あなたの嫁にしてください

――アレが本気で言っている訳ではないという事くらい分かっている。


 二、三日前のことだったと思うが、お店の中で嫁にするならば誰がいいか、という話が出た。言い出したのが誰だったのかは忘れてしまったが、女の子たちばかりだしお酒が入っているせいか、いい加減なことばかりを言い合って大層面白かった。
 色々な子の名前が挙がる中で、意外と人気があったのはおりょうちゃんだ。確かに可愛いし大抵のことは何でも卒無くこなせるし、優しくて気立てもいい。私もおりょうちゃんの名前を挙げたし、その辺りの理由には概ね同意するのだけど、その中で志村妙をフォロー出来る隠れた女傑との評には賛同し兼ねる。というか、言ったの誰だコラァ!
 因みに、性別だとかは一切合財置いといて、私が嫁にしたいのは新ちゃんだ。神楽ちゃんも可愛らしくってとても捨て難いのだけど、料理や洗濯そして何より食費の面で新ちゃんに軍配を上げた。


「お妙さん!俺を貴女の嫁にして下さいっ!」


――少なくとも私にはストーカー男を娶る趣味は無い。普通に考えたってそんな人間はいない。臆面も無く言ってのけるゴリラのへらついた笑顔がどうにもこうにも癇に障り、グラスの中身を、いやボトルで頭をぶん殴ってやろうかと思った。が、そんなものはこのゴリラには今更だと思い直し、逆にニッコリと笑ってやった。

「それじゃあ掃除にお洗濯、朝ご飯に昼ご飯に夕ご飯。私が帰ったら何時であろうと三つ指ついてお帰りなさいませと出迎えてくださいね。お風呂はご飯の前で。特に好き嫌いはありませんけど、健康や美容面には気を遣って頂けますか?後は庭の手入れ。そうそう、町内会の集まりなんかもお願いしますね」

「お、お妙」

「別に嫁だとかはどうでもいいんです。私は所有者として存在出来れば充分なんです。心配なさる必要はありませんわ。何も虐げようだなんて、これっぽっちも思ってませんし、寧ろ正々堂々正面きって愛していると言って差し上げますわ。大丈夫、何もかも全てを幸せだと思い込ませる自信はあります。勿論、途中で放り出すような真似は致しませんわ。最期の最後まで見届ける事をお約束致しますとも」

「あの」

「どんなお積もりかは存じませんが、宜しければ今すぐにでも、下のモノをぶった切って差し上げますけど、どうします?」


* * *


 結局あの男は阿呆みたく口を開けたまま、すごすごと帰っていった。いい気味だ。溜飲が下がるとはまさにこの事だろう。まったく、一体誰からあんな下らない話を聞いたんだか。

「ねぇ、お妙」
「なあに?」
「今の聞いてて思ったんだけど、本当はアンタあのゴリラの嫁になりたいんでしょう?だからこそ、怒ってるとか」
「嫌だわ、おりょうちゃんったら」
「ちょ、お妙?」
「あんなゴリラを嫁に貰うくらいなら、本物のゴリラの嫁になった方がよっぽどマシよ」
「痛ィィィ!腕極まってるからっ!放してェェェ!」

 冗談じゃない。私にはまだまだやらなければいけない事がある。今は嫁だとか結婚だとか考えたくないのに。それはあの男も知っているはずなのに。それなのに。それなのに。ああ、苛々する!

 戯言だというのは解っていても、腹の底が焼けるように熱くて仕方が無い。

揺らいでいる事が何よりの証拠だというのに。

2007.11.18

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