かぶき町の大通りを一本入ったところにある、小さな居酒屋。赤提灯を横目にのれんをくぐる。
すると、店の親父も女将も愛想良く迎えてくれる。カウンターしかない席に腰を下ろせば、いつもの酒にこれまた絶品な料理。それと、程好く弾む親父との世間話。この程好くというのがポイントで、他人行儀過ぎず、しつこ過ぎず、ゆったりとした気持ちで飲ませてくれる。この店に何度も来ているが、一度だってベロベロに酔っ払った事は無い。ほろ酔い気分で気持ちよく。最高だ。
グラスを空けて、ふと横を見ると一つ席を空けた隣のヤツと目が合った。
「松平様じゃないですか」
「長谷川じゃねーか」
お互い見知った顔だった。
* * *
長谷川がまだ幕府の役人として働いていた頃、二人は何度か会っている。とは言っても、会議などで顔を合わせれば挨拶するといった程度のもので、特に付き合いがあったという訳ではない。が、先日、共にキャバクラで身上を潰し掛けた二人は意気投合し、乾杯をあげた。そうして長谷川の辞めた経緯を聞きながら、松平は大笑いした。
「馬鹿だなテメー。そんな胡散臭い万事屋なんかに依頼するのが悪ィんだろうが。俺に言やァ、そんなのちょちょいのちょいで片付けてやったのによォ」
「アンタ、人の話聞いてましたァァァ?!ちょちょいのちょいで片付けていいんなら、俺だってそんな汚い手を使いませんでしたって!第一アンタに頼んだら問答無用で消し去るでしょーがっ!」
「当たり前ぇだろ。幾ら天人のペットとはいえ、江戸の町でエイリアン暴れさせとくわけにはいかねーだろうが」
「そりゃそうですがね、現実には天人をむげに扱うわけにはいかないでしょうが。あん時、俺は俺なりに最善の策を選んだんですよ」
「その結果が、あのバカ皇子ブン殴って切腹かァ?随分と面白い選択したじゃねーか」
ニヤニヤと笑う松平に、長谷川はビールをぐいっと飲んでため息をついた。
「……バカな事をしたとは思いますよ。けど、それまでの俺の生き方に疑問を持っちまった時点で、俺の運命は決まったんですよ」
「運命なァ」
「おかげで散々ですよ。仕事も何回変えたか分からんし。……ん?そういや、アンタ謎のオッさんに似てるような……アレ?」
「長谷川ァ、なに訳わかんねーこと言ってんだ?」
「いや、たぶん気のせいですよ、ハハ……」
しかし、それは気のせいなどではなく、長谷川の運転するトラックに発砲、爆発炎上させたのは紛れも無く松平その人である。お互い思い出せなかったのは幸運とも言える。
「まあ、何にしても出世の道は失っちまったなァ」
「そう言う松平さんこそ、ヤバかったんじゃないですか?」
「何の話だ」
「真選組ですよ」
「……フン」
今度は松平がそっぽを向く。
「どこの馬の骨とも知れねェ田舎モン連れて来て、周りの猛烈な反対を強引に説き伏せて自分の配下にしたんでしょう?侍を子飼いにしようだなんて、反逆の意志があるんじゃないかと随分疑われたんじゃないですか?」
「フン、何言ってやがる。天人連中だって二十年に渡る戦争をして、少しは考えたのさ。ただ、力で抑え付けるだけじゃ駄目だってなァ」
「充分、力で抑え付けてるように見えますがね」
「まあな。ともかく、真選組ってのは侍の象徴なんだよ。将軍家と同じだ。これまでのこの国、侍という歴史そのものを表してんだよ」
その言葉に長谷川は笑い出す。
「何がおかしい」
「それは松平さんが考え出した表向きの理由でしょう?もともとは武州のボロ道場の門弟たちな訳だし、侍の歴史だなんてご大層なもんを背負ってる連中じゃあないでしょ。アンタはただあの馬鹿な連中を助けたかっただけだ」
「……そういうのは言わねーから、カッコいいんじゃねーか。やっぱマダオだな」
「マダオ言うなァァァ!」
「親父ィ、お勘定」
「へい」
「ちょっとォォ!」
叫びを無視された長谷川は店の親父が伝票をまとめるのを見ながら、ため息をついた。
「松平さん、さっきの話なんですがね」
「おう」
「そりゃ、何度も後悔しましたよ。けど、今の状況が嫌じゃないんですよ。我ながら馬鹿だとは思いますがね、昔のように自分を失って生きるのだけは御免ですよ」
松平がフッと笑った。
「俺もなァ、あの馬鹿共のせいで何度危ねー橋を渡ったことか。俺の手で切腹させてやりてーくらいだよ。けどなァ、今更放り出すわけにもいかねーしな」
お互い顔を見合わせ苦笑した。
「お互い馬鹿ですね」
「全くだ」
* * *
松平に渡された明細を覗き込んだ長谷川の顔が引き攣る。
「フン、払ってやるよ。どーせ金ねぇんだろ」
「ハハハ……助かります」
「また飲もうぜ」
「ぜひ」
苦労人二人、赤提灯をささやかな喜びとして。
苦労と信念と喜びと
2006.08.20