ここは志村家、恒道館道場。門下生がいないはずの道場に竹刀を打ち合う音が鳴り響く。打ち合っているのは銀時と沖田。防具は身に着けず、普段着のまま竹刀を手にしている。
何故、二人が打ち合っているのかというと。
――数日前に遡る。
銀時は相変わらず仕事の依頼もなく、独り江戸の町をぶらついていた。
通り掛かる甘味所の看板を横目で見ながら溜息をつく。食べたくとも今月に入ってからまだ一件の依頼もなく、懐に金は無い。家には大喰らいの神楽もおり、まずは毎日の食事の心配をしなくてはいけない状態である。何とかしたいとは思うのだが、どうすることも出来ず、悲しい現状がため息混じりに零れ落ちる。
「……依頼がこねぇと、どうしようもねえんだよなぁ」
「だったら俺が一ついい仕事を紹介しますぜ、旦那」
後ろから掛けられた聞き覚えのあり過ぎる声に、銀時は嫌々ながらも足を止め振り返る。
「万事屋は相変わらず暇そうですねィ」
爽やかな風貌に反し、ニタリと黒い笑みを浮かべるのは真選組隊長・沖田総悟。今まで真選組と関わって起こったロクでもない事の数々を思い起こした銀時は、とりあえず沖田の言ったことは聞かなかった事にした。
「何の用ー?悪いけど銀さん忙しいから、まったねー」
そのまま、何食わぬ顔でそそくさと立ち去ろうとしたが、沖田にガシリと肩を掴まれる。
「まあまあ、遠慮せずに話しだけでも聞いていきなせぇって」
「いやいや、ホントにマジで忙しいから」
銀時は沖田の顔を見ようともしない。
「大丈夫ですって。前みたいな危ねェ話じゃありやせんから」
さすがの沖田も苦笑を浮かべる。煉獄関の一件は忘れられないし、忘れられる訳も無い。
沖田の言葉に銀時が怪訝そうな顔をしながらも向き直る。
「……内容は?」
「実は俺の稽古相手になってもらえねェかと思いやして」
「あー、遠慮しとくわ。お前、上司からしてロクでもねェもん」
銀時は即座に断った。沖田の上司、近藤と土方。近藤とはお妙のことで、土方とはその近藤のことで一戦交えている。土方は端から真剣でケンカを吹っかけてくるし、近藤も真剣での勝負をも辞さなかった。二人とも警察、それもその局長と副長という立場にあるにも関わらずである。その部下の沖田の稽古の頼みなど危なくて聞けるものではない。
沖田も銀時の言わんとすることがわかってか、再び苦笑を浮かべる。
「別に本気でやろうってんじゃないですよ。ただ、俺の稽古相手になれそうなのは、近藤さんか土方さんくらいしかいねぇんですが、あの二人もなかなか忙しくって相手にしてもらえねぇ。その点、旦那なら暇だし、腕っぷしも申し分ねぇし、打ってつけじゃねぇですかィ」
確かに話を聞く分にはそう悪くないようには思えたが、これまでの事を思うと、すぐには返事をしかねる銀時であった。
ここで沖田が止めとばかりにぽそりと呟く。
「……旦那、金ねぇんでしょ?甘いもん食いたくねぇですかィ?引き受けてくださりゃ、もちろん依頼料はきっちり払わせてもらいやすぜ?」
沖田の甘い誘いの言葉に、銀時は頭を抱え、唸りながら悩んだ末に言った。
「……パフェ一杯分、今すぐ前払いする気ねぇ?」
「それじゃあ、決まりでさァ」
そう晴れやかに言うと、沖田は銀時を引っ張るようにして、さっそく近くの喫茶店へ向かった。
――そうして今に至る。
* * *
沖田がすっと間合いを詰めた。
その見た目とは裏腹に、繰り出されたのは恐ろしく精確な三段突き。今までに数多の敵を葬り去ってきた沖田の一撃。しかし、銀時は動じる様子も見せずにこれを片手で払った。道場に竹刀の激しくぶつかり合う音が鳴り響く。
驚きの表情を浮かべる沖田だが、瞬時に体勢を整え、更に打ち込む。常人では決して逃れることの出来ない沖田の速剣。これを銀時は強靭なバネと反射神経でかわし、逆に打ちかかる。強烈な一撃だが、沖田は竹刀の先で流し、間合いを取った。
息つく間もない激しい攻防。対峙する二人の顔には笑みが浮かんでいる。
道場には心地よい緊張感が満ちていた。
* * *
「あー、うっめえー。生き返るー」
銀時と沖田はそれから暫く打ち合っていたのだが、さすがに疲れ果て、どちらからともなく床へと倒れこんだ。その内に、お妙に母家の方にお茶を用意したと呼ばれたので、汗を拭い道場を出た。
座卓を挟んでお妙と沖田が座り、銀時はその横にいる。
「今日はお世話になりやす。お茶までご馳走になりやして、すみませんねィ」
「いいのよ、道場ですもの。いくらでも使ってちょうだいな」
沖田の言葉にお妙がころころと笑う。
「しかし、立派な道場ですねィ。近藤さんのボロ道場とは大違いだ」
「ボロ道場?ここより遥かに立派だったじゃねーか」
銀時の疑問に一瞬考えた沖田だが、すぐに思い当たった。
「ああ、今の屯所のやつじゃなくて、その前でさァ。真選組ってのは、大半が近藤さんの道場の門下生だった連中でしてね。俺もその一人なんですが、そん時の道場がとんでもなくボロかったんでさァ」
「へぇ、あのゴリラ、一丁前に道場の主だった訳だ」
感心したような声を上げた銀時に、沖田は苦笑いした。
「えぇ。けどまあ、廃刀令のあおりで道場はあえなく潰れちまいましてね。けど、みんな剣しか能の無ぇ野郎ばっかりで、働こうにもロクなこと出来なかったし、そもそもあの頃に働ける場所もなかった。そんな行き場のねぇ俺たちを見捨てずにいてくれたのが、近藤さんなんでさァ」
これにはお妙も神妙な表情で聞いていた。廃刀令の発布後、近藤や志村家だけでなく、各地の剣術道場が同じような状況に陥っていた。お妙が口を開く。
「幕府の配下になることに……迷いは無かったの?」
侍でありながら幕府の組織にある真選組は、幕府の犬と呼ばれることがある。今でこそ、そう呼ぶのは攘夷浪士くらいのものだが、設立当時は世間もまだ開国以前を強く引きずっており、一般市民でもそう呼ぶ者が少なくなかった。沖田は当時を思い出してか、小さく笑いながら言った。
「無いとは言いやせんよ。俺はそんとき今よりガキだったけど、それでも幕府が天人に乗っ取られてることくらいは分かってましたさ。けど、近藤さんが決めたんなら、俺らはそれについてくだけの事でさァ」
きっぱりと言い切り、誇らしげに笑う沖田にお妙も微笑む。
そこに銀時がニヤニヤと茶々を入れる。
「何、お前。もしかして、あのゴリラ見直しちゃったとかあ?」
にっこりと微笑むお妙。しかし、笑顔のまま指をゴキゴキと鳴らしている。
「なあに、銀さん?よく聞こえなかったの。もう一度言ってもらえるかしら?」
「イヤイヤ、何でもナイですヨ」
お妙の恐さを十二分に知っている銀時はぶるぶると首を横に振り慌てて逃げようとした。しかし、お妙は逃がさなかった。
沖田はそんな二人の様子を暫く笑って見ていたが、やがて、ボコボコになった銀時に話し掛けた。
「旦那はどうだったんです?」
「何がっ」
銀時はこれ幸いとばかりに、お妙の魔の手から逃げ出す。さっきまで自分と互角に戦っていた人間が、と思うと笑ってしまう沖田だったが、先を続ける。
「どうだったんです?刀を失っちまって」
お妙も、攻撃の手を止める。銀時はそんな二人の視線を受け、ニヤリと不敵に笑った。
「失っちゃいねえさ、一度だってな。手元にゃねーが、ソレを失った時、俺は死ぬのさ」
沖田は思わず目を見張った。気負うことなく、ごく自然に語られた言葉に、坂田銀時という普段はちゃらんぽらんな男の武士道を見た気がした。
「刀は武士の魂、ですかィ。全く……アンタにゃ敵わねェ」
沖田はゆるゆると頭を振った。口元には笑みが浮かんでいる。
その様子にお妙も静かに微笑んでいた。
「旦那、また受けてくれやすか?」
「気が向いたらな」
銀時は満更でもない様子で答える。お妙もにこやかに言った。
「その時は、またここを使ってもらって構わないわ」
「ありがとうございやす」
頭を下げる沖田に、お妙は、ふふふ、と笑った。
「気にしないで。銀さんには新ちゃんにお給料払ってもらわないと困るもの」
「なるほど」
沖田はつられて笑ったが、銀時だけはお妙を恐れてなのか、一人黙ったままだった。
この分では再開の日は近そうである。
死んでも手放さない
2007.04.07