今となっては遅い話

うっすらと空が明るみ始める時刻。

「よう、今帰りか」
「あら、銀さん」

それはお店の勤めを終えていつもの帰り道。朝帰りの酒臭い銀さんと出会った。随分と飲んだらしく、いつも以上に目が死んでいる。

「朝帰り?銀さんも隅に置けないわねぇ」

私が笑いながら言うと銀さんは頭をぽりぽりと掻いた。

「だったらいいんだけどなァ。長谷川さんと男二人で梯子酒さ」
「そんなことだろうと思ったわ」

私と十くらい違うこの男が、そう言うほどモテないとは思わない。それどころか、人を惹き付けるものを十分に持っている人だと思う。前にあのゴリラが「女子より男にもてる男」と言ったが、それも分からなくない。ウチの新ちゃんがまさにそうだし、その背中を押しした私もまた、そうなのだろう。
銀さんが思い出したように言った。

「そういやぁ、途中でゴリラがくたばってんのを見かけたけどよォ、お前ホントは」
「今度、私の目の前に現れたら二度と日の目は見させないわ」

銀さんが何を言おうとしているのか、すぐに分かった。
あのゴリラ――近藤勲。
初めはしつこく付き纏うストーカーでしかなく、現れる度に追っ払っていた。
けれど、最近では別の理由も混ざり始めている。それは

――このままではあの男を好きになってしまうのではないか――

という恐れ。
私にはまだ新ちゃんがいる、父の遺した道場もある。
今はまだ自分の事を考えたくはなかった。
予想はしていたものの、やはり銀さんには気付かれていた。だからといって嫌な気はしない。この人はそういう人だ。

「そーかい」

まだ何か言いたそうではあったけれど、それ以上は言ってこなかった。

そのまま他愛のない話を続け、分かれ道にきた。家と万事屋とはここで反対方向になる。
別れの挨拶をして、そのまま行こうとしたが、ふと思いついて言ってみた。

「銀さんを好きになればよかったわ、私」

銀さんは少し驚いた顔をしたがすぐに笑って言った。

「遠慮する」
「私もよ」

今となってはもう遅い話。
明日もまたあのゴリラは私の元へやって来るのだろう。

朝焼けの街に二人。

2006.02.24

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