温かさと強さを

かぶき町に活気が出始め、家々からはいい匂いがし始める時刻。
僕は銀さんと神楽ちゃん、それに姉上と一緒に銭湯へ向かった。何故かというと、万事屋の湯沸かし器が壊れてしまって、お風呂に入れなくなってしまったからだ。
初めは僕の家で入ればいいと言っていたのだけど、神楽ちゃんの銭湯へ行きたいとの一言で、揃って出かけることになった。実は銭湯に行くのは初めてだという神楽ちゃんのために、姉上にもついて来てもらった。隣を歩く銀さんはタオルを肩に掛け、いかにもおっさん然している。ふと疑問に思って聞いてみた。

「銀さんは湯沸かし器、直せないんですか?」
「爆発してもいいっつーなら直すけど?」
「絶っっ対、直さないで下さい!」
「まあ、ジーさんが明日にも来てくれるっていうからよ、心配すんな」
「平賀さん?」
「おう。……まあ、ちょっと不安っちゃー不安だけど」
「それ、シャレになりませんって」


ひゅうと冷たい風が吹く。もう春に近い季節とはいえ、朝夕はまだまだ冷え込む。帰るときにはちょっと湯冷めしてるかもしないとは思ったけれど、後ろを歩く楽しそうな神楽ちゃんに、まあいいかと思った。

夕暮れの町、揃って銭湯へ。

別にたいした事じゃないんだけど、なんとなく家族っぽくって、くすぐったいような、むず痒いような気分だった。


* * *


銭湯はほどほどに混んでいた。ここの銭湯には立派な富士山の絵が描かれているらしいのだが、眼鏡を外している僕はいまいち良く見えない。それにしても。

「……銀さん、ちょっと熱くありません?」
「何言ってんだオメー。これくらいあっちぃのに入ってこそ、江戸っ子ってもんだろーが!」
「ちょ、動かないでください!熱い!」

とうとう我慢出来なくなって、ざばっと浴槽を出た。ああ、涼しい。見ると手も足も真っ赤になっている。幾らなんでも熱過ぎると思う。少し休んでから他の浴槽に移ったら、今度はちょうどいい温度だった。今日の夕御飯、何にしようかな。

「あれ、銀さんは江戸っ子じゃなかったんですか」
「いやいや、もう充分堪能したから」

なんだか不明な呻き声を上げて入ってきた銀さんの体はやっぱり真っ赤。あの熱さに耐え切れなくなったに違いない。

「何、新ちゃん?人の身体舐め回すようにじっくり見ちゃったりして。あー、やらしい」
「アホかァァァ!誰がアンタの弛み切った腹なんぞマジマジ眺めるかァァァ!」
「な!誰の腹が弛んでんだコラァ!見ろや、この引き締まった腹筋を!」
「内臓脂肪が目一杯詰まってんだろ、糖尿親父が!」
「と、糖尿親父って。まだ俺はピチピチの二十代だァァァ!」
「どこがピチピチだ!僕はただ……」
「ただ?」

あ、と思ったときにはもう遅い。

「なんだよ、気持ち悪りぃ。最後まで言え」
「や、別に何でもないです」
「しーんーぱーち」
「だから、別に」
「言え」

本当にたいした事ではない。けれど、口に出すのはちょっと躊躇われた。
僕の身体とは違うがっちりとした大人の身体。もちろんお腹なんて出ていない。

「その……銀さんの身体ってよく見ると傷だらけだなって」
「あ?」
「傷跡が綺麗に塞がってるから、ぱっと見じゃ気付かないけど、近くで見たら肩とかお腹とかに薄っすら……やっぱり銀さん、戦ってきたんだなって思って」

銀さんは傷のことなんて気にしてないんだろう。気にする僕の方がどうかしている。
けれど、伝え聞く攘夷戦争の様子。それを考えると、この人は一体どれ程この身を危険に晒してきたのかと、恐ろしくなる。そして、今生きているということは、多くの天人を斬ってきた証でもあって。……だから、なんとなく言い辛かった。

「あー、そういう事ね」

ごめんなさい、銀さん。困らせるのは分かりきっていたのに。

「新八」
「……はい」
「生き物ってスゲーと思わねェ?」
「ハイ?」
「物は壊れちまえば、それっきりだけどさ。人間の身体って治るんだぜ。それってスゲェことだろ」
「でも」
「いつかはさ、この傷も綺麗さっぱり消えちまうよ」
「だからって、傷ついていい訳じゃないでしょうがッ」

この人はいつもそうだ。どこか自分を捨てている。自暴自棄でも世を儚んでいるわけでもない。だけど、冷めた目の銀さんがこの世とは決別しようとしているのを感じる。
確かに僕はたかだか数年の付き合いでしかない。“お前に坂田銀時の何が分かる!”そう言われてしまえば、何も言い返すことは出来ない。だけど、僕らは楽しい事や辛い事、それこそ命を掛けた出来事だって一緒に乗り越えて来た。今ではもう家族だとすら思っている。信じてる。僕らはこんなにもアンタを信じてるのに!
人の頭を撫でて子ども扱いする銀さんが小憎らしい。

「まあな。けど、お前が今見てる傷は、殆どがお前と会ってからだぜ」
「え?」
「肩はあのマヨだろ。胸は似蔵で、これは春雨ん時だし」
「あ、そう言われれば、そうかも」
「だろ?これは俺が俺のために負った傷だからな。気にすんな」

そう言って笑う銀さんはもの凄くカッコ良く見えた。


* * *


女性のお風呂は長いものと相場は決まっていて、案の定僕らの方が出るのが早かった。その間に起こったイチゴ牛乳の戦いに関しては、もう予想通りだと思うのでカット。
しばらく後、出てきた神楽ちゃんは僕らに気付くと跳ねるようにして駆け寄ってきた。

「よお、初銭湯どうだった?」
「すっごく広かったネ!楽しかったアル!」
「神楽ちゃんたら、凄くはしゃいじゃって。でも、私まで楽しい気分だったわ」

そう言う姉上の髪はきちんとセットされていて、メイクもばっちりだ。一方、神楽ちゃんは髪を下ろしたまんま、いかにも風呂上りですという赤い顔をしていて、女性と女の子の違いを見たような気がした。っていうか姉上にすっぴんで街中を歩かれてもなぁ。

「なあに、新ちゃん?」
「い、いえ、なんでもないです。本当になんでもないですから!」

姉上の背後に鬼が見えたのは気のせいだ。きっとそうだ、そうに違いない。
神楽ちゃんは銀さんの横で楽しそうにお風呂のことを話している。よっぽど銭湯が気に入ったらしい。うん、お金に余裕があれば、銭湯めぐりというのも楽しいかもしれない。

「新ちゃん、どうしたの?」
「え?」
「なんだか元気がないようだから。もしかしたら、アソコの大きさで銀さんに負けてショックを受けてるのかしらって。大丈夫よ、新ちゃん。大きくなるのはこれからなんだから」
「姉上ェェェ!アンタ、天下の往来でなに口走ってるんですか!違います!」
「そう、それならいいわ」
「姉上」

優しい笑みを浮かべる姉上が、お風呂で見た笑顔の銀さんとよく似ていて、ふいに涙が出そうになる。二人ともいつもその顔で安心を与えてくれるけれど、苦しい事や哀しい事は独り抱え込んで、僕たちが知るは全て終わった後だ。僕はそれが悔しくて仕方が無い。


確かに今はまだ護られてばかりかもしれない。
だけど、いつかは二人と肩を並べて歩ける、優しく強い大人になりたいと思った。

いつかは遠くない。

2007.03.16

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