切れるっていう自慢ですか」
「違うって。お前さ、梨剥く時まず切ったろ?」
「切りましたけど……それが何か?」
「いや、別になんてことねぇんだけどよ、俺とお前じゃ梨の剥き方が違うんだなーってそんだけだよ」
どんな答えかと身構えていた新八は拍子抜けしたのか、呆れたような顔になるとすぐにくすくすと笑い出した。
「そうですね。気にしたこと無かったですけど、全然違いますね」
「新八はこういう切り方やんねェの?」
「うーん、昔姉上とどっちが長く切れるかっていうのはやったことありますけど……普段はやりませんね」
「ふーん、俺はこれが普通だと思ってたんだけどよォ」
「僕だって、自分の切り方が一般的だと思ってましたよ」
顔を見合わせた二人は、そんなものだよなと笑った。
が、不意に新八の笑い声が途切れる。
「どうした?」
「――ちなみに、林檎はどう切ります?」
「あ?そりゃ同じに決まって――アレ?」
「僕と同じじゃないですか?」
銀時は自分の手順を思い出す。まな板と包丁を用意して、林檎をその上に置いて、すっぱっと真っ二つに――。
「……だな」
「ですよね」
「ハァァァァァ?!何で?!」
知らぬまに身に付いたことだけに、さっぱり理由が分からず銀時は頭に疑問符を浮かべる。そんな様子を初めは面白がって見ていた新八だが、次第に耐えられなくなったのか、顔を背け笑い出した。銀時がむすっとした顔でじろりと新八を見る。
「んだよ、笑うこたァねえだろ」
「アレですよ。銀さん、林檎のウサギ作るでしょ。だからですよ、多分」
「ああ、そうか!!」
新八が指摘した通り、頭から円を描いていくように剥いてしまっては、兎を作ることは出来ない。どうしたって、まず八等分に切る必要がある。
「成る程なァ。つーか、よく気付いたな、そんな事」
「今、思いついただけですよ。そろろそ秋刀魚も焼き上がりますから、とりあえず梨持ってってください。僕、お味噌汁よそるんで」
「りょーかい」
食べちゃだめですよ、という新八の声は果たして聞こえていなかったのか無視されたのか、シャクシャクという咀嚼音が遠ざかる。仕方ないなと苦笑した新八は、おたまで軽く鍋をかき回し、お椀を手に取る。その表情にさっきまでの笑みは、どこにもない。
――銀さんにはあんな事を言ったけど、本当は多分、梨と林檎の差異と切り分ける必要性の有無。梨は皮を剥かなければいけないけれど、林檎は必ずしもそうではない。そのまま食べる事が可能だ。そして、一人で食べるなら、切り分けるよりも皮を剥いて齧り付いてしまった方が早い。多分、銀さんは元々、梨や林檎を切り分けるなんてことをしてなかったのだろう。だから、林檎だけ切り方が違う。後から習慣付いたものだから――なんて、そんな事実はどこにもないんだけど――。
「っと、危ない」
我に返った新八は、縁のぎりぎりまで注いでしまった味噌汁を慌てて鍋へと戻す。残りの椀にも注ぎ秋刀魚を皿へと乗せ、居間の銀時と神楽を呼ぶ。並べられた皿を見て神楽は少しだけ落胆したような表情した。
「また、秋刀魚アルか」
「文句言わないの。ほら、これ持ってって。お味噌汁は熱いから気を付けてね」
「ハーイ」
軽快な足取りで皿を運ぶ神楽に釣られるようにして笑った新八は、今度はご飯をよそり始める。
「銀さん、ご飯持ってってください」
「ん。そーだ、新八。梨もうねェから」
「えェェェェ!ちょ、デザートって言ったじゃないですか!僕、まだ一切れも食べてないんですよ!」
「さーって、メシだメシ」
「待たんか、コラァァァァ!」
茶碗を手にした銀時は新八の叫びを無視して、居間へと向かってしまう。その後ろ姿を見遣った新八は苦笑交じりのため息を漏らす。
「糖尿なんだから、果糖の取り過ぎには気を付けろよ……」
冷蔵庫にはまだ梨が二つ残されていて、切ろうかどうしようか迷っていると、ふとさっきの考えが新八の頭をよぎる。
たかが、梨の剥き方一つでここまで考えてしまう自分を笑いたいのか嘆きたいのか、新八には分からなかった。
何一つとして根拠は無い。
2008.09.14